化粧品の真実と女性たちの劣化
その異変は、唐突に訪れた。
会場中がピンク色の霧に包まれ、誰もが陶酔しきっていた、その時だ。
「……おえっ!?」
近くにいた男性が、口元を押さえて膝をついた。
「な、なんだこの臭いは……!?」
「くっさ! 腐った卵のような……!」
悲鳴のような声が連鎖する。
それまで『芳醇な花の香り』と認識されていた空気が、一瞬にして変質したのだ。
いや、違う。私の鼻は、ずっとこの臭いを感じていた。
変質したのではない。『認識阻害の魔法』が解けたのだ。
(……なるほど。そういうことか)
私はハンカチをさらに強く押し当てながら、冷ややかに納得していた。
ネマは、これほどの腐敗臭を、完璧な『芳香』として誤認させる高度な魔法を組み込んでいたのだ。
聖女である私ですら、それを『ただの悪臭』としか認識できず、『呪い』であると見抜けなかった。
なんて巧妙で、悪質な擬態技術だろう。
敵ながらあっぱれと言いたくなる。
だが、感心している場合ではない。
魔法が解けたということは、隠されていた『代償』の徴収が始まるということだ。
「い、痛い! 顔が熱い!」
「私の肌が……キャアアアアアッ!」
女性たちの悲鳴が上がった。
ミストを浴びていた女性たちの肌が、文字通り崩れ始めたのだ。
ある令嬢は、ツルツルだった頬が急速に萎び、一瞬にして老婆のように皺だらけになった。
ある夫人は、白かった肌が赤黒く変色し、歪な痣が広がっていく。
まるで、魔法で無理やり生み出された『美の時間』が終わり、利子を含めた反動が一気に押し寄せたかのようだった。
「ひぃっ! 化け物!?」
「寄るな! 俺に触るなあああ!」
さっきまで彼女たちを口説いていた男性たちが、掌を返して絶叫し、逃げ惑う。
美しいドレスはそのままに、中身の身体だけが変わり果てた異形の群れ。
華やかだったパーティーは、ものの数秒で地獄絵図へと変わった。
「う、嘘……嘘よ……!」
その中心で、震える声が聞こえた。
公爵令嬢のエリザ。
彼女は誰よりも多くネマの化粧品を使い、誰よりも深くミストを浴びていた。
彼女が恐る恐る、近くの柱にある鏡を見る。
そこに映っていたのは、もはや人間の皮膚とは呼べない、赤黒く爛れた『何か』だった。
美しかった金色の髪は枯れ草のように抜け落ち、眼球だけが元のままギョロリと動いている。
「いやああああああああああああッ!!」
喉が裂けるような絶叫。
エリザはその場に崩れ落ち、近くにいたシルアレク殿下にすがりつこうとした。
「殿下! 殿下、助けて! 私よ、エリザよ! 美しいエリザですわ!」
「ひっ……!」
周囲の男たちが悲鳴を上げて後ずさる中、殿下だけは逃げなかった。
だが、その手を取ることもなかった。
殿下は私を抱き寄せ、そのドロドロに崩れた手から守るようにして、静かに告げた。
「……哀れだな、エリザ嬢」
「え……?」
「外見ばかりを磨き、内面を疎かにした結果がこれか。君が崇拝していた美の魔女は、君の『美への執着』を利用して、『素顔』を食い物にしていただけのようだよ」
殿下の冷静な言葉が、混乱する会場に響く。
「い、嫌……そんな……私はただ、綺麗になりたくて……」
エリザが涙を流すが、その涙さえも濁った膿のように見えた。
腐臭と絶叫が渦巻くホールの中で、私と殿下だけが、まるで別世界の住人のように佇んでいた。
私の張った聖魔法の障壁が、汚染された空気とミストを完全に遮断しているからだ。
逃げ惑う男性たちの一人が、ふと私を見て足を止めた。
そして、呆然と口を開いた。
「……き、綺麗だ……聖女様」
その言葉を皮切りに、周囲の視線が私に集まる。
厚化粧の化け物たちで溢れかえる中、唯一すっぴんのまま立ち尽くす私。
何の装飾もない、ただ普通の健康的な白い肌。
周囲が醜く崩れ落ちたことで、相対的に私の姿は、まるで泥沼に咲く一輪の白百合の花ように、浮かび上がって見えたみたいだ。
「こうして見ると、なんて美しい……」
「聖女ラフィナ……綺麗だ……」
「俺は、何を見ていたんだ……自然のままが一番じゃないか……」
男たちが……いや、変わり果てた女たちさえもが、私を拝むように見つめている。
さっきまで「地味女」と馬鹿にしていたくせに、勝手なものだ。
それにしても、相対効果とは恐ろしいものだ……。
しかし、比べる事でしか判断出来ないなんて哀れだ。
まったく……こいつらには、自我ってものが無いのか。
自分の確かな意思というものが……。
(いや……1人居た。しかも、私の隣に……)
シルアレク殿下は、彼らを鼻で笑うと、私の肩を抱いて誇らしげに宣言した。
「見ろ。彼女こそが、本物の美だ。偽りの美に惑わされたお前たちには、少し眩しすぎるかもしれないな」
殿下のドヤ顔がすごい。
私は小さく溜息をつくと、エリザの方へと歩み寄った。
「っ……来ないで! 見ないでえぇぇ!」
顔を覆って後ずさるエリザ。
私はその前に立ち、落ち着いて語りかける。
「……言いましたよね、エリザ様。『変な匂いがする』って」
「う……ううぅ……」
私は淡々と事実を告げる。
エリザは反論する気力もなく、ただ絶望に打ちひしがれていた。
これ以上追い詰めても仕方がない。
それに、このまま放置すれば、彼女たちの命に関わる。
「シルアレク殿下」
「ああ、頼めるかい? ラフィナ」
「はい……正直、自業自得だとは思いますが」
私は肩をすくめ、会場全体を見渡した。
「目の前で苦しんでいる人を放っておくのは、聖女の職務規定に反しますから」
私は、右手を高く掲げた。
体内の聖魔力を練り上げ、聖なる光へと変換する。
「『浄化』」
言葉と共に、右手から眩い光が奔流となって溢れ出した。
清浄な光がホール全体を包み込み、充満していた腐敗臭とピンク色の霧を消し飛ばしていった。
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