エーデルワイス2
切り替えも、プロの技というやつなのだろう。
湊は、五分で、身なりを整えて家を出るときはいつもの完璧な姿だった。
湊は運転席へ、その隣の助手席に私は乗り込んだ。車の中では、湊は終始謝り通しだった。
「すみません……迷惑かけて」
「いえ、間に合ってよかったです」
「紅羽さんの仕事初日はせめて、ちゃんとしなきゃって思ってたんですけど、どうにも朝が苦手で……」
眉を下げて、気まずそうな顔を見せる。そんな湊の表情も、初めてだった。つい、ふふっと笑ってしまう。自分の失態を笑われたと思われたのか、さらに謝罪を加えてくる。
「本当に、すみません。呆れますよね」
「いえ、違うんです! 笑ってしまったのは、嬉しくて。実は、湊さんにも苦手なこともあるのだと知れて。ずっと湊さんは、非の打ち所がない完璧な方だとばかり、思っていたので、なんだかほっとしました」
運転する湊から、ちらっと視線を向けられる。
今の気持ちのままににっこり微笑むと、湊は照れくさそうに笑って、また前を向いていた。
駐車場に車を止めて、お互いの呼び名を確認し、準備万端で建物中へ。そのまま稽古場の部屋の前へ。
ドアの向こう側は、俳優や監督だけの空間になる。湊への付き添いはここまでで、終わるまで待機となっている。
行ってらっしゃいと、送り出そうとしたら、後ろから「蓮、お疲れー」と親しげ声が追いかけてきていた。
湊の首に腕が巻き付く。それを湊は「暑苦しい」と振りほどいていたが、心底嫌だという雰囲気はなかった。むしろ、笑顔を見せている。二人の仲の良さが伺えて、微笑ましかった。
振りほどかれた男性は、冷たい奴だと文句をいって、目にかかった金髪をかき上げていた。特徴のある切れ長の瞳だ。それが、こちらへ向けられる。
「お? もしかして、お前にもとうとうマネージャー付いたの?」
急に質問されて驚きながらも、粗相のないように、丁寧に頭を下げる。
「初めまして。蓮さんのマネージャをすることになりました「鈴木 まつり」と申します。どうぞ、よろしくお願いいたします」
「へぇ。初々しいねぇ。俺は、まぁ知っての通り。俺」
そういって、ピースサインしてくる。いちいち名乗らなくても、知ってるだろう。そんな省略するような雰囲気を出してくる。
せめて、ちゃんと顔や名前を予習してくるべきだった。目が泳いでしまっていると、湊が説明を加えてくれていた。
「こいつは、川島光っていうんです。同じ事務所で、僕の同期なんです。この後のドラマも共演しているんですよ」
湊の説明に川島は、俺のこと知らなかったの? という顔を一瞬されたが、意識は違う方へ向いたらしい。すぐに湊へ訝しんだ視線を送っていた。
「マネージャーにどうして、敬語なんか使うんだよ?」
湊は、あまり意識していなかったようで、自然とそういう話し方になっていた、という。
そういえば、私自身も、全然気にしていなかった。
私のせいで、湊が変に思われては困る。
「川島様のご指摘の通りです。私は、マネージャという立場ですので、蓮さんは、どうぞ普通にお話になられてください」
鼻息荒く進言すると、川島は湊へ行っていた視線を、私へ戻して、まじまじと見られてしまう。
「こっちは、随分な丁寧語だな」
指摘されて、初めて自分の話し方がおかしいことに気付くが、長年ずっとこれだから今更直しようもない。
「私は、ずっとこんな感じなので。聞き流していただけると、有難いです」
頭を下げると、にやにやした笑顔を向けられる。好奇心という名のそれだ。
「へぇ。なかなか面白い人なんだ」
興味が沸いたという川島の背中を、湊が睨み付けて、ぐりぐり押していた。
「時間だ。行くぞ」
「なんだよ、邪魔しやがって」
確かに時間は迫っている。私も「行ってらっしゃい」と声をかけると、川島はちっと舌打ちをして「じゃあ、また」といって、踵を返していた。
「お二人とも、頑張ってください」
二人の背中へ声をかけると、湊らしく白い歯をみせて、爽やかに手を挙げる。一方、川島は熱量高めで、全身で両手いっぱいに手を振り返してくれていた。
湊とは、全然違う雰囲気ではあるが、悪い人ではなさそうだ。
ドアが完全にパタリと閉まるったところで、ほっと息をつく。
さて、どこで待っていようか。そんなことを考える暇さえも与えてやらないとばかりに、その後はスマホに着信の嵐。
打ち合わせに関すること、出演オファー、映画の話……聞いたことをメモに取って、頭へ叩き込むことに必死だった。
それは、湊たちが稽古を終えるまで、絶え間なく続いて、気を抜く時間などなかった。
そして、稽古場のドアが開き、ぞろぞろ人が出てくる。邪魔にならない場所で、湊を待っていても、なかなか見つからなかった。もしかして、見過ごしてしまっただろうか。そわそわし始めたところに、川島が元気に手を振って私のところへやってきていた。
「お疲れ様です」
声をかけると、川島は気のいい笑顔を見せてくれる。
「蓮の奴は、監督につかまってるよ。あいつは、大抵誰かしらに掴まるから、のんびり待っておけば大丈夫だぜ」
「わざわざ、ありがとうございます」
頭を下げて腕時計を確認する。次はドラマの現場へ行く予定で、ここから送迎が出る。
まだ、時間があるから焦ることはないだろう。そこに、また電話がかかってきた。
「じゃあ、俺先に車に行ってるわ」
