「理想」と「現実」のギャップをどうやって埋めれば良いのか?
筆者:
若い方であればあるほど夢と希望を抱いて暮らしていると思います。
しかし、年を経て「現実」に直面した際に絶望して自殺や無気力、虚無のような生きているのかいないのか分からないような状況に陥ってしまう事もあると思います。
今回は一番対話をしていて手ごたえがあったチャッピーさんの答えを参考にしたものをこのエッセイでまとめましたのでどうぞご覧ください。
ではチャッピーさんにお尋ねしたいんですけど、まず自分の影響力が及ぶ範囲の夢について理想と現実のギャップをどう対処すれば良いのか? お答えいただけますか?
はい、分かりましたわ。
たとえば、
·勉強したいのに勉強できない
·お金を貯めたいのに貯まらない
·人間関係を改善したい
·運動したいのに続かない
·小説を書きたいのに時間がない
·仕事で成功したい
·自分を変えたい
こういう問題です。
ここでは「理想と現実の差」を見つけたら、
「では、その差を1%でも縮めるには何をすればいいか」
と考えることができます。
たとえば、「毎日2時間勉強する」という理想がある。
しかし現実には毎日30分しかできない。
このとき、「自分は意志が弱い」と考える必要はありませんわ。
むしろ、「2時間できないなら30分でもやる。30分できたなら、昨日より30分前進している」と考えるのですわ。
ここでは、理想を下げるのではなく、理想と現実の間に階段を作るわけです。
これはかなり重要な考え方だと思います。
人は意外と、
理想を達成する
↓
達成できない
↓
自分には才能がない
↓
諦める
という二択に陥りやすいですわ。
でも本当は、
理想
↓
現在地
↓
次にできること
↓
少し改善
↓
また次にできること
という中間地点があります。
だから、自分の力で変えられる問題についてのアドバイスなら、
「理想を捨てる必要はない。ただし、理想を一日で現実にしようとしないこと」
が大事だと思いますわ。
筆者:
なるほど。いわゆる「ベイビーステップ」と呼ばれる目標を達成するため、または新しい習慣を身につけるための「赤ちゃんのよちよち歩きのような、ごく小さく無理のない最初の一歩」を踏み出し、そこから改善していくことが大事という事ですね。
ただ、この考え方で絶対に解決できない理想ってあると思うんですよ。
例えば大谷選手になりたいと理想を描いても体格的、年齢的、理論的に叶えられないと言った事もあると思います。
そういった際にはどういうマインドで取り組む、若しくは他の部門に移行する必要がありますか?
はい。ここはかなり重要な論点だと思います。
「努力すれば夢は叶う」という考え方には、どうしても現実には存在する“努力では埋められない差”を無視してしまう危険がありますわ。
たとえば「大谷翔平選手になりたい」という夢を持った人に対して、
「諦めずに努力すれば夢は叶う!」
と言うのは、励ましているようでいて、場合によっては不誠実です。
年齢、身体能力、遺伝的要素、これまでの経験、環境など、本人の努力だけでは変えられない条件があるからです。
だからワタクシは、この問題については、
「夢を諦めるか、夢にしがみつくか」ではなく、「夢の中にある何を自分は本当に求めているのかを分解する」
という考え方が有効だと思いますわ。
筆者:
本当に求めているものの分解とは具体的にどのようなものが挙げられますか?
チャッピー:
「大谷選手になりたい」という言葉は、一見すると一つの夢ですが、実際にはいろいろな欲求が含まれています。
例えば、
·野球が上手くなりたい
·プロ野球選手になりたい
·世界で活躍したい
·人から認められたい
·大金を稼ぎたい
·身体能力を発揮したい
·努力して何かを極めたい
·歴史に名前を残したい
·多くの人に夢を与えたい
などですわね。
この中には、「大谷翔平本人になる」という非常に限定された目標と、
「大谷翔平のように、何かの分野で卓越したい」という、もっと抽象度の高い目標がありますわ。
ここを分けることが重要ですわ。
筆者:
つまり、チャッピーさんの挙げられた項目でいくのなら野球を極める上2つ以外の分野で頑張ろうという感じにシフトしようという感じなんですね?
