酒の獣と罵られた悪役令嬢「味噌汁」に目覚めて劇的に整う。〜クズ王子に『酒でも飲んでろ』と言われたので、断酒してやりました。〜
その日、王宮の夜会は、伝説になった。
原因はただ一人。侯爵令嬢アニエス・リンドバーグ。浮気三昧の婚約者・エドワード王子から、大勢の前でこう罵倒されたのが、始まりだった。
「貴様のようなつまらん女は、一生酒でも飲んで腐っていろ!」
王子は、隣に侍らせた聖女の腰を抱き、鼻で笑う。
かつてのアニエスは、侯爵家の至宝と呼ばれた娘だった。アルコールに手を出す前は、誰もが振り返る容姿端麗な才女で、魔法学においても国を背負って立つと期待されるほど優秀だったのだ。
そんな彼女の素質を、王が見抜いたのが不幸の始まりだった。強引に、女癖の悪さで有名な第二王子エドワードの婚約者に据えられた。聖女と遊び歩く婚約者の裏で、アニエスは一人、王家の公務と責任を背負わされた。王子が失敗する度に、王子は聖女と共に、全てをアニエスのせいにした。
冷え切った関係。報われない努力。精神に支障をきたしたアニエスは、大好きな魔法学に手をつける事もできなくなった。
いつしか彼女の孤独を埋めたのは、魔法の書物ではなく、エドワードに差し出された琥珀色の液体だった。だが、酒量が増えるにつれ、理性は蒸発していった。
泥酔と、極度の疲労が繰り返される日々。 そして、この夜。王子から浴びせられた大勢の前での罵倒が、最後の一撃となった。
聖女の腰を抱くエドワードを横目に、アニエスは片っ端からワイングラスを空け、怒りを飲み干していた。飲み過ぎたアニエスの中で、大切な何かがプツリと音を立てて千切れた。
「上等よぉぉ!!一生分、飲んでやりますわ!!」
アニエスは、会場の隅に置かれた特大のワイン樽をひったくると、樽に浮遊の魔法をかけ、中庭へ猛ダッシュした。そして、天使の彫像が鎮座する噴水に、深紅の液体をドボドボとぶちまけ、高らかに笑った。
「みなさま。ワインの泉が、できましたわ。さあ天使様、あなたにも分けてあげますわ。」
「まあ、なんてこと。」
「酒の獣ですわ。」
集まってきた貴族たちの冷ややかな目線。だが、泥酔した彼女には届かない。アニエスは、真っ赤に染まった噴水にドレスのまま飛び込み、あろうことか天使像に馬乗りになった。
騒ぎを聞きつけたエドワード王子が、聖女を連れて現れる。
「何をしている!聖女の泉になんてことを・・・!その女を捕らえろ!」
王子の号令、殺到する近衛騎士。対するアニエスは、一番乗りの騎士を掴むと叫んだ。
「まあ、いい体してますわね。熟成肉にしてあげますわぁぁぁぁぁぁ。」
ドゴォォォォン!!
アニエスは、酩酊した状態で、得意の筋力強化魔法を唱えた。その瞬間、鮮やかなジャーマンスープレックスが炸裂し、騎士が沈む。最後は、噴水の水を「最高級ワイン」だと思い込んで飲みながら、彼女は白目を剥いて沈没した。
薄れゆく意識のなか、アニエスの脳裏にある光景が浮かぶ。
赤ちょうちん。床に転がるアルコール9%の空き缶。泣き叫ぶ妹の顔。
『お姉ちゃん、死んじゃうよ! もうお酒飲まないって約束して!』
(あ。そうでしたわ。私、前世でもこうやって、お酒に逃げて、死んだのでしたわ。)
これが、昨夜の夜会での出来事であった。
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「・・・ううっ、死にますわ。ここは、どこなんですの?地獄の入り口か、何か?」
翌朝、アニエスを襲ったのは、意識の浮上を呪いたくなるほどの苦痛だった。
冷たく湿った石畳。重い鉄格子。そして、脳をタワシで直接こすられているような、暴力的な二日酔い。だが、肉体の痛み以上に彼女を追い詰めたのは、猛烈な酒鬱だった。
(死にたいですわ。今すぐ原子レベルに分解されて消え去りたい気分ですの。)
断片的な記憶がフラッシュバックする。
天使像にまたがり、ドレスの裾をまくり上げて、倒れた自分。そして、その絶望のどん底で、前世の記憶が完全に繋がった。
(私、前世でも、お酒で人生を棒に振ったのでしたわ。今世でもまた、あんなクズに煽られて同じ過ちを……!)
