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解決編 #2

「えっ?」

 長瀬は目を丸くして、長読を見つめる。

「あたしとあたしの妹‥‥かれんは、6年前まで同じ屋根の下で幸せに暮らしていたの‥‥」

 そうして、ぎっとそこに立っている刑事を睨む。

「お父さんの浮気がばれるまでは、ね‥‥!」

 刑事は、唇を噛んでうつむいている。

「何でこった‥‥」

 井伊が思わず声を上げる。長読の手は、怒りで震えている。

「小学3年生の時、あたしのお母さんとお父さんは離婚したわ。あたしはお父さん、かれんはお母さんのところに行ったわ」

 長読の目から、ぼろりと涙が滴り落ちた。

「小学校は別々のところに行って、親同士の仲も悪くてかれんとはなかなか会えなかったけど、中学校がたまたま一緒になって、嬉しかった。毎日のように、一緒に話したり遊んだりした」

「それで仲がよかったんだ」と、竹井。

「浮気したお父さんと、その愛人とはなにか付き合い辛くて、かれんだけがあたしの心の支えだったの。でも‥‥、去年の10月に、かれんは家で首をつって死んだ。あたし、信じられなくて‥‥」

 そこまで言ってから、長読は目を大きく見開いた。敵を全て倒さんとする、獣の目だった。

「かれんが死んだのを信じられなくて、何日も悲しんだ。学校に行けなかった日もあった。でも‥‥、ある日、あたし、知ってしまったの。あのかれんと特に仲がよかったあの5人が話しているのを陰で聞いてしまったの。かれんが死んだ責任を、お互いなずり付けあっていた」

 長読はそこまで言ってから一回深呼吸をして、次に椅子の下のピンク色のカバンを長机の上に置いて、そこから一枚の写真を取り出す。目からは、涙が大量にあふれていた。

「たまたま持っていた携帯電話で写真を撮って、それをプリントもして、あの5人に見せてやったわ。そうしたら、今度は録音していないだろうなどと言ってきたわ。自分さえよければ、追い詰められるまで白状しないあの5人が憎かった。あたしの唯一の心の支えを、あの5人は奪った。許せなかった。殺すしかないと思ったの」

 長読は、涙で真っ赤に染まった顔で、長瀬を見る。

「ねえ、許せると思う?あの5人を‥‥そして、もう一人」

 カバンから突然、きらっと光るナイフの刃を覗かせた。それに長瀬が気づく。

「かれんがあの5人のせいで苦しんでいるのを、助けてあげられなかった姉のあたし!」

 かばっと速く鋭い両手でナイフを握ると、それを勢いよく自分の首に向ける。

「最後の犠牲者は、このあたしよ!」

「やめろ!」

 後ろの席の井伊が叫ぶ。

 血。

 血が、吹き出た。

 井伊が左手で、長読の首を塞いでいた。

「くあああああっ!」

 左手を傷した井伊が叫び声を上げる。

「井伊!是永、やめろ!」長瀬が必死に叫んで、飛びかかろうとする。

 会議室の隅と隅にいた数人の警官が走ってきて、長読を取り押さえにかかった。

「いやあああああああああああ!」

 長読の叫び声が、こだました。


「ここかな」

 一ノ谷市総合病院、306号室の前。長瀬は部屋の番号を何度も確認して、引き戸をゆっくり開けた。

 部屋の右と左に2つずつ並べられているベッドのうち3つは空っぽで、残る左窓側の1つに井伊がいた。

「井伊」

 長瀬がそちらに行って井伊のベッドの隣の椅子に座ると、井伊はにこっと笑顔を見せる。

「誰かと思えば、長瀬か」

「どうなったかなと思って、さ」

「うん、化膿とかはないし、今日か明日には退院できるって」

「でも、左手はしばらく使えないんだろ」

 長瀬が言うと、井伊は白い布団の下に隠していた、包帯に包まれた左手を見せる。

「あの5人にとっては、後味の悪いことになってしまったな」

 井伊がため息をつくと、長瀬はえっとなって尋ねる。

「どういうこと?」

「あれ?長瀬、知らなかったのか?」

 井伊は、不思議そうな顔をした。

 窓からは、夏の陽がやさしくやわらかく差し込んでいた。


”朝霧家之墓”

 そう書かれている墓石を見つけると、長瀬はその前で静かに手を合わせて、目をつぶる。

 しばらくの沈黙の後、ばちりと目を開けた。

 そうして、帰ろうとして右を向いたとき。

 そこに、深緑の和服を着た一人の女性が立っていた。

 あまりにも唐突だったので長瀬はびっくりして倒れそうになる。

「あら、かれんのお友達ですか」

 その女性の声。

「あれ‥‥?」

 長瀬は、その人の顔を見上げる。それは長読の父と似て、どこか悲しそうだった。

「は‥‥はい、朝霧、かれんは、僕の友達の妹でして」

 長瀬はそこまで言ってから、しまったと口を手で塞ぐ。

 女性は、さらに悲しそうな顔をする。

 視線が、明らかに下に行っている。

「そうですか‥‥、長読は、是永長読は、今どうしていますか?」

「いいえ、元気ですよ」

 長瀬には、それしか答えられなかった。

「分かっていますよ。連絡はいただきました」と、女性。

 長瀬はどきっとして、どうしたらいいのか分からず複雑な表情でうつむく。

「そうですか‥‥」

「‥‥心が痛みます」

「そうですよね‥‥」

「かれんが死んだのは‥‥私のせいですから」

「はい?」

 長瀬は、女性の顔を見上げる。


 是永刑事の手引きで長読と面会ができたのは、事件から1週間後であった。

 一ノ谷署。長瀬は、薄暗いコンクリート壁の部屋に入る。その部屋は、透明なガラスと腰くらいの高さまでのコンクリートで仕切られており、そのガラスの向こうには中央に座っている長読とその部屋の隅に警官が一人。

