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願わくば一輪の花束を  作者: 雨宮 瑞樹


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ルリマツリ2

「お邪魔します」

 湊は、本来自分の部屋だというのに、少し迷いながら、おずおずと入ってきていた。

「カレー作ったんですけれど、もしよかったら食べませんか? お口に合うか、どうかわかりませんが」

「実は、ロケ終わってから何も食べていないんです。いただいていいですか?」

「はい、もちろんです」

 二人分のカレーとスプーンを用意して、キッチン前のダイニングテーブルへ置く。

 湊へどうぞと、声をかけ、向かい合って椅子に座る。湊は、律儀に手を合わせて、いただきますといった。

 本当ならば、何気ない当たり前のことなのだろう。

 けれど、私にとっては。

 

 私が夕食を作っていた時は、母は忙しく、兄は自分の時間でご飯を食べていた。誰かと一緒にご飯を食べるということは、ほとんどなかった気がする。ぼんやりそんなことを思い出してしまう。何かにつけて、薄暗いものが付きまとってくる思考を遮断すべく、私もスプーンを手に取ると、湊の明るい声が響いた。

「おいしいですね」

 大袈裟なほど喜んでくれる湊が目の前にいて、少し気恥ずかしい。視線のやり場に困って、急いでカレーを口に運んで、胃がふわふわ浮かんでいきそうなのを落ち着かせる。今まで、作ってきたカレーの中で一番おいしい味がしたのは、あの頃はまだ子供で、今は大人になったからだろうと思う。

 あっという間に皿を空っぽにした湊は、本当にうれしそうな顔に見えた。それは、きっと私の願望に違いない。湊に続いて、私もすべて食べ終える。


「今日は、ゆっくり過ごせましたか?」

 相変わらず穏やかな表情の湊から、さらりと問われる。

「とても快適でぐっすりでした。お部屋を貸していただいて、本当にありがとうございます」

「いえ。僕は何も。そもそも、この部屋も隣の僕の部屋も、社長が無償で提供してくれているというだけで、僕の名義という訳ではないんです」

「そういうことでしたら、一度社長さんにご挨拶をさせていただかないと」

 焦り気味に身を乗り出す私に、湊は笑う。

「大丈夫ですよ。社長は、そういう細かいこと、全然気にしないタイプですし。二部屋は好き勝手に使っていいって、前から言われているので」

 こんな一等地の高級マンションを二部屋もポンと提供するなんて、その社長はどんな人なのだろう。いくらお金持ちといっても、身内ではない人に対して、なかなかできることではないだろう。

「社長さん、度量の大きい方なんですね」

 素直な感想を述べると、湊は顎に手をやってうーんと、考え込む。

 

「度量の大きいというか……。ただ単に、僕をどうしてもこの業界に引き込みたくて、そうしたんだと思います」

「引き込みたい?」

「僕、高校入学してすぐくらいに、友達と初めて東京へ遊びに来た時、社長から声をかけられたんですけれど……僕長野の山間部出身で、本当に何もない環境で過ごしていたので、芸能界なんてとんでもない話で。怪しさ満点な異世界な感じしかしないし、そもそもうちの両親は農家一筋の頭が固い人で農業継げっていわれていたし。色々理由をつけて、その場で誘いを断ったんです。

 でも、社長がともかく、しつこくて。友達と東京観光したいのに、全然離してくれなくて。痺れを切らした友達が、社長に『とりあえず、連絡先だけ教えるから解放してくれ』って説得してくれて。それで、やっと解放してくれて。まぁ……どうせ誰彼構わず声かけている人だろうし、どうせ連絡先教えたところで、連絡なんてよこしてこないだろうと思っていたので、何の問題ないと思っていたんです。でも、その二日後くらいからですかね……。

『東京観光は終わったか?』って、突然電話がかかってきて。それから、嵐のように電話かかってくるんですよ。絶対悪いようにはしないから、自分を助けると思って事務所に入ってくれ、とか。何かあっても絶対守ってやるから、頼むとか。ともかく、すごい熱量で。あんまりにもすごいからどうして、そんなに熱心なのかと気になって聞いてみると、その頃うちの事務所を抱えていたタレントがとんでもない不祥事を起こして、倒産しかけていたらしいんです。だから、『スターを生み出して、事務所を立て直したい。それの役目を担えるのは、君しかいないんだ』って、言われて」

 

 ちょっと面倒そうな顔をしているが、彼にとってとてもいい思い出なのだろう。湊は、懐かしそうに目を細めていた。

 そんな顔を見て、私の心もぽわっと温かくなる。

「何も取り柄のない高校生の自分が会社を立て直すなんて、到底できるもはずないし、無理だろうって思ったんですけど……ともかく、頼むの一点張りで。社長の押しが凄すぎて、とうとう僕も根負けして、ダメ元で一回くらいやってみようかという気になったんです。それを、親に話してみたんですけれど、当然大反対を受けて。社長にそれを伝えたら、すぐに家にやってきて、土下座したんです。それでも首を縦に振らない親だったので、それから社長は毎日のようにうちに来て何度も頭下げに来て。さすがに両親も、社長を不憫に思ったんでしょうね。一年間で結果が出なかったら、即辞めさせてもらうという条件付きで、僕はこの業界に入ったというわけです」

