梅3
長い黒髪を夜会巻きでまとめ上げ、梅の着物にそでを通し、金色の帯を締める。
部屋から出ると、母専属のメイクアップスタイリストが立っていた。
普段ほとんど化粧をしない私にとって、まったく接点はなく、挨拶しかしたことがない。
「由紀子様から、お嬢様にもお化粧を施すよう申し付かりましたので」
「……口紅くらいで、いいではないでしょうか?」
私は化粧が嫌いだ。ただでさえ、息苦しい生活を強いられているのに、化粧までしたら、本当に呼吸できなくなるような気がするからだ。何とか回避する方向にいきたかった。
「お母さまからの言いつけですので」
やはり私に拒否権などなかった。
分厚くファンデーションを塗りたくられ、マスカラに、アイライン、口紅にチーク。
鏡に映った私は、完全に別人になっていた。
家の前に止まっていた車に、乗りこむ。行先は知らない。イベントさえ乗り切れればそれでいいのだから、知ろうとも思わない。
しかし、たどり着いた場所は予想とは少し違う場所だった。
都内にひっそりと佇む趣のある隠れ家日本家屋。
会食といえばホテルの華やかな会場を貸しきって行うのが常であるのに。
料亭の前に車が止まり、私は促されるままに外へ出ると、私とは別の車に乗っていた母が先に料亭の門の前で、やはり同じ梅柄で、黒基調の着物で待ちかまえていた。いつも会食といえば兄もついてくるのだが、今日は母一人だ。
それもあって、余計にこの場所は違和感しかなかった。
「あの、今日の会食はどういったものなのですか?」
私の質問を打ち消すように、ガラリと門の引き戸が開いた。
「影山様ですね? 御待ちしておりました。岩国様は、先にいらっしゃっておりますので」
着物を着た白髪交じりの髪をまとめた女将さんがほほ笑む。
岩国といえば、岩国ホテルグループの名前が思いつい。
国内ナンバーツーの特に関西圏に強い全国規模のホテルグループ。一方、影山グループは、関東での知名度は高いが一歩外へ出てしまえば、無名に等しい。岩国グループ比べてしまえば、子どもに等しい。
そんな岩国グループであるが、関東圏では集客力に欠けると言われている。
それ故、数年前、岩国グループが関東圏に強い影山グループを買収という噂が流れたことがあった。当時、母が大いに憤り荒れていたから、よく覚えている。
当時は噂に過ぎなかったが、現実と成りつつあるのかと頭に過ったが、プライドが高い母が身売りするなど、考えられない。
まぁ、どちらにせよ、そんな両者が会う目的は、仕事の話以外にないだろう。私が詮索しても、意味のないことだ。
女将さんに先頭されて建物中へ入っていく。
美しく手入れされた日本庭園。その庭に植えられたソメイヨシノは、満開を向かえていた。その美しさを横目に、外廊下を歩いていく。長い廊下の真ん中の部屋の前で止まり、頭垂れながらすっと障子に手をかけ開かれた。
広々とした和室には、テーブル席。梅の花が生けられた床板を背にして、座している三人がいた。
母と同じ年くらいの白髪の男とその妻であろう女性。さらに奥に、息子らしき男が座っていた。息子の両親は、こちらへ顔を向けて微笑んでいる。一方の息子らしき男は、無表情で、そっぽを向いていた。
周りを見渡しても、他に人がいるような気配なく、私たちも合わせて五人だけのようだ。
提携の話をするにしても、普通は事務方を置くはずだ。そうなるとこの人数は少なすぎる。一時落ち着いていた違和感が色濃く吹き上がってきていた。
「あの、お母さま。これはどういう会なのでしょうか」
入り口でした質問を母の耳元で囁くと、面倒くさそうに言い捨てた。
「会社の会食とは言ってないでしょ」
「プライベートということですか?」
「そう」
すんなり頷く母に、私は目を丸くすることしかできなかった。個人的な会食にどうして、私が駆り出されるのか。いつも特別親しい相手との会食には、私ではなく兄を連れて行くのに。
母は敷居を跨ぐと、うるさいくらいよく通る明るい声でいった。
「お待たせして申し訳ありません」
「いえいえ、我々も今こちらに来たところです」