ここは逆方向の注意も必要ですわ。
「自分には無理そうだから別の夢を探そう」
を簡単にやってしまうと、単なる逃避になってしまいます。
したがって、「不可能かもしれない」=「今すぐ諦める」ではありません。
まず、本当に不可能なのか?を調べる必要があります。
夢に対して、「どれだけ努力すれば達成できるか」だけを見るのではなく、
「何が変えられて、何が変えられないのか」
を見ていく必要がありますわ。
例えば、
・変えられないものーー過去、年齢、生まれ持った身体的特徴
・ある程度変えられるーー人脈、環境、他人の評価
・時間をかければ増やせる――知識、技術、習慣
こう考えると、
「努力すれば何でも可能」という思想から一歩離れることができます。
努力は万能ではありません。
しかし、だからといって無意味でもありませんわ。
例えば、
「プロ野球選手にはなれなかった」だけを見ると、敗北です。
しかし、「野球を10年間やって、身体の使い方、人を指導する能力、スポーツへの知識を身につけた」のなら、その経験は別の場所で使えますわ。
·野球指導者
·トレーナー
·スポーツライター
·スポーツ経営
·スポーツ用品
·YouTube
·スポーツ分析
·子供への教育
などですわ。
つまり、夢そのものは失敗しても、夢を追った経験まで失敗するとは限らない。
これは非常に大切な考え方だと思います。
筆者:
僕のような年になると流石に大谷選手になることは理論的には無理ですが、まだ将来がある方にとってはこのような過程で分析、前進していけば良い結果を生むか次のものに前向きに転進することも可能かもしれませんね。
◇自分の努力では変えられない分野に対するアプローチについてはどうすれば良いのか?
筆者:
一方で、政治や経済、戦争など一人の人間では到底変えることが出来ないことに関して理想とギャップで苦しんでいる方もいらっしゃると思うんです。
「自分が変えられないものまで、自分の責任だと思わない」
ことが非常に重要になりますわ。
ただし「何もできない」と「自分には全く責任がない」は違うとも思いますわ。
例えば政治に関して一人の人間が政治を直接動かすことは難しいですわ。
しかし、
·選挙で投票する
·政策について調べる
·周囲と議論する
·意見を発信する
·政治家に意見を送る
·社会問題について学ぶ
·寄付する
·政治活動に参加する
といったことはできます。
つまり、「自分には世界を変える力がない」のと「自分には何もできない」
ことは違います。
ワタクシは「結果の理想」と「行動の理想」に分けることを提案しますわ。
たとえば、「平和な社会になってほしい」これは結果の理想ですわ。
しかし自分一人ではその平和は保証できませんわ。
一方、「自分は暴力ではなく対話を選ぶ」これは行動の理想です。こちらは自分で選択できます。
政治でも同じですわ。「政治家が正しい政治をしてほしい」これは自分では保証できない。
しかし、「自分は情報を調べて、自分なりに考えて投票する」これは自分でできますわ。
つまり、結果を自分の責任にしすぎず、行動を自分の責任にする。
これが「自分ではどうにもできない問題」に対する、かなり汎用的な考え方になると思います。
そして「諦める」と「受け入れる」を区別することも大切ですわ。
「どうにもならないなら諦めればいい」という話ではありません。
諦めることと、現実を受け入れることは違いますわ。
例えば、「自分一人では政治を変えられない」と認識する。これは諦めではありません。
そのうえで、「それでも、自分ができる一票を投じる」なら、むしろ現実を正しく認識したうえで行動していると言えますわ。
その上で周囲や社会。「友人に考えを伝える」「会社を変えようと提案する」「政治について発信する」自分だけでは決められないものの、影響は与えていく。出来る範囲内で行うことが大事ですわ。
一方で「景気」「政府の政策」「海外情勢」「災害」など。
ここを無理にコントロールしようとすると、精神的に疲弊しますわ。
◇身近な人に対する理想とのギャップ
筆者:
なるほど、現実を受容しつつ出来ることをやっていくという事なんですね
――僕の場合は出来ていることではありますけどね。政治についての対処の仕方については幼少期から数えると年数が長いですからね(笑)。
先ほどは政治などマクロ的な少し遠い話でしたが、
ミクロの身近な家族や友人、恋人に対して理想としている姿とギャップがある場合はどのように考えたら良いと思いますか?