「はい! また、よろしくお願いします!」
電話に出てから、そう時間はかからず、湊が出てきた。しかし、電話の相手がなかなか切ってくれない。電話しながら頭だけ下げると、湊がそのまま行きましょうと合図をしてくれて、車に乗り込む。ワゴン車の後部座席にすでに川島はが座っていて、その隣に湊、私はドアから一番近い席に座る。
電話の拘束から解放されたのは、だいぶ時間が経ってからのことだった。ふうっと息をついて、湊と川島は仲良さそうに会話しているのを耳の端でききながら、忘れないように聞いたことをメモしていく。そこに、後ろから、まつりさんと、声が飛んできて、振り返る。
「電話、全部真面目に対応しなくても、時々スルーして大丈夫ですよ」
「蓮の言う通りだ。この業界はみんな強引だから、全部聞いてたらきりがない。社長なんて、かかってくる電話の半分以上は無視してたもんな?」
川島がいうと、湊はそうだという、相槌をうつ。
「あまり根つめてると、身体もちませんよ?」
二人とは全く違う立場の私に、気遣われて申し訳なくなってしまうが、とても有難い。
「お二人とも、お気遣いただき、ありがとうございます」
その後も、楽しそうな二人の会話が車内に響く。湊が静で、川島が動。そんな感じだ。それなのに、息がぴったりで、二人の会話を聞いているだけで、つられて笑ってしまう。
「本当に仲良しなんですね」
感想を漏らすと、川島が首をふっていた。
「……そりゃあ、上部だけだな。俺は、常日頃蓮を妬みまくってるんだ」
川島がぶすっとした顔をすると、湊は微妙な顔をしていた。
「ここは、競争社会そのものだ。そこに飛び込む奴らは、みんな自分が一番になりたいと思ってやってきている奴が多い。俺もそのうちの一人。でも、蓮はそういうタイプじゃない。それなのに、ドラマも、映画も、CMも、どこもかしこも、蓮ばかり求める。だから、俺はいつもムカついているんだよ」
肩を小突かれてる湊は、やはり複雑な表情を浮かべる。それを睨む川島は、苦々しく口を開いていた。
「なんで、こんなのほほんとした奴に勝てねぇのか、わかんねぇ。理解できないが、いい奴だから恨むこともできない。そんな中途半端な立ち位置にいる俺だから、ダメなんだろうな。もう湊の背中さえ遠すぎて見えねえ。俺って、本当に情けねぇ人間に成り下がっちまったよなぁって、思うよ」
本音をさらりといえてしまう川島のどこが情けないのだろう。私には、疑問しかなかった。
「どこが、情けないのでしょうか?」
そのまま声に出ていたことに気付いたのは、目を瞬かせている二人の視線が、私に集まってからだった。
しまった、という後悔が脳裏を掠めたが、止まらなかった。
「……人は、なるべく強く見せようとする生きものです。虚勢を張って、態度を大きく見せて、どうにかして自分は強い人間だと周囲に見せつけたがる。……少なくとも私の周りでは、そんな人が大半で、必死になっている人たちばかりでした。そして、絶対に自分の弱さを認めようとしない。それを指摘しようものならば、激怒していました。そういう方々の方が、よっぽど情けないと、私は思うんです」
そういう人間は、例外なく周囲に傲慢な態度を取っていた。どうして、そんなことをするのかと言えば、本当は自分は小心者で、情けない人間だと知られたくないからだ。母や兄はその典型だ。
「川島さまは、そうじゃありません。自分の弱さを認めて、弱音を吐ける。それって、なかなか出きるものではない。そして、そういう方こそ、この先伸び代しかないとのだと、思います。だから、全然情けなくなんか、ないです」
二人の瞳が更に目が丸くなっていると気付いたのは、力説してしまった後だった。
二人の唖然とした空気から、一気に現実に引き戻される。急激な羞恥心と申し訳なさが噴水のように吹き上がっていた。
「ごめんなさい! ……私はなんて、偉そうなことを!」
叫んだと同時に、車は目的地へ到着して車のドアは開いていた。外から新鮮な空気が吹き込む。
「お疲れ様です!」
現場で待ち構えていたスタッフから、威勢のいい声がかかって、一番ドアから近いところに座っていた私が最初に降りる。
地面に降り立った頭の中は、何て失礼なことをいってしまったのだろうという、後悔と焦りでぐるぐる回っていた。
しかし、川島は思いの外上機嫌。
感謝の言葉と頭を撫で回されていた。束ねた髪が乱れる。怒ってなかったと、ホッとする。
その後、降りてきた湊は、私の顔をみると、何か言いかけて口を閉じる。やっぱり、でしゃばりすぎたことを怒っているのかもしれない。微かな不安が過ったところで、湊は気を取り直したように言う。
「それでは、行ってきます」
「はい! 蓮さん、行ってらっしゃい」
笑顔で送り出す。湊は、これまで何度かみたことのある少し困ったような笑顔を浮かべていた。撮影場所は、閑静な住宅街。よく晴れていて、清々しい柔らかな太陽が、降り注ぐその中を一直線に進んで、待ち構えているスタッフたちへ挨拶しに行く。
そこに、湊をみたいと待ち構えていた人たちから、キャーっと歓声が上がっていた。手を上げて応える湊は正に、太陽よりも輝きを放つスターそのものだった。眩しくて、目を細める。いくら憧れても、手を伸ばしても絶対に届かないものをずっと遠くから眺めているような感覚になる。
ぼんやりと湊を眺めていると、また手の中のスマホが震えていた。