喉は焼け付くように乾き、胃袋は裏返って痙攣している。ガタガタと震えるアニエスの鉄格子の前に、メイドのニーナが、必死の形相で現れた。
「お嬢様、大丈夫ですか?」
鉄格子の中での主人の姿に、ニーナは震えた手で、白湯と謎の瓶を差し出した。
「これを、お召し上がりください。屋敷からこっそり持ってきました。東方の商人が、最高の滋養だと言っていた・・・その、腐ったような、泥のような・・・物なんですが。」
ガタガタと震える手で、アニエスはニーナに差し出された物を受け取った。
そして、蓋を開けた瞬間――懐かしい発酵の香りが牢獄に漂った。
「え?この匂い・・・?覚えがありますわ。」
アニエスは、差し出された「泥」を白湯に溶かし、一口すすった。
「・・・っ!! 味噌汁ですわぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
五臓六腑に染み渡る旨味と塩気。死にかけていた細胞が、猛スピードで潤いを取り戻していく。
「これですわ。酒で汚れた私の人生を救えるのは、これしかありませんのよ。」
涙を流しながら、味噌汁をすするアニエスの瞳からは、酔っ払いの色は消えていた。
「ニーナ、私お酒をやめますわ。もう絶対に飲みませんことよ。聖女になって、味噌汁を広めますわ(?)・・・とにかく、二度と飲まないって決めましたの!!」
上を向き、目を輝かしながら、アニエスは熱く語った。
「お嬢様、そのセリフ。通算で357回目ですよ。」
いつも断酒宣言に振り回されていたニーナは、1ミリも信じていない様子で、ため息をついた。
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「ニーナ、その味噌を毎日持ってきなさい。今の私は毒でパンパンに浮腫んでいますわ。これを全部、発酵の力で押し流しますの。」
きらきらと輝いた目で、アニエスは、ニーナを見つめた。主人の突然の奇行は、今に始まった事ではなかったが、今度は何か違う。彼女に、どんなに振り回されても忠実な侍女ニーナは、静かにうなづいた。
それからのアニエスは、牢獄の看守たちが、二度見するほどストイックだった。三食欠かさず味噌汁を飲み、質素なバランスの良い食事をし、暇さえあれば重い鉄格子や床を磨き上げた。
「カビ臭いのは嫌よ。でも、この湿度は『菌』を育てるには最適ね。」
不気味な笑みを浮かべながら掃除する彼女に、看守たちは怯えつつも、お裾分けされた「茶色い汁」で、なぜか全員が快便・快眠・健康体になっていった。長年、酒場で浴びるように飲んでいた看守長などは、わずか三日で内臓の重苦しさが消え、数年ぶりに「朝、頭が痛くないという奇跡的な目覚め」を味わったという。
「ア、アニエス様。この『みそしる』という聖水は、一体?」
「ただのスープですわ。ただし、シラフを愛する者にしか微笑まない魔法のものですの。」
驚くべき変化は、投獄から一週間後に訪れた。アニエスは、前世の記憶を頼りに「大豆と塩と魔法」で味噌を研究し、自作した。それは、この国には存在しない、茶色いペースト、すなわち味噌であった。前世の知識と味噌の酵素が、今世のアニエスが持つ潜在的な魔力と共鳴し始めたのだ。
これまで劇薬のような魔導酒でドロドロに詰まっていた魔力回路が、味噌汁によって高圧洗浄され、純銀のように輝き始めた。体内に溜まったアルコール性魔力の汚れが、汗と共に一滴残らず排出される。
そして二週間後。
酒に溺れて醜くやつれた元婚約者を嘲笑いに来た、エドワード王子は絶句した。
暗い牢獄の鉄格子の向こう。そこにいたのは、薄汚れたドレスを身につけているが、廃人どころか、驚異的な透明感の肌を持つ絶世の美女だった。魔力回路が整いすぎた結果、彼女の肌は周囲の光を反射し、物理的に発光しているかのようだった。暗い牢内が、彼女一人の存在で聖堂のように明るい。
「あら、殿下。ごきげんよう。」
アニエスは優雅に立ち上がった。その動作一つ一つに、かつての泥酔令嬢の面影はない。
「な、な、なんだ、その姿は?貴様、魔導酒を隠し持っていたのか。その異常な魔力の高まり、さては禁忌の術を?」
