聖女様、HOT LIMITとは何ですか。――主よ、夏を刺激しないでください!!
ミカ様は、ヘイセイという異界の時代から召喚されたギャルである。
本人は今も、自分が聖女であることを認めていない。
主は否定されなかった。
そのため我々は現在、神に認められたギャルと共に暮らしている。
これまでにも、いくつもの異界文化が白百合神殿へ持ち込まれた。
神殿で目的もなく話すこと。
自らの好みを書いて交換する帳面。
願いを込めて腕へ巻く色糸。
そのたびに我々は困惑し、主は気に入られ、気づけば何かが神殿に残っている。
今回については、残らなくてよかったと思っている。
◇
「あっつぅ。なにこれ、もう夏じゃん」
朝の祈祷を終えた聖堂で、ミカ様は長椅子に座ったまま胸元を扇いでいた。
夏に入ってから暑い日は増えたが、今日は朝から風がない。石造りの聖堂でも、じっとしていると首筋に汗が浮いた。
「まだ夏の盛りではありません。例年であれば、さらに暑くなります」
「無理なんだけど。てか神官長さん、その服暑くないの?」
「祭服ですので」
「暑いか聞いてんだけど」
神官長は答えなかった。
暑いのだと思う。
私も暑い。
しかし、祭服とはそういうものである。
ミカ様は窓の外を眺めながら、指先で何かの調子を取っていた。
「なんか思い出すわー。昔の歌」
「ミカ様の世界のものですか」
「そ。めっちゃ夏のやつ。HOT LIMIT」
こういう時だけ、ミカ様は少し懐かしそうな顔をする。
「ほっと、りみっと」
私は記録用紙へ書いた。
「どういう意味ですか」
「知らん。曲名の意味とか、いちいち考えないっしょ」
「記録する側は考えます」
「じゃあ夏の歌って書いといて」
それでは記録にならない。
そう思った時、祭壇の神託石が光った。
――暑い風の誘惑。
神官長が止まった。
私の羽根ペンも止まる。
ミカ様だけが、神託石を見て目を丸くした。
「神ちゃん、なんで知ってんの?」
神託石が淡く明滅した。
返答はない。
「今の御言葉は、その歌に関係するものなのですか」
「ある。だから、うちが聞きたいんだけど」
主がどこから異界の言葉を学ばれているのかは、いまだに分からない。神官長も何度か尋ねているが、一度も答えはなかった。
「それで、HOT LIMITとはどのような歌なのです」
「風とか海とか恋とか。あと、衣装がすごい。なんかこう……布巻いてる感じ」
神官長が黙った。
私も黙った。
「……衣服なのですよね」
「一応?」
ミカ様が辺りを見回した。
視線が、窓辺に置かれた日除け用の白布で止まる。そのまま祭壇の奥に立つ主神像へ移った。
今度は私にも分かった。
「ミカ様。その布を置いてください」
「こんな感じって神ちゃんに見せるだけだし。神ちゃんも見たいっしょ?」
神託石が光った。
「ほら」
「主もお控えください」
神官長が神へ直接自制を求めた。
当然ながら、主神像は動かない。
ミカ様は布を持って祭壇へ上がった。
肩へ回し、胸元を通して、腰へ巻く。何度か巻き直したあと、数歩離れて首を傾げた。
「んー。たぶん、こんな感じ」
「その程度の記憶で、主の御像をその姿にしたのですか」
「雰囲気は合ってるって。神ちゃんはどう?」
神託石が強く光った。
主神像まで白い神気を帯びる。
「やば。めっちゃ気に入ってんじゃん」
神官長の顔が険しくなった。
「主。これは正式な祭装ではありませんね」
神託石に文字が浮かぶ。
――素直になりたい。
「何に?」
返事はなかった。
ミカ様が神託石を見る。
「神ちゃん、誤魔化した?」
「主よ」
神官長が額を押さえた。
翌日。
神官長は、その布を着ていた。
ミカ様が黙った。
私も黙った。
「……何ですか」
昨日、主神像に巻かれていたものとほぼ同じ形である。
白い布は肩から胸を通り、腰へ回されている。普段の祭服に隠れていた腕や肩がほとんど露わになっていた。
「し、神官長。その、意外と鍛えておられるのですね」
神官長の上腕二頭筋が、ぴくりと動いた。
「当然です。務めを果たすためにも、体は資本ですから」
背を向けた神官長の僧帽筋が、背中へ回った布を押し上げる。
今日も暑い。
それとは別に、少し暑苦しい。
神官長は肩を回した。
「……体に馴染みますな」
「そこ馴染むんだ」
ミカ様が言った。
「てか神官長さん、なんで普通に似合ってんの?」
「私に聞かれても困ります」
神官長はそのまま片手を上げた。
「主があれほど反応された以上、祭装としての検証は必要です。始めますよ」
最初に使ったのは、ごく弱い風の魔術だった。
本来なら机の紙を僅かに動かす程度である。