白髪の男性が、にこやかにいうと、母が私の横に戻ってきて、背中を押していた。強制的に部屋に入れられ、逃げ場を塞ぐように障子が閉じられると、さっそく会社の話で盛り上がっていた。
「先日、岩国グループのCM拝見いたしましたよ。佐藤蓮。私でも知ってますよ。大々的に国民的俳優を使ってくるとは思いませんでしたよ」
「実のところ、私は反対だったんですよ。佐藤蓮という若い俳優は。それよりも、私が昔からあこがれている名脇役の俳優を起用したいと、主張したんです。しかし、広報に、古いと却下されてしまいました」
ははと大きく笑う声を聴きながら、うっすら思い出す。
その名前。
高校時代、みんな盛り上がっていた俳優の名前だ。
その後、どうなっているかは全く知らないが、まさか無関係そうな場所でその名前が出てくるとは思わなかった。岩国グループ社長であろう白髪の男性は、満面の笑みだった。
「ドラマの撮影がうちのホテルが舞台となっていましてね。彼とも直接会ったことがありますが、なかなかの好青年でした。その縁もあって今回、CM起用したんです。いや、これが想像以上の反響で、こちらも驚いているところです」
「羨ましいですわ。うちも早く岩国さんに食われないようにしないといけませんわね」
母は心からの羨望の眼差しを向け、嫉妬の牙を向けていた。未だにあの時出た買収の噂が尾を引いているのだろう。
きっと頭の中では、どうにかして、岩国グループを蹴落としたい。そんなところだろう。
「はは。今さら、影山さんを食おうだなんて考えていませんよ。これからは、穏便にいい関係を作ろうじゃありませんか」
岩国が笑いながらそういうと、母はまさかと笑っていた。バチバチやり合う二人に、隣に座っていた彼の妻が口を挟んだ。
「お二人とも。今日は、仕事とは関係ないでしょう? 話は今度にしましょう。今日の主役は、お若い二人ですよ」
指摘されて、母は我に返る。そして、わたしをみた。満面の笑みを浮かべている。
背筋がゾッとした。
白髪の男性は、仕切り直しとばかりに、私へ向き直って頭を下げた。
「私は、岩国ホテルグループの取締役の岩国雄三です。こっちがせがれの岩国春樹です」
「どうも」
ずっとそっぽを向いていた春樹は、この時初めて顔を向けてくる。相変わらず愛嬌を振りまく気も、興味もなさそうだったが、不思議と嫌な感じはしなかった。
髪はツーブロックで、今時の若者という雰囲気だが、妙に品がにじみ出ている。
色白面長の小さめな切れ長の瞳は、淡々としている。
主役は私たちという意図が読めないし、困惑は消せないが、何とかいつも通り建前の笑顔を作る。
「影山紅羽と申します」
ゆっくり首を垂れると、女性の感嘆の声が上がった。
「私は、春樹の母。岩国芙紗子です。……お綺麗になられて」
しみじみとうっとりといわれる不快感しかなかったが、笑顔を振りまく。
「実は、あなたは春樹さんと初対面じゃないのよ?」
母がにこやかにいうと、雄三は顔を綻ばせていた。
「そうなんですよ、紅羽さん。十年ほど前の我々の経営しているリッチホテルのパーティで、会ったことがあるんですよ。当時はまだ、二人とも小学生くらいでしたかね」
「そう、そう。懐かしいわ。二人とも恥ずかしそうに挨拶していた姿が、とても初々しくて。柄にもなく春樹がお花を贈っていたの。よく覚えているわ。それから、二人とも素敵な大人になって」
芙紗子が、しみじみいう。脳を刺激されるが、うっすらとそんなようなことがあった気がする程度しか思出せなかった。それ以上に、どうでもよかった。思わず顔がゆがみそうなのを隠すために頭を下げる。
「こんなに素敵な娘さんになられて、せがれには、もったいない。なぁ?」
「本当に」
もったいない? 私の心のざわめきとは真逆に、岩国の両親は顔をしわくちゃにして、目がなくなるほどの満面の笑みを浮かべていた。一体、何の話をしているのだろう。
耐え切れず眉間に深い皺を寄せて非難を込めた視線を母へ送る。もちろん何も答えてはくれなかった。ただ、微笑みを浮かべているだけだ。
手に持ったバッグを握りしめて、息を吸い込もうとした時、横で母がさらりといった。
「紅羽は、春樹さんと結婚するのよ」




