あざみ6
ホテルへ戻るバスに俳優陣が次々と乗り込んでいく。湊は、相変わらず人に囲まれと話し込んでいた。相変わらず人に囲まれている佐藤蓮は、ずっとキラキラ輝いている。ずっとその姿を見ていたかったけれど、バスの出発時刻は過ぎている。
「蓮さん、そろそろバスが出発しますので、そのくらいで」
私が声をかけて、初めてバスを待たせていることに気づいたようだった。慌てて周囲へ挨拶して、バスの方へ一緒に走る。
「蓮さん、今日まで本当にお疲れさまでした。何事もなく、無事に終えられてよかったです」
大自然の空は、都会で見るものとまるで違っていた。
不純物のない夕暮れの茜空は、世界中の美しいという意味の言葉をいくらかき集めても足りないくらいだった。
私は思わずにはいられなかった。このまま時間が止まってくれればいい、と。
生きてきた中で、非現実的な願いなど一度も掠めたことなかったけれど、初めてそんなことを思う。そうすれば、こうやって、湊と一緒にいつまででも走り続けていられるのに。
「最後にやっちゃいましたけどね」
そういう彼は、いつも朝起こすのに苦労する普通の天野湊に戻っていた。
一日の終わりを告げる燃えるようなオレンジ色が、最後の輝きを放っていた。
その光が、湊の横顔を映し出していく。
「湊さんが見せてくれた景色、私は一生忘れません」
山の奥に日が落ちて、空の色はあっという間に群青色に変わっていた。
私の声は、その中に落ちて消えていく。
鮮明に見えていた湊の顔も、もうはっきりとは見えない。ほんの少し目を大きくしたような気配だけが、伝わってくる。
「ただ、素直な気持ちを伝えたかっただけです」
そう付け足したところで、ちょうどバスの前に到着していた。バスのドアは開いたままで、湊のことを今か今かと待ちわびていた。バス車内は、電気が灯っていて、その周辺だけ白い光で照らされていた。そこに湊の明け透けな表情が浮かんでくる。
形のいい双眸の中にあるきれいな瞳をほんの少し揺らしながら、真っすぐ私を見つめてくる。
出会ったのは、つい最近のことで昔の湊のことを私は知らないけれど、子供の頃からきっとずっと変わらず、こんなきれいな瞳をしていたのだろう。そのくらい透き通った瞳だった。
「このあとは、打ち上げですね。楽しんでください」
私はにっこり笑って、立ち止まってしまっている湊を中へ促す。
バスの運転手の視線は、湊に注がれていた。早くしてほしい。そう言っている。
「蓮さん、みんな待ってます。早く乗ってください」
「まつりさんも参加ですからね」
湊は、すごく真面目な顔をしてそんなことをいう。
「はい、勿論です」
私は笑顔で頷くと、少しだけ安心した顔をして、乗り込んでいく。中で座って待っていた人たちへ湊が謝りながら、席を探す。空いているのは、最後列。リコの隣だった。着席すると同時に、ドアがシューっと音を立てて閉まる。
しきりにリコが湊へ話しかけているようだった。前に座っている川島もその中に入っているようだった。
何か相槌を打ち始めている。エンジンが唸を上げた。ゆっくりとバスが動き出す。
湊が、ふとこちらへと顔を向けて、目が合う。私は微笑み手を振る。湊は、何か言いたそうな顔をして手を挙げて応える。
そして、バスの赤いテールランプは、あっという間に闇の奥へ消えていた。
湊が行ってしまえば、世界から一人だけ取り残されたような気分になっていきそうだった。
上を向けば、星がうっすらと輝きだしていた。まだ空にはほんの少しだけ、太陽の気配が残っていたせいで、光は小さい。
願いを託すには、あまりにも頼りないそんな星だった。
「鈴木さん、お疲れ様です」
佇んでいると、後ろから声がかかった。飯塚だった。
「やっと終わりましたね。お疲れさまでした」
「ほんとうに、やっと」
「そういえば、今朝まつりさんがバスの席をリコさんに譲ったでしょ? それで、私が隣になったんです。リコさんのことだから、スタッフのバスで相当不機嫌なんだろうって思ってたら、びっくりするほど上機嫌で驚いたんです。まつりさんから席を譲ってもらったからなのかな……ちょっと、不気味なくらいだったんです。何でだろう」
