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願わくば一輪の花束を  作者: 雨宮 瑞樹


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ヒマワリ3

 兄と三浦店長が話し込んでいる。

 兄・弘嗣が徐々に険しくなっていた。扉の隙間はほんの少ししか空いていないから、私の顔は認識できないはずだ。それなのに、こちらに気づいたように鋭い眼光をはなって、個室を見据えていた。その目とまともにかち合った気がした。

 手を置いていたドアノブから静電気が走ったように、ビクッと肩が跳ね上がった。

 

「どうかしましたか?」

 いつの間にかすぐ横に立っていた湊の声も、かきけされていた。

 三浦店長が必死に説得しているようにみえるが、兄は振り払ってこちらへ爪先を向けている。

 距離が縮むほど心拍数が上がって、走ってもいないのに息が切れていく。気持ちは焦るばかりで、身体も強張って、頭も動かない。完全に治りきったはずの、腕まで痛みだしてくるようだった。

 

 そんな私に、ふわっと頭の上に何かがのせられた。

 驚いて上をみやる。湊のキャップだった。

 ドアの横の隅へと湊が私の背中を優しく押しだされてながら、彼をみやる。落ち着いた眼差しとぶつかる。

 そこにいれば大丈夫。

 そういってくれている気がした。私は、部屋の隅の壁に体重を預けて、心臓に手を当てる。

 頭に被せられたキャップを目深に被って、少しでも顔が見えないよう体をこわばらせる。すると、湊は何のためらいもなく、一気にドアを全開にして息を吸い込んでいた。

 


「応援してくれるファンの皆様、いつもありがとうございます」

 輝くような笑顔のその瞳から、眩いほどの光が放たれている。

「キャー! サトくーん!」

 途端に、黄色い叫び声と波が襲ってくるような地響きが始める。人がぶわっと湊の元に集まってきたということが、視覚で確認せずとも肌でわかった。あちこちから黄色い声が上がっていた。


「いつもテレビ観てます!」

「本物、めちゃくちゃカッコいい!」

 女の子たちの声に「ありがとうございます」と、湊が応えるとまた歓声が上がった。そこから時折聞こえてくる彼を呼び名。

「本物の佐藤蓮だ!」

 相変わらず部屋の隅で身動きできなかったが、ピリピリとした緊張感はその名前にすべて吸い込まれていた。

 佐藤蓮。まさか、この人が? 密かに驚愕していると、湊が明るい声で言った。


「じゃあ、今日は特別にサプライズ写真会でもしましょうか」

 湊がいうと、一段と熱が上がり、音量も上がっていた。


 そんな中、ポケットのスマホが震えた。三浦店長からだった。

『もう用はないって、お兄さんお店出て行ったわ。安心して』

 一気に力が抜けた。その場にしゃがみ込んでしまう。その一方で、店の温度は更に急上昇していた。

 シャッター音が響き始める。その音で、すべてを理解する。

 どうして、湊はこんなことを急に始めたのか。

 自分目当てで、女の子達が店にやってきていることを、湊は知っていた。普段は素顔を隠しているけれど、あえて顔を全面に出して現れれば、追いかけてきた女性達は興奮して、騒ぎになる。それを逆手にとった。

 兄をここに近寄らせないように、機転を利かせてくれたのだ。

 そっと、体を乗り出して、ドアの方をみやる。やはり、個室の守りを固めるように女性たちによる防波堤が出来上がっていた。

 

 彼の呼び名はそれぞれ。サト君、蓮君、佐藤さん、佐藤蓮……。

 ずっと気づかなった。どうしてと思い返せば、私に名乗った名前は天野湊だったからだと思う。

 しかし、よく考えてみれば、芸能人というのは芸名と本名、二つの名前を持っていることは当り前な話で。いくら常識外れの私でもそのくらい知っている。


 ふと思い出される高校時代。

 みんなに疎まれ、邪魔者扱いされて、紅羽の場所はここだと強制的に定められていた。その場所から逃れることは、許されない。周囲からの浴びせられる罵りに、心を殺しひたすら耐えることしかできなかった。

