すっぴん聖女の決意
重い沈黙を破ったのは、シルアレク殿下だった。
「だが、放置するわけにはいかない……。ネマを倒し、呪いを完全に解呪しなければ、この国は滅んでしまう」
「そうですね……」
ティエリーも殿下に同意するように、静かに告げる。
「このままでは……我が国の若い世代の女性が『老婆』のままになってしまう。それは男性にとっての性的対象の消失を意味し、結婚や出産は激減し、子孫繁栄に大きな打撃を与えます。この国は、確実に衰退するでしょう」
確かに……私以外の女が皆、劣化してしまった事実は、そういった問題に直結する。
先程男達が、蟻のように私に群がって来たのには気分が害されたけど、あの行動は種の存続に突き動かされた本能によるものなのだろう。
あまりにも本能に忠実すぎて、心底呆れ果ててしまうが……。
「それに、もう一つの問題……これが一番厄介だ」
シルアレク殿下が、窓の外――絶望に包まれた王都を見下ろしながら言った。
「瘴気ですね」
私が尋ねると、殿下は重く頷いた。
聖女の主な仕事は、『瘴気』という人々の悪意や負の感情から生まれる穢れを浄化し、空気を綺麗に保つことだ。
しかし現在、ネマの呪いを受けた無数の女性たちが、絶望と憎悪、そして生命力が腐敗する強烈な『瘴気』を、王都中で生み出し続けている。
「この異常な瘴気濃度が続けば、人々の活力が低下して、病気が蔓延するでしょう……。さらに厄介なのが、魔の森の結界から漏れ出た『獣レベルの弱い魔物』たちが、瘴気を吸って凶暴化、強化されてしまう。騎士団や冒険者ギルドだけでは、駆除が追いつかなくなる。最悪の場合、強化された魔物が群れを成して、人里や町を襲い始める可能性があります」
ティエリーが、冷酷な予測を口にする。
つまり今……世界は二つの意味で破滅に向かっているのだ。
「ネマの呪いを解き、世界に満ちた瘴気を祓えるのは……現在、唯一まともな聖魔法が使えるラフィナ殿、貴女しかいません」
ティエリーが、真剣な眼差しで私を見た。
「世界の命運は、貴女の双肩にかかっています」
なんだそれは……。
重い。話のスケールが重すぎる。
いくら聖魔法を使える聖女が私しかいないからって……。
私は大きな溜息をつき、頭を掻いた。
(聖女か……私が聖女になったのは……)
脳裏に、孤児院に居た頃の幼い記憶が浮かび上がる。
◇
物心ついた頃から、孤児院の薄暗いベッドでうなされていた日々のこと……。
生まれつき聖魔力が強すぎた私は、鋭敏過ぎる嗅覚のせいで、瘴気を『悪臭』として感じ取ってしまい、息をするだけで吐き気がして、常に呼吸困難を起こして泣いていた。
そんな私を救ってくれたのは、孤児院に慰問に訪れた『大聖女』様だった。
苦しむ私の頭をそっと撫でて、ふわりと聖魔法『浄化』を展開した。
その瞬間、まとわりついていた悪臭が嘘のように完全に消え去り、肺の奥まで澄み渡るような美味しい空気が満ちた。
『あなたのその鼻は呪いじゃない。世界を綺麗にするために、神様がくれた羅針盤だよ』
大聖女様は、泣き止んだ私にそう言って微笑んだ。
『臭いのが嫌なら、自分でお掃除できるくらい強くなりなさい。いつかあなたが、世界中をこんな風に澄み切った空気にしておくれ』
初めて深く呼吸が出来た感動を……あの時の空気の美味しさを……私は今でも忘れていない。
◇
「……わかりました。そもそも、こんな臭い空気を吸い続けながら生きるのは、私にとっても限界ですから……やります」
私が快適に深呼吸できる……瘴気のない無臭の世界を自分自身で作るために……。
私が承諾すると、王妃様がパァッと顔を輝かせた。
「さすが、私のラフィナちゃん ! 本当に頼りになるわ!」
王妃様は、再度私に抱きついて満面の笑顔で頬を寄せた……と思ったら、ふと真顔になり、息子のシルアレク殿下をジロリと睨んだ。
「わかったわね、シルアレク。今、聖女の力を少しでも弱めるわけにはいかないのよ! いくらラフィナちゃんが魅力的だからって、絶対に手を出しては駄目だからね!」
「は?」
「王妃様の仰る通りです。聖女は規律により、男性と契ることを禁じられています。不純な交遊は聖魔力を著しく濁らせ、弱めてしまう。殿下、ここは国の存亡を優先していただき――」
王妃様とティエリーのストレートすぎる警告に、私は思わずむせた。
それは王子も同様だったようだ。
「なっ! わ、わかっている! わかっているから二人とも黙れ!」
シルアレク殿下は耳まで真っ赤にして怒鳴り、コホンと咳払いをしてから、恥ずかしそうにしながらも、真剣な様子で告げた。
「まったく……僕の自制心を何だと思ってるんだ。言われるまでもなく、ラフィナと結ばれるのは、世界に平穏が訪れてからと心に誓っている」
「その時は、ラフィナちゃんは世界を救った英雄よ! 国を挙げて、二人の結婚を祝福するわ!」
王妃様がキャーキャーと騒ぎ、シルアレク殿下も嬉しそうに頷いている。
(まあ……殿下と結ばれるかは、ともかくとして……)
瘴気のない、澄み切った無臭の世界。
それは、私の理想だ。
それが叶えば、聖女を引退しても未練はない。
引退してどうするかは、その時の私が決めればいい……。
今の私に出来ることは……。
「……コホン。未来の話はそれくらいにして、現実的な話をしましょう」
私はパンッと手を叩き、彼らの意識を地図に戻した。
「魔の森へ向かうには、入念な準備が必要です。その間に、まずは身近なところから調査を始めて、ネマの情報を固めましょう。彼女の呪いのメカニズムが解れば、治癒の手掛かりを掴めるかもしれません」
「身近なところ……というと?」
「この世で、最もネマの化粧品を使い、最も深い呪いを受けた人物です」
私はシルアレク殿下を見つめ、静かに告げた。
「エリザ様の屋敷へ行きましょう。彼女を調べれば、何か分かるかもしれません」