神官長の腕が動く。
私は記録用紙へ目を戻した。
風が起きた。
聖堂の窓が一斉に開く。
「うわっ!」
紙が舞い、私の記録用紙まで吹き飛んだ。
ミカ様の髪が大きくなびく中、神官長は自分の手を見ている。
「……小風の術で間違いありません。もう少し出力を落とします」
「全然小さくなかったけど」
二度目の風も、聖堂の端から端まで抜けた。
神官長の目つきが変わる。
「増幅されていますな。もう一度確認します」
「神官長さん、ちょっと楽しくなってない?」
「検証です」
三度目の風が吹いた時、開いた窓から小さな光が飛び込んできた。
夏の妖精だった。
一体が神官長の肩へ止まり、もう一体が白布の端へぶら下がる。その後から何体も入り込み、肩や腕を飛び移りながら神官長の周囲を回り始めた。
「なんか、めっちゃ来てるけど」
「神気に反応しているのでしょうか。風を使った時に動きが変わりましたな」
「まさか、またやんの?」
神官長が風を起こした。
妖精たちが一斉に光る。
淡い金や青、緑の光が風に乗って神官長の周囲を回り、聖堂の天井近くまで舞い上がった。肩から一体が飛び立てば何体も後を追い、布の端へぶら下がった妖精までそのまま風に揺られている。
「そこ引っ張ったらダメじゃない!?」
神官長が無言で布を押さえた。
妖精たちは構わず飛び回る。
開いた窓からさらに数が増え、互いを追いかけ、風に乗り、光の粒を撒き散らしていた。
私は思わず立ち上がった。
「よ、妖精たちが夏を刺激しています!」
「その言い方やめて! 神ちゃんが喜ぶから!」
祭壇を見る。
神託石はすでに強く光っていた。
遅かった。
神官長は飛び回る妖精を見上げた。
「確かに、通常より活性化していますね」
「そっちの意味じゃないし!」
妖精が増えるにつれ、聖堂の空気まで熱を持ち始めた。
神官長も額の汗を拭う。
「夏妖精は熱と魔力の強い場所を好みます。室温を下げて反応を確認しましょう」
「もう十分確認したと思うけど」
神官長は水の魔術を使った。
本来なら、細かな水滴を空気へ散らすだけの術である。
聖堂の中央に、水柱が立った。
「多くない!?」
噴き上がった水が陽光を弾く。
妖精たちは一瞬だけ止まり、次の瞬間には一斉に水柱へ飛び込んだ。
水の中を抜け、宙返りをして飛び出し、濡れた羽から光を散らす。何体かは手を取り合うように回り、その周囲を別の妖精が追いかけていた。
風と水と光が聖堂の中を飛び交っている。
「ミカ様。元はミカ様の衣装でしょう。何とかできませんか」
「なんでうち!? 魔法使って盛り上げたの神官長じゃん!」
反論する前に、中庭から大きな水音が響いた。
妖精たちが一斉に窓へ向かう。
泉の水面が大きく盛り上がり、青い尾びれが水を打った。
砕けた光の向こうから、濡れた長い髪が現れる。
白い肩。
泉の縁へ伸びる細い腕。
ゆっくりと上半身を水面へ出した女の腰から下には、青い鱗を連ねた大きな尾があった。
人魚だった。
濡れた髪を片手でかき上げると、水滴が肩から胸元へ流れ落ちる。
人魚がこちらを見た。
唇が微かに笑う。
私は羽根ペンを持ったまま動けなかった。
「う、美しい……」
ミカ様も人魚を見て固まっていた。
しばらくして、目を見開く。
「ナマ足、魅惑のマーメイド!?」
「脚はありません」
「そういう話じゃないし!」
人魚は泉の縁へ頬杖をついた。
窓から飛び出した妖精たちがその周囲へ集まり、濡れた髪や青い尾の周りを楽しそうに飛び回っている。
人魚も笑っていた。
神託石は今日一番強く光っていた。
神官長は人魚と妖精をしばらく眺め、自分の格好へ目を落とした。
「……検証を中止します」
「どう見ても手遅れじゃん」
◇
魔術は強くなり、妖精は増え、聖堂は暑くなった。
泉には、まだ人魚がいる。
神官長は例の布を入れた箱の前で腕を組んでいた。
「封印します」
「でも、魔法めっちゃ強くなってたよ?」
「それは事実です。既存の祭装とは比較になりません。消費する魔力も少なく、術者への負担もほとんどなかった」
神官長は箱を見る。
「さらに体にも馴染みます」
「神官長も気に入ってんじゃん」
神官長は答えなかった。
ミカ様が窓の外を指さす。
泉では、まだ人魚が髪をかき上げていた。
その周囲を何十体もの妖精が飛び、水面へ飛び込んでは、また光を撒きながら舞い上がる。
聖堂は暑い。
神官長は窓の外を見たあと、もう一度箱へ目を戻した。
「……封印します」
「今ので決めたでしょ」
「最初から決めています。夏を刺激しすぎます」
神託石が強く光った。
――IT'S ALL RIGHT.
