桜5
不審者かと一瞬身を固くしてしまうが、ここは大病院な上にこの個室は、ナースステーションの真正面。簡単には入ってこられるはずはないだろう。
そんな私の懸念を、男性は素顔を隠していた道具と一緒に取りはらっていた。そこから現れたのは、見覚えのある小顔で端正な顔立ち。鼻筋の通った涼しい瞳。しかし、一目を惹くオーラは、沈んだ表情の奥に消えていた。
「突然、すみません。喫茶店で助けていただきました天野湊と申します。お怪我の具合は、いかがですか?」
見た目の華やかさとは違って、とても丁寧な言葉遣いをしていた。
「あの、わざわざ、お越しいただくなんて……。私は、この通り大丈夫ですので」
「本当に申し訳ありませんでした!」
かなりの声量で、しかも土下座せんばかりの勢いで、頭を下げてくる湊に、目をむき圧倒されしまう。頭を下げられることなんて、ほとんどなかったから、変な焦りが出てきてしまっていた。
「お顔をあげてください! 私は本当に大丈夫ですので。むしろ、こちらこそ大事になってしまって、申し訳ありませんでした。今思えば、もっとうまく対処する方法があったのではないかと、反省しております。私が女性に手を出す前に、やるべきことがあったのではないかと。彼女を落ち着かせるような冷静な説得ができていれば、あんな強行に出ること もなく、逮捕されることもなかったのではないのかな、と……つまり」
早口でそこまでいいかけたところで、湊の形のいい瞳が大きく見開かれ、凝視されていることに気付いた。
また、私は変なことを言ってしまったのかもしれない。続けようとしていた言葉を飲み込んで、釈明の方向へ思考が突っ走っていた。
「あの……私、よく皆さんから変わっているといわれるので、変だと思われたのなら、それは皆さんが思われていることで……。つまり、今のは聞かなかったことにしてください……」
弁解のつもりが、自分でもだんだん意味がわからなくなっていく。しゅんとしていく私に、湊も、ポカンとした表情になっていた。今のは、恐らく完全に逆効果だったのだろう。硬い表情だった湊の顔が緩んで、目尻を下げてる。口元は綺麗な弧を描いて、笑いを堪えているようだ。その反応は、どうみても益々変な人だと思われたに違いない。恥ずかしさで、変な汗が吹き出してくる。
「あの、すみません……」
「いや、こちらこそ。謝罪にきているというのに、不謹慎にすみません」
「いえ! 私自身も変わり者だと、自覚があります! どうぞ、気になさらならず、そのような目でみていただいて結構ですので!」
勢いよく真剣にそういうと、湊は今度こそ耐え切れないとばかりに、声をあげて笑っていた。
安全に、変人だと思われた。
そう思うのだが、羞恥心は消えていた。その理由は、きっと湊の嫌みなどの不純物が一切ない、心が晴れ渡るような明るい笑い声のせいだろうか。 顔をくしゃくしゃにさせて笑っていても、端正さ顔立ちは崩れるどこか、更に弾けるようなオーラが溢れだしているようにみえた。不思議な力があって、こちらまで胸を擽られるような感覚になる。自分のことなのに、私も声をあげて笑ってしまっていた。こんなに、普通に笑ったのはいつ以来だろう。
「すみません。僕は謝りにきたはずなのに。何だかおかしなことになってしまってしまって」
バツが悪そうにそういう湊は、とても穏やかな瞳をしていた。
「いえ。私の方こそ、すみません」
そういいながらも、先ほど笑い転げた名残がのこっていた。
海外へ飛び出したときも、たしかに楽しくはあったけれど、どれもが手探り状態で、緊張の方が大きくて心の底から笑ったことはなかったように思う。思い返してみれば、後藤と話しているときも、こんなに笑ったことはなかった。
この天野湊という人には、人を元気にさせる力があるのかもしれない。だからこそ、女の子たちを魅了してやまないのだろう。彼を追いかける子たちの気持ちが、少し理解できる気がした。