「社長は、凄い方なんですね」

「凄い?」

「だって、天野さんの才能を一目見ただけで見抜いたんですもの」

「ただの田舎者だったんですけどね」

 そういって笑う湊からは、とても田舎っぽさを感じない。だからといって、都会のギラギラした感じもあまり感じない。それなのに、キラキラしていて、人を惹きつける。本当に不思議な人だなと思っていると、じっと見つめられる。


 その視線にドキッと心臓が跳ねて、この視線の意味を考える。

 そこで、あぁ当然だろうと、思い至る。

 湊の過去を聞いたのだ。当然、私も話さねばならない。

 湊とは、真逆な不甲斐ない自分の生い立ち。情けない自分の。消せるなら消してしまいたい、これまでの話。

 

「あの……私の話なんですけれど、少し聞いていただいて、よろしいですか?」

 勇気を出してそうやって切り出すと、湊は少し驚いたような顔をして双眸を瞬かせる。一度深呼吸して、どこからともなく湧いてくる緊張感を、吐き出した。

「お恥ずかしいお話なのですが、私この年になって初めて実家を飛び出してきました。理由は」

 そういいかけた途端、波が襲い掛かってくるような錯覚を起こす。

 私の背丈を優に超える真っ黒な波にあっという間にのまれて、息が苦しくなりそうだった。視界は黒く狭窄して、鼓膜を震わせてくる。

 母の罵倒。兄の責め立てる声。心臓が早鐘を打っていく。

「影山さん?」

 少し心配するような色に目を染めた湊で、ハッと我に返った。

 何度も瞬きをして、今いる自分の位置を確認する。大丈夫。今ここには、母も兄もいない。

 今度こそと、膝の上で拳を握って口を開く。

「すみません……あの、理由なんですが」

 酷く声が震えていることがわかった。

 落ち着かなきゃと、何度か深呼吸して息を整える。そして今度こそ「私の家は」と、続けるがようとしたが、更に声が震えてしまっていた。焦れば焦るほど、更に息が上がっていく。

 そんな私へ、湊は優しく目を細めて首を横に振っていた。

 

「その話は、また今度。本当に話したくなったら、聞かせてください」

 いつか、三浦店長が言ってような言葉が返ってくる。

「いえ、でも、こんなに助けていただいたのに何も言わないわけには」

「理由がなければ、助けちゃダメなんですか?」

「でも……あんなに追いかけられてしまうような人間ですよ? 実は、私は指名手配されているとんでもない犯罪者だという可能性だってあるかもしれないじゃないですか」

「そうだったんですか?」

 湊は、そう言って目を丸くしてきて、思わず焦る。

「いえ……それは、違いますけど」

「でしょう?」

 湊はそう言って、とうとう堪えきれないとばかりに、大笑いしていたが、こちらとしては本気だ。ならば、例えを変えよう。

「じゃあ……私は、天野さんが有名人だということを知っていた悪女で、陥れようとしているような人間かもしれませんよ」

「どうしても、自分を悪者にしたいんですね」

 湊は、笑いすぎて涙目になっている湊は目じりを拭い、ふうっと息をついた。


「じゃあ、もしもそれが本当にそうだったとしましょうか」

 今度は真面目に受け取ってくれる。湊は、しばらく考え込んだあとは、納得したように、うんと頷いていた。口角を弧を描かせて、穏やかな瞳をこちらへ向けてくる。

「自分を信じたい人を信じた結果ですから、やっぱり後悔はしませんよ」

 はっきりとそういって、また笑う。ふわっと私の胸に風が吹き込んで、あの苦い記憶も呼び覚まされた。

 

 後藤を信じていた時の私もそうだった。信じた末の、あの結果。だけど、不思議とそれほどの後悔はなかった。

 その理由は、正に信じたい人を信じた結果だった。

 湊は相変わらず、穏やかな微笑みを浮かべているだけだ。


 

「この部屋はずっと使っていて、大丈夫ですからね」

 この期に及んで、そこまで優しさで包んでくれる湊を、私は絶対に失望させたくないと思う。

「本当ならば、すぐにでも出ていくべき身なのですが……今、どうしても何もできない状態になっておりまして……本当に身勝手なお願いで大変申し訳ないのですが、お言葉に甘えさせてください。その間、本来のここの家賃としてはとても見合う分のお支払いは難しいとは思うのですが、少しでも納めさせていただきます」

「気にしなくて大丈夫ですよ。僕だって、払っていないんだから」

「いえ! 少しでも何かさせていただかないと、気持ちが落ちつきません」

「そうですか……」

 湊は、うーんと悩ましそうに顎に手をやる。

「じゃあ、どこかで働くことを考えているんですか?」

「はい。まだ検討はつけていないのですが、明日から本格的に動こうと思っています」

 意気込んで言うと、湊はまた顎に手をやって、少し考える。すぐにポンと手を叩いていた。

「それなら、ちょうど僕の知り合いが、人手が足りないって言っていたんです。どうでしょう?」

「え? いいんですか?」

「はい。人がいないって、困っていたくらいなので。もちろん変な仕事ではないので、安心してください」

「そんな有難いお話……こちらこそ、よろしくお願いいたします!」

 深々と頭を下げ、顔を上げる。湊は満面の笑みを浮かべていた。

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