それは、私の弱みを握れたからなのだろう。
それ以外に理由はない。
「あ、打ち上げか! 酔った勢いで、蓮さんに抱きつくとか、そういうの考えているのかも」
それもあるかもしれない。リコなら、梓ならやるだろう。
それを止めるのは、私の役目。そうなればどうしても、リコと接触することになる。その時、彼女は何を言うのだろう。
昔のように、私のことを罵って、うろたえる私を見て、笑いものにしたいのかもしれない。
何をされたって、かまわない。私は、昔とは違う。
私には、守りたいものがある。
そうして、打ち上げが始まった。
長いテーブルが数個に分かれている。その一つに蓮たち俳優陣と一部のスタッフがいた。
蓮の周りには、当然人が集まっている。その横には、やはりリコが張り付いていて、反対側には川島がいた。
私は、スタッフの輪の中に入っていた。
そして、始まって数分もしないうちに、リコの声が会場の喧騒をかき分けて甲高く響いた。
「カゲ! こっち来て!」
私の方を向いて、全身で手招きしている。すべての注目の的となりながら、私は言われるがままにリコの方へ足を向けしかなかった。私は、どんな方向から矢が射られてもいいように、息を吐く。
リコの真正前に立つ。湊がかなり驚いた顔をしていた。なぜ、カゲと呼ぶのか。その種明かしをするように、リコは私の横に回ってきて、両手を私の肩に手を乗せた。
「実はね、私とカゲは、高校の同級生なの」
湊の長いまつ毛が上向く。隣にいた川島は「え!」っと声を上げていた。
「そうなんですか?」
リコを警戒しながら、湊は私に確認してくる。
「はい」
分厚い壁を作って凍らせてしまえば、どんな衝撃にも耐えられる。その覚悟が堅い声となっていた。
湊にもそれが伝わって伝染させてしまったのかもしれない。緊張を孕んだ顔つきになっている。
「再会がうれしすぎて、高校の時カゲが着ていた服の色違いをつい衝動買いしちゃったのよ」
「そんな昔のこと、よく覚えてんな……怖っ」
川島が、引いて目をむいている。
それは、私の前でリコがこの服を見せたときに、思ったことと似た種類の驚きだ。
高校の時、確かに私はリコと同じ服を着ていた。周囲とは浮いた服装のせいで、みんなの話題には上りはしたとは思うが、すぐに素通りしていったはずだった。少なくとも、リコを執着させるような出来事はなかった。
ならば、どうして今更。そんな疑問の渦の中へ飲み込まれそうになるが、そんなことは後回しだ。
何よりもこの場の視線すべてが私とリコに集まってしまっている。ここは、湊たちが主役の場だ。
せっかく盛り上がっていた空気を、私のせいで壊してはいけない。
「リコさん。私的なお話があるのならば、外へ出ましょう」
私は、リコの腕をとり促す。抵抗されるかと思ったが、リコは私を見てにっこりと笑った。意外なほど素直に、立ち上がる。
湊も、一緒に腰を浮かせようとしていた。それを私は手で「二人だけで」と、まっすぐ言って制すると湊はすかさず、口を開こうとする。
その口を塞ぐように、突如リコが私の手を振り払った。私は目を見開きリコを見やる。
リコは、私の存在を忘れたかのように、後ろにある会場の入り口の方へ振り返っていた。
両手を高く上げて、ぴょんぴょん飛び跳ね始める。
「こっちです!」
規則正しく飛び跳ねる振動に合わせるように、私の心臓は鈍い音を上げていた。
飛び跳ねるリコは、これまで見たことがない満面の笑み。
それが、ずっと何を意味するのかわからなかったが、会場に入ってくる独特なすり足の気配。着物を着ている人の足音だ。それで、すべてを悟った。
頭が真っ白になるのに、心は嵐のように吹き荒れて、かき乱していく。心臓が痛みを伴い悲鳴を上げていた。
ただそこに立っているだけなのに、息が上がっていく。成すすべはなかった。気づくのが遅すぎた。
私のすり足が私の真後ろで、止まる。乱れた着物の袖を直したのか、布が擦れる音がした。私の頬を梅の香りが撫でた。
「この度は、当ホテルをお使いいただきありがとうございました」
そして、決して大きくはない影が、私をすべて覆っていった。
「わたくし、当ホテルグループ代表の影山由紀子と申します」