「お酒?いえ、今は結構ですわ。毒水よりも、今は、これですの。ふふ、整いますわぁ~。」
アニエスは、右手で湯気の立つ木杯を傾け、中の液体を一口飲んだ。そして、恍惚の表情でため息をついた。その瞬間、彼女の左手から黄金色のオーラが噴き出し、牢獄の壁にこびりついたカビや汚れが一瞬で消滅した。あまりの神々しさに、付き添いの騎士たちが思わず膝をつく。
「ま、待て! なんだそれは、その魅惑的ななものは。」
アニエスが持つ木杯からは、暴力的なまでに食欲をそそる香ばしい湯気が、王子の鼻腔を直撃した。熟成された大豆の濃厚なコクと、出汁の芳醇な香りが混じり合い、酒で荒れ果てた王子の胃袋をダイレクトに揺さぶる。
「ここから出すから、それをよこせ、アニエス。」
「お断りしますわ、殿下。私、ここの湿度が気に入っておりますの。それに、」
アニエスは、窓から差し込む一筋の光を浴びながら、冷徹な瞳で元婚約者を見据えた。
「――お酒で濁った瞳のあなたとは、世界が違って見えますのよ。」
エドワードの顔が、怒りと困惑で真っ赤に染まる。だが、今の彼にはわからなかった。アニエスが手に入れたのは、単なる美しさではない。
王国の常識を覆す『発酵魔力』という名の、最強の武器なのだということを。
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三週間後、王宮から追放同然で出獄したアニエスは、そのまま辺境の別邸へと送られた。世間はそれを謹慎と呼び、エドワード王子は「廃人になるまでの執行猶予」と嘲笑った。だが、アニエスにとってその一年は、人生で最も贅沢な熟成期間だった。
豊かな土壌で大豆を育て、清らかな水で仕込み、ただひたすらに自分の魔力回路を味噌の旋律に合わせて調律する日々。
「ふふ、いい具合に発酵が進んでいますわ。私の魔力も、この味噌も。」
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そして一年後。
王宮で開催された夜会は、エドワード王子が、アニエスとの婚約を正式に破棄し、隣に居座る聖女との結婚を発表するという噂で持ちきりだった。
「どうせ。今頃、あの女は、酒に溺れて見る影もなくなっているだろう。」
エドワード王子がグラスを片手に勝ち誇った笑みを浮かべた、その時だった。
会場の重厚な扉が、音もなく開かれた。瞬間、会場の空気が凍りついた。
現れたのは、かつての「酒の獣令嬢」の面影など微塵もない、凛としたオーラを放つアニエスだった。彼女が絨毯を一歩踏みしめるたび、その魔力回路から心地よい、どこか懐かしい「癒しの波動」が波紋のように広がっていく。
「……っ!? なんだ、この感覚は……体が、軽い!?」
「ひどかった四十肩が……消えたわ!」
彼女の通過と共に、会場中の貴族たちの肩こりや、慢性的な頭痛が一斉に消失していく。これこそ、極限まで磨き上げられたアニエスの健康魔力の影響だった。
「殿下、一年ぶりのご挨拶に伺いました。」
「あ、アニエス……!? その姿、どうなっている! その肌の輝き、その瞳の澄み渡り方は……!」
動揺してグラスを落としそうになるエドワードに、アニエスは優雅に会釈し、銀のトレイに載った一杯の黄金色のスープを差し出した。
「殿下のお言葉通りお酒をやめたら、こんなに健康になりましたの。代わりに、この一年は、これを頂いておりましたわ。私の魔力回路を極限まで研磨し、大地の恵みを凝縮した――特製、黄金味噌汁ですわ。」
「み、味噌汁だと・・・?それは、牢獄で作っていた、毒物ではないのか?!」
エドワードの隣で、置物のように存在を忘れられかけていた聖女が、焦ったように弱々しい回復魔法を放った。自分の存在を誇示するための、どこか上っ面だけがキラキラとした見栄えだけの光。
しかし、アニエスがスープを一滴、会場の隅で枯れ果てていた観賞花に落とした瞬間、すべてが塗り替えられた。花は一瞬で鮮やかな生命力を取り戻し、あろうことか茎を太く太らせ、大豆の良い香りを放ちながら、見たこともないほど力強く咲き誇ったのだ。
