すっぴん聖女の憂鬱
結論から言うと、この街は臭い。
粗悪な香水と、腐った卵を鍋に入れて、3日3晩煮込んだような臭いがする。
「……くっさ」
私は我慢出来ずに、鼻をつまんだ。
王都のメインストリート……通称『ネマ通り』。
ここは今、世界で最も華やかで、最も美しい場所……とされている。
しかし、私にとっては、最も悪臭が鼻につく、居るだけで吐き気がする場所だ。
かつては、王都の大通りに相応しい素敵なエリアだったのに、今は見る影もない。
と言っても……『私にとっては』だけど。
すべての事の発端は、ここ最近で彗星の如く現れた1人の女性――『美魔女ネマ』だった。
彼女は、魔の森で採れる特殊な天然素材に魔法加工を施し、今までにない高品質な化粧品を次々と開発した。
平民でも手の届くリーズナブルな化粧水から、王侯貴族が競って買い求める超高級クリームまで、あらゆる層に向けた商品は、その劇的な美容効果で瞬く間に女性たちの心を鷲掴みにし、一気に『ネマ』という巨大ブランドを確立させた。
今やネマは『美のカリスマ』であり、女性たちの救世主として、絶大な支持を集めている。
街を見渡せば、右も左もネマ、ネマ、ネマ……。
猫も杓子もこぞって彼女の化粧品を使い、美しくなることを至上の喜びとしているのが今の世の中だ。
正直、最初はどうでもよかった……なぜなら、私は聖女だから。
聖女は『清貧を尊ぶべし』という規律があり、化粧は禁止されている。
なので、「まあ、私には関係ないし……」と思って、無関心を決め込んでいたのだが――。
ブームが過熱し、ネマの化粧品が急速に世の中に浸透するにつれて、無視できない問題が発生した。
臭いのだ。
ネマの化粧品は、とにかく耐え難いほどに臭い。
どうやら、この鼻が曲がるような腐敗臭を感じているのは、私1人だけらしい。
当初は、親切心で「それ、すごく変な臭いがするよ」と何人かに忠告したことがあるが、「貴女の鼻がおかしいんじゃない?」「僻みは見苦しいわよ」と散々に罵倒され、変人扱いされただけだった。
それ以来、私は他人にそのことを言うのを諦めた。
言っても無駄だし、信じてもらえないし、逆に訝しがられるだけだ。
だから、今の私は『聖女の規律があるから化粧をしない』……だけではない。
単純に、あんな汚物のような臭いがするものを、自分の顔や体に塗りたくりたくないのだ。
通りを行き交う女性たちは皆、まるで砂糖菓子のような極彩色のドレスに身を包み、顔にはこれでもかと厚い化粧を施している。
白塗りの肌、不自然に赤い唇、ラメで光る瞼。
彼女たちが動くたびに、強烈な腐臭が撒き散らされ、空気はピンク色に濁って見えた。
彼女たちは、その悪臭を『極上の香り』と認識して、恍惚とした表情を浮かべている。
お金を払って、喜んでゴミを顔に塗りつけている哀れな人たち――いつの間にか世の女性たちを、そんな風に見るようになってしまった。
そうでも思わないと、この臭気をやり過ごせないのだ……。
聖女になってから、『瘴気』の臭いが薄くなって快適に生活出来ていたのに、今度は化粧品の悪臭に悩まされるなんて……。
まったく、世の中とは上手くいかないものだと痛感していた。
「あら、見て。聖女様よ(笑)」
「うわぁ、今日も素晴らしい『手抜き顔』ですこと(笑)」
歩いていると、すれ違いざまに、ご令嬢の方々がクスクスと笑い声を漏らす。
ファンデーションの一塗りもなければ、口紅の一引きもない、ただ水で洗っただけのすっぴんの私の顔を見て、あからさまに嘲笑と侮蔑の眼差しを向けてきた。
「お可哀想……聖女の規律でお化粧が禁止されているから、僻んでいらっしゃるのね」