 そんな時、彗星のように現れた名前は、佐藤蓮。

 その名前のお陰で、私はクラスの意識から外れていった。周囲は明るい光を放つその人に、どんどん熱中していき、私はその名前を持つ人に、救われた。それは、紛れもない事実で、その人への感謝は今も心の中に根付いている。

 あの時、私をそっと助けてくれた顔も知らなかった、その人。今、私の目の前にいる。

 星が瞬いているような笑顔を浮かべている彼に、私は言葉もなかった。

 


 それが収まるまでに、どのくらい時間がかかったのか。終始女性たちのテンションは高いままだったが。

「では、そろそろ僕も次の現場にいかなければならないので、このあたりで解散しましょう」

 湊がいうが、なかなか散らない。そんな状況に三浦店長が助け舟を出していた。

「ファンの方々は、そろそろお店を出てくださいね! 彼が忙しいことは、みなさんお分かりでしょう? 負担がかからないようにしてあげるのが、ファンの方々の務めでしょう?」

 そういうと、女性たちはすんなりと諦める方向へ動いていた。「これらも応援しています」と、名残惜しそうにしながらも、別れの挨拶を口にしていた。

 

「いつまでも、サト君を応援しています!」

「蓮君、頑張ってください!」

 そんな声に、穏やかにほほ笑む湊。

「やっぱり持つべきは、あなたたちのような素晴らしいファンの方々ですね」

 最後の一言に、またワッと歓声が上がっていた。

 


 女性の波が引けると、店内は静寂が戻っていた。

 部屋の隅でずっと息を潜めていることしかできなかった私に、湊はそっと顔を向ける。

「もう、大丈夫そうですよ」

「私のために、すみません」

 頭にのせてくれたキャップを外して、湊へ返す。私にのしかかる罪悪感なんて、一切感じされる余裕もないほど、湊は爽やかな笑顔を見せてくれていた。

 

 高校時代。そして今。

 私が彼に助けられたのは、これで二度目だ。

 三浦店長もやってきて、ほっとした笑顔を見せつつ、湊に向けて感嘆の声を上げていた。

「あの時は、本当にどうしようかと思ったけれど、天野さんのお陰で、助かったわ」

「いえ。たまにはファンサービスしておかないと思っていたところでしたし、ちょうどよかったので。お店、貸し切り状態にしてしまいましたが」

 頭をかく湊に、三浦は笑顔で首を横に振る。

「そんなの全然。むしろ、あの騒ぎの前に来ていたお客さんたちだけで、一週間分の売り上げがあったくらいよ? こちらこそ、ありがとう。疲れたでしょう? おいしいコーヒー、飲んでいって」

 三浦が用意するために、動き出す。私もその後に続こうとしたら、笑顔で押しとどめられていた。

 あなたは、ここにいる必要がある。

 小声で言われてそうか、と思う。色々、言わなきゃいけないことがある。

 

「あの……私、以前お見舞いに来てくださったとき、大変失礼なことを申し上げてしまいました」

「失礼なこと? そんな覚えはありませんが……」

「天野さんから、自分を見たことはないかと尋ねられたとき、私『覚えがない』と……」

 あぁ、そんなこともありましたねと、笑っている湊に、気を悪くしないように気を付けながら念のために確認する。

「あの、一応確認なんですけれども、天野湊さんって、佐藤蓮さん……なんですよね?」

 恐る恐る聞くと、ますます笑顔になって頷いていた。

「お名前は、私が高校生の頃から勿論存じ上げておりましたが、お顔までは知らず……。そんなに有名な方に、私は大変失礼なことを……」

「僕は嬉しかったですよ」

 縮こまる私に、湊は穏やかな笑みを浮かべている。

 あの頃、手を優しく差し伸べてくれた顔もわからなかったその人が、今やっと鮮明に胸に刻まれる。



 

 

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