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願わくば一輪の花束を  作者: 雨宮 瑞樹


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ヒマワリ2

 

 自分中心の願望が強いほど、物事は逆の方向へ突き進んでいくものなのかもしれない。

 切り花にしてしまえば花の寿命は短くなるという事実を知っていても、そうしてしまうのと同じように。

 せめて、もう少しだけ時間をくれたら。

 

 家で、事前に用意しておいた大きめのボストンバッグに、荷物を詰めこんでいく。いつ連絡がきてもすぐに出られるように。

 その時、一つどうすべきか迷うものが出てきた。来るときに着てきた梅の振袖だ。

 もう二度と袖を通すこともないし、余計な荷物になるだけだ。だったら、いっそのこと。私はそれを手にして、立ち上がる。


 カフェにバイトへ向かう途中、質屋へ梅の振袖を持ち込んだ。

 いい品ですねと言われた割には査定価格は安かった。提示された価格で承諾して現金を受け取る。それでもできる限り、悪あがきをしたかった。


 いつも通り、おはようと三浦店長の爽やかな微笑んでくれた。私もそれにこたえて、微笑む。 

 こんな他愛のない日常がずっと続けばいい。

 明日も明後日も、何事もない平穏があれば、もう何もいらないと思う。

 ふとカウンターに飾ってあるヒマワリをみやる。ひらひらと花弁を落とし始めていた。この花を届けにきてくれた以来、彼が店にやってくることはなかった。せめて、もう一度彼に会えたら。

 まだ、枯れないでと、願いを込める。

 

 

 時間は過ぎて、昼時に差しかかる。

 女性客が数組入ってくる。席へ案内している途中に、聞こえてきた。「サトくん」という名前。はっと息を呑む。同時に、そっと押されたカウベルが穏やかな音を奏でいた。

 店長がにこやかに迎え入れているのが見える。キャップに、マスク、サングラス。長身の男性が、店長と談笑している。男がサングラスをとると、今案内した女性客が気づいて、キャッと色めき立っていた。


「本物だ!」

 

 談笑していた店長と男性の視線が私へ向けられる。綺麗な弧を描いた瞳と柔らかくぶつかった。天野に間違いなかった。胸がふわっと温かくなる。


 店長が天野を引き連れて個室へ消えていくと、興奮気味の女性グループから注文をとって、カウンターの方へ戻る。そのとき、スマホが怯えるように震えた。

 ふわりと綿毛のように浮いた気持ちが、一気に落ちていく。連絡は案の定、倉木だった。

 

『事前通告なく、店へ調査に入ってきました。すでに、そちらへ誰かが向かっていると思われます』

 上がっていた熱が急激に冷えて、心臓から血の気が引いていく気がした。

 そのとき、店長が個室から出てきて私のスマホを覗き込んでくる。内容を知った三浦店長の顔つきは厳しく、私に耳打ちしていた。


「今はともかく、天野さんとお話してきて」

 背中を押されて、個室をノックする。女性客からずるいと、悲鳴が上がっていた。


 一礼して、一歩前へ出る。

 三浦店長は、部屋に入ることなかった。カウベルがひっきりなしに鳴っている。どうやら女性客が押し寄せてるようだ。店長は、騒々しさを遮断するように、ドアを閉めていた。

 二人だけの空間は、外と違って穏やかな空気が漂う。天野は被っていたキャップとマスクはとっていて、端正な顔立ちが明け透けになり、柔和な笑みが浮かんでいる。

 

「無事に復帰されたんですね、よかったです」

 天野の声は、穏やかさに満ちていた。どん底に突き落とされた焦りが自然と凪いでいく。

「はい、お陰様で。お花もいただいたと、店長から伺って……素敵なヒマワリありがとうございました」

「ふらっと花屋を覗いたら、ヒマワリが目についたので。僕はあまり花には詳しくないくて、あまり考えなしで持ってきちゃいましたが、喜んでもらえたのなら、よかったです」

 優しく、パッと周りを華やかにさせる笑顔を浮かべる。それを忘れないように、私は笑顔で胸に刻み込む。

「この先どんなことがあっても、ヒマワリを見れば、天野さんを思い出して、頑張れる気がします。本当にありがとうございました。最後にお会いできて、嬉しかったです」

 花はその季節になれば、いつかどこかで必ず咲く。その度に、私は必ず天野を思い出すだろう。穏やかなその笑顔と胸にぽわっと浮かぶ優しい灯火と共に。その瞬間だけは私は、自分を見失うことなく、私でいられるはずだ。

 天野から少し掠れた声が出ていた。

「どうして、最後みたいないい方されるんですか?」 

「私、もうここを出なければならなくなったので」

 暗くならないように、なるべく明るい声を出すように努める。取り繕うことだけには、自信がある。それなのに、天野はぎゅっと眉間に皺を寄せていた。私の偽りなどすべて見透かされているような、綺麗な瞳で。

 

「先ほど店長さんから、影山さんはご家庭でとても複雑な困りごとを抱えていらっしゃると、お聞きました。それ以上の詳しいお話しは聞いていませんが、できることならば僕は、あなたの力になりたいと思っています」

 涼しい目元に熱が帯びて、より一層力強い響きになる。心が不安定に揺れそうになるが、そうやって揺れることも許されない。

 その言葉だけで、十分だ。 

「私……思いきって外に飛び出してきてよかった。天野さんのような方に出会えたこと、一生忘れません。本当にありがとうございました」


 頭を深々と下げ後ろ髪を引かれないように、天野を視界に入れないように、踵を返す。そのまま個室を出ようとドアに手を掛けた。

 その時だった。激しく揺れるカウベルの乱暴な音が聞こえた。ドアを押そうとした手が止まる。ほんの少しの隙間から、見覚えのある仕立てのいい背広が見えた。私の手は、凍りつく。兄だ。


 

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