「その貧乏の極みのような鼻には、この『ネマ様の崇高な香り』が刺激的すぎるのよ。美の感性が死んでるなんて、女として終わってますわね」
好き放題言ってるが、訂正するのも面倒だ……。
貧乏なのはともかく、鼻に関しては本当に病気かもしれないと、お医者さんに診てもらったけど、全く異常はなかった。
つまり私は正常で、ネマの化粧品を臭いと感じるのは自然なことなのだ。
この悪臭を極上の香りに感じられる、あんたらが集団催眠にでもかかってるんじゃないか……と、思う事にしていた。
ご令嬢たちの嫌味を無視していると、前から着飾った男性貴族の集団が歩いてきた。
彼らは、厚化粧のご令嬢たちには愛想の良い笑顔で、「やあ、今日も麗しいですね」とデレデレしてるくせに、私と目が合うと露骨に眉をひそめた。
「……チッ。邪魔だぞ、地味女。せっかく美しい女性たちを目にして、華やいだ俺の瞳が濁る」
「おいおい、よせよ(笑)……一応は聖女様なんだからさ」
「いやいや、化粧もしない女なんて、女としてカウント出来ねえよ。色気も何もありゃしない」
私のことは、まるで道端の石か、犬の糞かのような扱いだ。
今の世の中、男性にとっても『ネマの化粧品』が『女性らしさ』の象徴らしい。
聞くところによると、ネマの化粧品の登場で、女性の容姿レベルが上がって大喜びなんだそうだ。
しかも、私が悪臭と感じるあの香りは、男性にとっては媚薬的な効果があるそうで、ネマの化粧品を使用してる女性に対して、メロメロなるらしい。
なので、化粧をしてしない私などは、まさに『女ではない存在』ということだ。
「まったく……こんなのが王子の寵愛を受けてるだなんて、国の恥だな」
そんな捨て台詞を吐いて、男たちは去って行った。
(はあ……疲れる)
私は小さく溜息をつき、再び鼻をつまんで再び歩き出した。
早く神殿に行って、仕事を済ませよう……ここは空気が悪すぎる。
「――あら。空気が濁ると思ったら、聖女様じゃありませんの」
不意に、金切り声が鼓膜を震わせた。
(うわぁ……親玉に会っちゃった……)
行く手を遮るように現れたのは、ひときわ派手なドレスを着た集団……。
その中心に、煌びやかな扇子を広げた公爵令嬢、エリザが立っていた。
彼女の顔は凄まじかった。
白粉は何層にも塗り重ねられて、まるで仮面のようになっている。
本人はそれを『高級陶器のような肌』と信じているようだけれど、私から見ればひび割れた土壁だ。
「ごきげんよう、聖女ラフィナ様。今日も酷い顔色ですこと。また高貴な香りに酔ってしまわれたのかしら? 免疫のない貧乏鼻には、刺激が強すぎたかしら?」
エリザが嘲笑うと、取り巻きの令嬢たちも「おほほ」と追従する。
後ろに控えていた数人の男性たちも、ニタニタと笑いながらエリザを称賛した。
「エリザ様の香りは、今日も最高ですよ。それに比べて聖女様は……まあ、『無』だな」
「華がない。色気がない。何もない。一緒にいると、エリザ様の輝きが一層際立ちますね」
相変わらず、言いたい放題だ。
私は無表情のまま、エリザの顔をじっと見つめた。
彼女の肌からは、腐臭がより一層濃く放たれている。
「……エリザ様、こんにちは」
「あら、挨拶だけはできるのね」
「相変わらず、そんなに塗りたくって素肌が可哀想……そんなに必死に隠さなくても良いのでは?」
私の言葉で、エリザは仮面のような顔を引きつらせて激昂した。
「何をおっしゃるの! 身体を服で着飾るように、顔をメイクで着飾るのはファッションとして当然のことですわ! 可哀想なのは、あなたの顔よ! 服も着せてもらえず、着飾れず、あまりにも惨めで貧相! 信じられませんわ!」
唾を飛ばす勢いで、捲し立てられる。
