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願わくば一輪の花束を  作者: 雨宮 瑞樹


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エーデルワイス

 早朝に目覚め、カーテンを開ける。眩しさに目を細める。幸先のよさを感じさせる気持ちのいい真っ青な空だった。夏はもう近い。

 今日は、秘書役として初めての出勤だ。窓を開けて、緊張感を吐き出して、肺いっぱいに新しい空気を取り込む。気合を入れて、支度にとりかかった。

 昨日の別れ際に小早川社長から、この部屋にあるクローゼットの中身は、化粧道具から洋服、靴、必要なものは全部そろっているから、使っていいといわれていた。昨晩寝る前に、必要そうなものを確認しておいた。その部屋から化粧品、スーツを持ち出し、洗面所へ向かう。

 顔を洗って薄めの化粧を施す。グレースーツに、袖を通してしまえば、腕の傷は綺麗に隠れてくれた。腕時計を付ける。自然と背筋は、しゃきっと伸びる。ショートヘアのお陰で、さっとヘアセットを終わらせて、トーストにジャムを塗りコーヒーを飲み終えた。

 予定表をもう一度確認する。

 午前八時半から稽古場で打ち合わせをして、その後はドラマの撮影現場へ行く予定となっている。

「ともかく、湊は寝起きが異常なほど悪い。早朝からの仕事は、本当に起きないから、覚悟しろ」

 小早川から、何度も言われていた。


 心配になって、湊側の壁に耳を当てる。

「出発の四十分前になっても、隣の部屋から物音がしなかったら、要注意。その時は、まず電話。それでも無反応なら、迷わず部屋に乗り込め」

 小早川に更にそう言われていたが……。さすがに、男性の部屋に勝手にずかずか入っていくのは、勇気がいるし避けたいところだ。今はまだ、出発一時間前だ。残り二十分ほど猶予があるし、今日は早朝というほど早い時間ではない。湊も明日は必ず起きますと、意気込んでいた。

 湊がそういうのなら、大丈夫。心配ないだろう。 

 そう思っていたのだが……。

 いつまで経っても、静寂のまま。とうとうその時間が訪れてしまっていた。

 ソワソワしながら、仕事のスマホを手にして、モーニングコールをかける。

 三回目のコール音で、電話に出てくれて、ほっと胸をなで下ろす。

 

「おはようございます」

 眠そうな声だったが、電話に出てくれた。

 あんなに何度も、湊は寝起きが……といっていたのは、社長が大げさに言っていただけなのだろう。

「朝の準備お願いしますね。朝食は、大丈夫ですか? もしよかったら、おにぎりでも作って持っていきますが」

「助かります」

 相変わらず眠そうな声だが、ちゃんと起きているから問題ないだろう。自然と、ほっとした笑みが溢れた。

「じゃあ、もう少ししたら、お持ちしますね」

「ありがとう。じゃあ、またあとで」

 返答する湊の声は、もやもやっとしたような霧のかかるような音色。そして、電話はプツリと切れていた。

 電話が切れた途端、不安が過ったが、ちゃんと受け答えできていたし、やっぱり問題ないだろう。

 早速作業にとりかかった。せっせとおにぎりを作って、必要なものをまとめたバッグを持ち、部屋を出てカギをかける。そして、湊の部屋のインターホンを押す。しかし、無反応。

 何度押してみても、やはり反応がなかった。腕時計を見やる。出発の予定時間の十分前だ。

 一気に不安が押し寄せて、ドアをノックする。


「湊さん? 紅羽です。大丈夫ですか?」

 声をかけても、やはり応答なしだった。嫌な予感がする。ゴクリと固唾をのむ。勝手に人の部屋に入るのは憚られるが仕方ない。

 小早川から預かっていた湊の部屋の合鍵を使って、思い切ってドアを開け、中に入った。 

「あの……お邪魔します……。湊さん、もう少しで時間なんですが、大丈夫ですか?」

 少し大きめの声を出して、声をかける。部屋はしんと静まり返っている。

 時間はどんどん差し迫っていて、躊躇している余裕もなかった。靴を脱いで、部屋に上がる。湊の部屋も、今自分が借りている部屋と構造同じだった。入って左手に洗面所があるが、気配はない。ならば、リビングか。まっすぐ廊下を抜けていく。

 だが、しかし、そこにも湊の姿はなかった。

 まさか。


 リビングの隣の寝室のドアを開ける。

 その光景に唖然とした。空になっているはずだったベッドに、こんもりとした布団がある。それが緩やかに上下している。

 その中身をそっと、覗き込む。寝ていても端正な顔立ちなんだななんて、そんなことを思っている場合ではない。穏やかな寝息を立てている。

 さっと血の気が引いた。

「湊さん! 朝ですよ! 起きてください!」

 とんとんと布団をたたいて、揺らして、声をかける。しかし。

「はい」

 返事はするが、目を開ける様子がない。

 どうしよう。

 

 そこで、ふと小早川との会話を思い出した。

「毎日のように乗り込んで、起こしに行っても、本当にあいつ起きないんだよ。最終的には、布団引っぺがして、水を顔にぶっかけるんだ。お前もそうした方がいいと思うぜ」

「さすがに……それは……」

 助言に難色を示すと、小早川は、にまっといたずらっぽい笑顔を浮かべて言っていた。

「じゃあ、目覚めのキスでもしてやるんだな。そうしたら、パッと目覚めるかもしれねぇな」

 冗談だとはわかっているが、その発言に耳まで真っ赤になっていると、小早川はガハハ! 豪快に笑っていた。そして、今度こそ、冗談だといってくれるだろうと思っていたのに。

「案外、俺は本気だぜ」

 小早川は、そういった。


 急激に顔に熱が集中する。ぶんぶん首を振る。いくら何でも、私のことをからかいすぎだ。

 ともかく、起こさないと。水はさすがにやりすぎだ。だったら。

 急いでリビングへ向かい、冷凍庫を開ける。何か冷たいもの。保冷剤などあればいいのだが、見つけたのは、製氷機でできた氷だけ。自分の鞄の中から、常備しているビニール袋を取り出す。その中に水をいれて、氷を入れ、寝室に戻る。

 眠りこけている湊の前に差し出しながら、最後通告する。

「湊さん! 起きないと、これ、くっつけちゃいますよ!」

「はい」

 瞼を閉じたまま、返事だけ返ってくる。

 私は思い切って、手に持っていたキンキンに冷えた袋をえい! と湊の顔に押し付けた。さすがに飛び起きるかと思いきや、ゆるりと目が開く程度。目が閉じる前にすかさず、私の顔が湊の視界に入るように、顔を近づけ、叫んだ。


「湊さん! 起きてください!」

 湊の双眸が大きく見開かれた。私がいることをやっと認識してくれたようだ。

 途端、「うわ!」と驚きの声を上げて、文字通り飛び起きた。冷たさよりも、私がいることの方が驚いたようだったが、いちいち説明している暇はなかった。

「湊さん! もう時間です! あと五分しかありません!」

「すぐ準備します!」

 そこで、やっとすべてを理解してくれて、布団から飛び出す。

 早速着替えを始めようとする湊を前に、私の方が弾丸のように部屋から出て、背中でドアを閉める。中から、すみませんという、声が聞こえてきた。

 いえ、と答えて顔に集まった熱を散らす。寝室では、バタバタ激しい音を立てていた。


 ここに越してきた日と、同じような音はこれだったのか。

 湊と私の焦りが、部屋中に響いていた。


 

 


 

 

 

 

 

 


 

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