「そういえば、聖女様の魔法は、維持でしたわね。ですが、私の味噌は、再生の力ですの。」
アニエスは、青ざめる王子の一歩前へ出た。エドワード王子の顔色は、昨夜の深酒のせいか土気色で、瞳は濁っている。
「殿下、二日酔いで足取りが、おぼつかないようですわね。一口、差し上げましょうか? 今の殿下には、高価なワインよりも、この一杯の方が価値があるはずですわ。」
「ぐっ……、おのれ……!」
差し出された味噌汁からは、抗いがたい、魂を揺さぶるような滋味深い香りが立ち上っている。かつてアニエスを、酒臭いと罵った王子自身が、今や誰よりも強く、彼女の持つ、健康と味噌の香りに、本能レベルで屈服しようとしていた。
「あら、いりませんの? それでは、この国で本当に『整いたい』と願う方々のために、私はこの力を振るうことにいたしますわ。」
アニエスは完璧なカーテシーを見せると、未練など一欠片もない足取りで、光り輝きながら会場を後にした。
残されたのは、強烈な味噌の香りと、二度と手に入らない至高の健康を逃したことに気づき始めた、哀れな男の絶叫だけだった。
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結局、エドワード王子はその場で、長年の極度の不摂生がたたり倒れた。王に頭を下げられ、仕方なしに介抱しようとしたアニエスが、慈悲(という名の実験)として口に流し込んだのは、自身の魔力回路を逆流させた「超・激辛デトックス魔導味噌汁」だった。
その効果は、まさに劇薬。王子は三日三晩、王宮のトイレから一歩も出ることができず、文字通り身も心も(物理的に)すべてを出し尽くし、スッキリしすぎて魂が抜け殻のようになってしまった。
「・・・もう、何もいらぬ。酒も、王位も、欲望も。俺はただ、白い粥が食べたい。」
すっかり悟りを開き、枯れ木のようになった王子は、自ら廃嫡を申し出たという。一方、婚約破棄から解き放たれたアニエスは、数々の貴族からの縁談を、お味噌汁を理由に断り続けた。
「今の私には、殿方よりも大切なものがありますの。それは、この国の人々の健康ですわ。」
彼女は、謹慎中に溜め込んだ資産を元手に、『発酵の女神』を設立した。アニエスが監修した「魔力を込めた即席味噌汁」は、一杯飲むだけで二日酔いが消え、視界がクリアになると評判になり、冒険者から過労気味の官僚までが列をなした。
さらに、塗るだけで物理的に肌が光る「魔導麹パック」は、王都の貴婦人たちの必須アイテムとなり、アニエスは瞬く間に大陸一の富豪へと登り詰めた。
数年後の、ある朝。
王都を一望できる屋敷の最上階テラスで、アニエスは特注のマイお椀を手にしていた。具材は、前世で一番好きだった豆腐とわかめ。奇抜な魔法具ではない。シンプルを極めた、究極の一杯だ。
「お嬢様、お忙しいところ失礼します。隣国の皇太子様から、九十九度目の求婚届が届いておりますが。」
秘書兼右腕となったニーナが、苦笑いしながら書類を差し出す。アニエスは書類に目もくれず、静かに答えた。
「お出汁から、やり直してきて、と伝えてちょうだい。ニーナ。誠実さの足りない愛の言葉なんて、私の胃が受け付けませんわ。」
「かしこまりました。・・・皇太子様、また昆布を買いに走るのでしょうね。」
アニエスはお椀を口に運び、ズズッと心地よい音を立てて啜った。五臓六腑に染み渡る、慈悲深い旨み。かつて酒に逃げ、泥酔の霧の中で自分を見失っていた頃には決して味わえなかった、静寂と充足感。
「あぁ……整いますわ。」
かつて王宮の噴水にワインをぶち込み、酒の獣と呼ばれた悪役令嬢は、今、世界中の人々の疲れと後悔を、黄金色のスープで洗い流し続けている。
「ニーナも、お酒は、ほどほどになさい。明日の朝、美味しいお味噌汁が飲みたいなら。」
そう言って悪戯っぽく笑うアニエスの肌は、朝日を浴びて、誰よりも、何よりも美しく輝いていた。
(おわり)
初めまして。初めての投稿で、緊張しています。
右も左もわからない状況ですが、見守って頂けると嬉しいです。よろしくお願い致します。