価値観の相違……こればかりは仕様が無い。
少なくとも私は、こんな悪臭がするものを顔に付着させるのはごめんだ。
「エリザ様に対して、なんて無礼な態度! まったく、デリカシーのない聖女ですこと!」
「貧乏人には一生縁が無い、ネマの中でも最高級品ですもの。妬むのも無理ないですわ」
エリザの取り巻き令嬢も、私を見下すような視線を向けている。
なぜか皆、『化粧が出来ない聖女が嫉妬している』と勝手に解釈していて、筋違いな誤解だと常々感じていた。
何を言っても、『嫉妬』で片付けられるので、辟易してしまう。
この人らと話していても時間の無駄だと思い、無視して先を急ぐことにする。
一礼して歩き始めると、後ろからエリザの罵倒が、私の背中に浴びせられた。
「くっ! なぜ、シルアレク王子があなたを気にかけているのか理解出来ませんわ! 偶々王妃様を助けたからといって、調子に乗らないでくださる!?」
はぁ……結局、それで因縁つけられるわけか。
その件があるから、余計にエリザを含め、色んな人から反感を向けられているのかもしれない……。
◇
あれは3月前。
王妃様――シルアレク殿下の母君が、原因不明の皮膚病で倒れ、顔が赤く爛れてしまった時のことだ。
国の高名な魔法使いや医師が集められ、こぞって『最高クラスの美容魔法』や『希少な薬草のクリーム』を塗りたくった結果、王妃様の顔はさらに腫れ上がり、呼吸困難に陥ってしまった。
たまたま神殿の使いで王宮を訪れていた私は、廊下で騒ぎを聞きつけ、部屋を覗いて一言告げたのだ。
「……それ、ただの毒花粉のかぶれですよ。何で、そんなのをベタベタと塗ってるんですか?」
私は医師たちを押しのけ、初歩的な解毒魔法をかけた。
魔法薬やクリームを洗い流すと、王妃様の肌はすぐに元の白さに戻った。
その時だった。
ベッドの脇に居た第二王子、シルアレク殿下が、私の手を取ってその場に跪いたのは……。
「……美しい」
「え? あ、はい……王妃様に美しさが戻って良かったですね」
「そうじゃない、君だ。誰もが飾り立てることに必死なこの世界で、君は聖職を全うし、堂々と自然体で輝いている……なんて美しいんだ」
「は……?」
「僕は、仮面を被る人間に興味が無い。……すなわち、素顔で自然体でありながら魅力的な人間に惹かれるのさ。君はまさに僕の理想だ。聖女は『男性と契ることを禁じられてる』と知っていても、この想いは止められない。君の将来の伴侶は、僕が射止めさせてもらう」
キラキラした瞳でそう言われた時、私は「この人、正気か?」と思ったものだ。
王族特有のポエムかと思ったが、彼は大真面目だったらしい。
それ以来、何かにつけて私を構いに来るようになってしまった……というわけだ。
◇
シルアレク殿下との事を思い出していると、私の背後ではエリザの叫びが、まだ続いていた。
「殿下が信じられませんわ! しかも、よりによって今夜の『ネマの新作発表パーティー』のパートナーに、貴女のような化粧もしない地味女を選ぶなんて……! 絶対に後悔するはずよ!」
「そうだといいけど……」
「なっ……その余裕ぶった勘違いっぷりが鼻につくのよ! 今夜のパーティーで、格の違いを思い知らせてあげるわ!」
エリザは捨て台詞を吐き終わると、やっと離れていったようだった。
「はあ……やれやれ」
私は肩をすくめた。
格の違いとやらはどうでもいいけれど、今夜のパーティー会場の臭気を想像すると、今から胃が痛い。
私は再び鼻をつまむと、逃げるように神殿への道を急いだ。
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