 長瀬は、長読の向かいの椅子に座り、ガラス越しに長読に尋ねる。

「どう?ここでの暮らしは」

「ふふ‥‥、冷やかしに来たの?あたしのやったことは少年犯罪の中でも悪い方だし、未成年でも死刑になることだってあるし、あたしは‥‥」

 長読は、笑った。その笑顔からは、どこか虚しいものを感じた。

「長読、冷やかしで来たんじゃない。本当のことを話そうと思って、来た」

「えっ?」

 長読は驚いて顔を上げる。

「まず、あの5人は別に朝霧をいじめたり恨んでいたりしていた訳じゃない。むしろ、あの5人は全員、朝霧のことが好きだったんだ。5人はお互いの気持ちに気づいて、お互い朝霧を奪い合っていただけなんだ。先週長読が言った責任のなずり付け合いも、その奪い合いの延長線だと思う」

「そんな‥‥、それじゃあ、かれんはどうして死んだの」

「それがさ‥‥、離婚した後お母さんが連れてきた男が暴力的で、それに耐えられなくなったらしい」

「そんな‥‥」

「お母さんの方は我慢して、最後まで朝霧を守ろうとしたらしい。朝霧も、お母さんが苦しんでいるのを見て長読に心配をかけられなかったと思う」

「それで‥‥、その男は?」

「朝霧が死んでちょっとしてから別れた」

「ううっ‥‥」

 長読は、手で口を塞ぐ。目から涙が流れ落ちる。

 それは頬を伝って、ぼたりぼたりと落ちていく。

「あたしって、バカよね。あの5人が死んで、彼氏もできて、一石二鳥だと思ったのに‥‥何てことをしてしまったんだろう‥‥ふふっ、こんなあたし、嫌いになっちゃったよね‥‥」

 長読が泣き止むのを待って、長瀬は切り出した。

「長読、そのことなんだけど。今度は僕の方からお願いするよ」

「えっ?」

「長読、僕と付き合ってほしい」

「えっ‥‥」

 目の周りの涙を手で拭った長読は、頬が真っ赤であった。

 それは、決して涙の腫れではなかった。

「確かに長読は取り返しのつかないことをした。でも‥‥、僕は普通に戻った長読が好きだ。長読が帰ってきたら、その時は2人でいろんなところに行こう。だから、長読も希望を持って‥‥!」


 警察署から出た長瀬は、出口横の自動販売機の横のベンチに座っている是永刑事を見つける。

「刑事‥‥」

 是永刑事は、ため息をつく。

「私はもう刑事じゃない。辞表なら、とっくに出した」

「えっ、なぜ‥‥」

「なぜ、じゃない。私は‥‥、娘のために尽くしてやれなかった。先週、初めて娘から睨まれた。こうなってしまったのは、全部浮気した私のせいだ。相当我慢していたんだろう」

「是永さん」

 長瀬は、そんな一人の大人の横に座る。

「‥‥奥田が死んだときのあのメッセージを見て、とっくに気づいていたんですね」

 そう長瀬に言われて、是永はうつむく。

「ああ‥‥、そこに娘の名前が書いてあるなど私にはとても信じられなかった。結果として、北条君や田代君も私が殺したようなものだ。娘とは言えもうちょっと警戒しておくべきだった‥‥私は父親としても刑事としても失格だ」

 それに長瀬は、答える術はなかった。

 しばらくの沈黙の後、刑事がぼやいた。

「かれんも死んで、あの娘にもう希望は残っていないのかもな‥‥」

 空を仰ぐ是永に、長瀬は優しく言う。

「大丈夫ですよ、是永さん。僕がいます」

「えっ?」

「さっき、告白しました」

 是永は、ゆっくりと横の長瀬を見下ろす。長瀬はにっこりとしていた。

「それで、OK、もらいました。刑務所から出たら、付き合おうって」

 刑事は、くすっと笑う。

「刑務所じゃなくて少年院だけどな」

「ははっ、そうですか‥‥それではバスが来ますので、そろそろ失礼します」

 長瀬は立ち上がって一度礼をしてから、歩いて行った。

 その力強い背中を眺めて、是永は背広のポケットからタバコの箱とライターを取り出して、タバコに火を付ける。

 一服して、是永は空を仰いで、つぶやいた。

「やれやれ‥‥、父親も大変だな」

 青空には小さな灰色の小鳥が2匹、並んで飛んでいた。是永はそれを眺める。ふと、同じ種であろう大きな鳥が、その隣に並んだ。

 それを眺めて、父親は微笑した。




 END

 ここまで読んでいただきありがとうございました。また機会があれば、何やら書くかもしれません。その時まで、また‥‥。

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