「よくありません」
神官長の返答は早かった。
「神ちゃん、今回は神官長が正しいよ」
神託石の光が少し弱くなる。
不満らしい。
祭装はその日のうちに保管庫へ入れられた。
神官長は自分で鍵を掛け、扉を一度引いて確認する。
「神ちゃん、また出したがりそうだもんね」
「だからです」
夏妖精たちは、日が暮れる頃まで神殿の周囲ではしゃいでいた。
人魚も夕方までは泉にいた。
何度かこちらを見て微笑んでいた。
私は見ていない。
記録上は、そういうことにする。
翌朝。
神官長はいつもの祭服へ戻っていた。
暑そうではあった。
記録・番外 HOT LIMITについて
HOT LIMITとは何か。
ミカ様がいたヘイセイという異界の時代に存在した、夏の歌である。
詳細については、
「めっちゃ夏のやつ」
とのことである。
記録にならない。
なお、ミカ様の記憶をもとに衣装を再現したところ、魔術の威力が大きく上昇した。
神官長との適合性も高かったらしい。
本人は、
「体に馴染みますな」
と述べている。
当該祭装で魔術を使用すると、夏妖精が集まる。
さらに使用すると、非常にはしゃぐ。
周辺の気温も上がる。
水の魔術を使用した場合、人魚が現れることもある。
最後の項目については、今後確認する予定はない。
神官長の判断により、祭装は封印された。
主は反対された。
ミカ様も途中から神官長に賛成した。
私も同意見である。
魔術として優れていることは認める。
妖精たちも楽しそうだった。
人魚については。
非常に。
美しかった。
「記録係」
「はい」
「そこは必要ですか」
「観察記録です」
神官長はしばらく私を見たが、それ以上は何も言わなかった。
その後、封印された祭装を前に、神官長は少し惜しそうな顔をしていた。
「素晴らしい力でした」
「あれだけの騒ぎになったのですが」
「危険であることと、祭装として優れていることは別です」
それはそうなのだろう。
神官長は箱へ目を落とした。
「ただ、あの祭装には、まだ先があるように感じました」
「ほ、本当ですか」
「ええ。私の体にはよく馴染みましたし、魔術の増幅も申し分ありませんでした」
そこで一度、言葉を切る。
「ですが、すべての力を引き出せていたとは思えません」
私は箱を見た。
十分すぎるほど引き出していたように思う。
「では、もっと力があるということですか」
「あるいは、あれには本来、纏うべき者がいるのかもしれません」
ミカ様が首を傾げる。
「選ばれし者ってこと?」
「そう呼ぶべきかは分かりませんが、その者が纏った時、初めて真の力を発揮するのでしょう」
神託石が強く光った。
三人で祭壇を見る。
返事はなかった。
本来の着用者が存在するかについては不明である。
もし存在するのであれば、その者が着用した際に何が起きるのか。
考えないこととする。
夏は放っておいても暑い。
これ以上、刺激する必要はない。
お付き合いいただきありがとうございます。
どうしても、書きたかったので……
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我々は聖女を召喚したはずなのに。「主よ、ズっ友とはなんですか!?」