「あの、ついでに……といってはなんですが、つかぬことを伺っても?」
笑顔の余韻を残したまま、柔らかい口調でそういう。私が「はい」と頷くと、湊は少し迷う素振りをみせながらいった。
「僕のこと……何というか……変な聞き方ですけど、見覚えはありませんか?」
真剣な眼差しを向けられ、ドキッとする。
もしかして、影山のパーティか何かで会ったことがあるのだろうか。ごくりと唾を飲み込む。
「……お会いしたことがあるということでしょうか?」
「あ、いえ……初対面であることは間違いないんですが……。まぁ、何というか……すれ違ったとか、そのレベルで」
端正な顔立ちな上に、モデルのように手足も長い。大勢の中に紛れていたとしても、目立つと思うのだが、全く記憶に引っ掛かってこなかった。
「……人の顔を覚えるのは得意な方なのですが……すみません、覚えが……」
「あぁ、いえ! 気になさらず。僕の方が変なことをきいてしまって、すみません」
「いえ、こちらこそ、記憶が定かでなくて申し訳ありません」
頭を下げると、湊はふっと目尻を下げる。
「さっきから、僕の方が謝られてばっかりですね。僕が謝罪しにきたはずなのに」
「あ……すみません」
ほら、また。と、湊は笑う。
「悪い癖ですね。直さないと」
そういう私をふわりと掬い上げてくれるような湊の優しい眼差し。
自分でも気付くことのなかった心臓の少し下にある何かに一直線に向けられている気がした。
それは、生まれて時からずっとそこにあったけれど、ずっと気付かれなかった部分。そこへ柔らかい陽射しが降り注いでくる気がした。
「もしよかったら、連絡先教えていただけませんか?」
お詫びもしたいからと湊は、いう。
私も友人として、こんな風に他愛のない話ができたら、きっと楽しいだろうと思う。しかし……だからといって、実家から持ってきたスマホを復活させる訳にはいかなかった。
「あの……実は、私スマホ持っていなくて……」
三浦にいったことと同じ理由を述べると、やはり目を丸々とさせていた。
「本当ですか?」
「お恥ずかしいのですが……本当です。……でも、近いうちに買いに行こうとは思っていたんです。店長も何かあったら困るから、といわれていますし、これ以上変わり者と思われるのも、流石にあれですし……」
縮こまりながらそういうと、湊の瞳の大きさはすっかり元に戻って、目は細められていく。
その意味はやはり、目も当てられないレベルの変人だと思われたのかもしれないと、さらに、しゅんと項垂れそうになったけれど、それを引き上げるように彼はいってくれた。
「僕は変わり者だなんて、思っていませんよ。とても素敵だと思います」
私のすべてを肯定してくれるような優しい響きだった。それは、ただ私の気まずさを取り繕うための気遣いだということは、わかっているつもりだったけれど、自然と顔が綻んでしまっていた。
それを胸に湊の方をみやる。ずっと堂々としていた湊が何故か固まっていて、黒目が右往左往していた。
どうしたのだろう。
ちょうど窓から夕日が差し込んでいるせいだろうと思ったのだけれど、心なしか顔も赤い。もしかしたら、体調でも悪いのかもしれない。
「どうか、されましたか?」
声をかけると、落ち着きがない様子をみせていた。もしかして、不快な思いにさせてまったのだろうか。そんな、不安が漂い始めそうになったとき。湊のスマホが震えた。
「すぐ行きます」
というようなやり取りをしていたから、礼を述べて、行って下さいと促した。その時、湊は言ってくれた。
「しばらくあのカフェの近くで仕事があるので、もし、ご迷惑でなければまた伺ってもいいですか?」
「もちろんです。店長も喜びます」
私がそういうと、湊はほっとした表情を浮かべ、ヒマワリのような笑顔をみせてくれていた。
私の心は、その明るさに温かくなる。