彼らに関しても変えることは困難だと思うのです。「変わってくれ!」と訴えても大抵は変わってくれることはありませんからね。
はい。むしろこちらのほうが、「理想と現実のギャップ」というテーマの本質に近いと思いますわ。
「この人にはこうあってほしい」という期待が、自分の人生にも直接関係してくるからです。
誰かに、「こういう人であってほしい」と思うこと自体は自由です。
しかし、「あなたは私の理想通りの人間であるべきだ」
となった瞬間、相手を自分の理想に合わせようとしてしまいます。
例えば親。「親なら子供の気持ちを理解してほしい」と思うのは自然です。
しかし、「親なのだから、必ず自分を理解できなければならない」
となると、現実との衝突が起きます。
親も一人の人間であり、
·性格
·世代
·経験
·価値観
·能力
·トラウマ
·知識
などに限界があります。
これは親だけではありません。
友人も恋人も、結局は「自分とは別の人間」です。
ここを忘れると、親しい関係ほど苦しくなります。
筆者:
でも、周りの身近な人であっても他人と認識することって当たり前のことじゃないんですか?
政治家に対して、「この人は自分の理想とは違うな」と思っても、
「まあ他人だし」と距離を置けます。
ところが家族になると、「家族なのだから分かってくれるはず」となり、
友人なら、「友達なのだから助けてくれるはず」
恋人なら、「愛しているなら、これくらい分かってくれるはず」となります。
つまり、関係が近くなるほど、「相手は自分の期待に応えて当然だ」という感覚が強くなりやすい。
そのために、逆説的ですが、親しい関係ほど、相手を自分とは別の人間として認める必要があるのだとワタクシは考えますわ。
筆者:
なるほど、赤の他人に比べると身近な人に対して「理想」への期待値が爆上がりしてしまうという事なんですね。
このことが身近な人に対する理想と現実のギャップに苦しむという事ですか……。
とは言え、「相手は変えられないのだから受け入れましょう」という事ではありませんわ。
相手を変えるのではなく、自分の距離を変える。という選択肢がありますわ。
例えば友人が約束を何度も破る方がいたとしますわ。
ステップとしては、
A「ちゃんとした友人になってくれ」と相手を変えようとする。
B「この人は約束を守ることが苦手な人なのだ」と認識する。
AB2つを同時に考えた上で、
C「重要な約束はこの人とはしない」
と自分の行動を変える。
それでも自分にとって耐えられないなら、
D付き合う頻度を減らす。
という選択肢を取りますわ。
これは、相手を変えずに、自分の人生を守るという方法ですわ。
「この人はこういう長所がある。一方で、こういう欠点もある。その両方を含めて、この人とどう付き合うか」を決めることが重要なのですわ。
筆者:
なるほど、相手は無理やり変えることが出来ないのであれば自らの距離感をどうとるかが大事になってくるんですね。
人間関係と言えど、何か物に対する「取扱説明書」みたいな感じで「距離感と対処法の取り方」みたいな感じで個々人に対して考える感じなんですかね?
はい、かなり近いと思いますわ。ただし「人間を物のように扱う」という意味ではなく、「相手を自分の思い通りに変えようとせず、その人の特性を理解したうえで、自分の接し方を最適化する」という意味での取扱説明書ですわね。
今回のことでワタクシが考えたのは人生において、本当に捨てるべきなのは「夢」ではなく、「その夢でなければ自分は幸せになれない」という思い込みなのかもしれないと思いましたわ。
大谷翔平になれなかったとしても、何かを極める人生は残されている。
身近な相手が理想的でなかったとしても、幸せになる道は残されている。
理想と現実の間にある距離を知ることは、敗北ではないですわ。
それは、自分がどの道なら歩いていけるのかを知るための地図になるのです。
大切なのは、現実を見て夢を捨てることでも、現実を無視して夢にしがみつくことでもないと思いますわ。
現実を見たうえで、それでも自分が向かいたい方向を探し続けることなのだと考えますわ。
筆者:
「理想」と「現実」とのギャップの埋め方が僕の中でもできていなかった部分がありました。
また、他者に対して取扱説明書を作るだけでなく、自分に対しても「相手に何を求めているのか? それは実現可能なのか?」について自問自答したいなと思いましたね。
皆さんはどのように考えましたか?
また、これまでは3つのAIで対話してましたけど、一番優良な答えをするAI一つに絞るこういうスタイルも面白いのかなと思いました。




