Episode.06 理合の剣
崇真は師匠を慎重に壁へ立て掛けた。左手が使えないため、少し時間を要してしまった。
『崇真、左手が痛むか』
「今は鎮痛剤が効いておりますので、大丈夫です」
『悪かった』
崇真は首を横に振った。
「いえ、師匠がいらっしゃらなければ、私は今ごろ命を落としていたでしょう。それに、師匠からは多くのことを学ばせていただきました」
崇真はベッドに腰を下ろした。
「師匠、半兵衛の言葉を信じても問題ないのでしょうか?」
『そうだな。戦武とはいえ、初対面のヤツに信じろって言われても、疑うのは当然だな。信じるほうが難しい。だが、足を止めても仕方ねえ。違うか?』
「確かに、おっしゃる通りかもしれません」
ふむ。訓練の前に、師匠に確認しておきたいことがある。
「師匠、剣について多くのことを学びましたので、ぜひ答え合わせをさせてください」
『そうだな。崇真、付き合ってやる』
「ありがとうございます」
崇真は一つ、咳払いをした。
「師匠は攻撃の前に、呼吸――息を吐いてから動いていらっしゃいました。私には、その瞬間、体からすっと力が抜けたように見えました」
『息を吐いてから動くことで、集中力が高まり、余分な力みが抜け、体の安定性が増し、リズムが生まれる』
「リズム、というのは……一つの動きのことを、指しているのでしょうか?」
『そうだな。呼吸することで意識してる』
「走るときもそうでしたが、歩幅にも意味があるのでしょうか?」
『歩幅を短くすることで、相手に距離を錯覚させる。踏み込んだときには間合いに入ってる。だが、今回は幻覚相手に使ったから意味はなかったがな』
「目を閉じていたことにも、意味があるのですか?」
『攻撃されたってことは本体がいる。耳を澄ますことで位置を探ってた』
「ずっと気になっていたのですが……なぜ、二本目の刀を抜かなかったのですか?」
『今回は様子見だな。二本あるから必ずしも、それで戦う必要はねえ。状況に応じてだな』
「なるほど……。師匠の剣は常識に囚われないのですね」
師匠がふっと笑った。
『剣だけが武器じゃねえ。勝つためなら足も使う』
「それは……許されるのでしょうか?」
『前にも言ったが、勝ったヤツが正しいんだよ。落ちてる石を投げつけたこともあったな』
勝つためには手段を選ばない――。私には思いつかない発想だ。
「師匠、ありがとうございます」
『おう、気になることがあれば遠慮はいらねえ。付き合ってやる』
「はい。それでは、これより訓練を始めますので、ご指導のほどよろしくお願いいたします」
崇真はベッドの傍らに設置してある箱型の機械――絡繰機巧に視線を向けた。
絡繰機巧――電脳空間と呼称される仮想世界に意識だけを飛ばせる装置。縁にプラグを差し込むことで電脳空間へ行くことを可能とする。
崇真は、縁にプラグを差し込んだ。学府のときと同じように、横になり、目を閉じてリラックスした。
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電脳空間に入り、崇真はまず手の感覚を確認してから、目の前の操作盤に触れた。
なるほど……。学府では一通り体験しましたが、神州維新府ではすべての実技試験に合格しなければ、次の段階へは進めないのですね。
『ここが電脳空間ってヤツか。知識にはあるが、実際に見るのとじゃ大違いだな』
「はい。私も初めて入ったときは、少々戸惑いました」
『崇真、左手は平気か?』
「はい、問題ありません。師匠、食事の時間になったら教えていただけますか? 学府では、強制終了によって時間管理がなされていましたので」
『教えてやるから安心しろ』
その一言に、崇真は胸を撫でおろした。
電脳空間は、時間の密度が異なる。
現実での24時間が、電脳空間では336時間に相当する。
何も問題がなければ、二週間ですべての訓練を終えることができる。
「ありがとうございます。それでは、ご指導よろしくお願いいたします」
崇真は『実技試験・壱』を選択した。すると、風景が変わり、刀を構えた人間が立っていた。
崇真は思わず首をかしげる。
「師匠、鬼ではないのですか?」
『剣ってヤツは人に対して使うもんだからな。俺の時代に異形なんてもんはいなかった』
「……少々抵抗はありますが、そういうことでしたら、致し方ありませんね」
『崇真、しばらくはコイツを斬ることだけに専念しろ』
「次の段階へ進んではいけないのですか?」
『まずは、刀の構えや斬り方を覚えてもらう。崇真、俺と以心伝心しろ』
「はい。それでは参ります。以心伝心」
肉体の主導権が入れ替わり、師匠は左の刀を抜き、両手で構えた。
「これが中段の構えだ。刀を胸の高さで構える。コイツが基本になる」
師匠は刀を頭上で振り上げた。
「これが上段の構えだ。力を溜めて振り下ろす」
師匠は刀を下した。
「これが下段の構えだ。切っ先を相手の足元に向けて構える。体力を温存できる」
師匠は顔の右隣りで刀を縦に向けた。
「これが八相の構えだ。囲まれたときに、素早く対応できる」
師匠は刀を右の腰まで下げ、切っ先を後ろへ向けた。
「これが脇構えだ」
師匠が口角を吊り上げた。
「懐に入れた飛び道具を取り出すときに気づかれねえ」
『え……?』
師匠は刀を下ろして笑みを浮かべた。
「前にも言っただろう。勝ったヤツが正しいんだよ」
『師匠……構えは以上でしょうか?』
「今のが五行の構えだな。次は、斬り方を教えてやる」
その後、真向斬り、袈裟斬り、一文字斬り、逆袈裟斬り、左袈裟斬り、左一文字斬り、左逆袈裟斬り、突きを教わり、肉体を返してもらった。
『崇真、俺がいいと言うまで、一刀流を続けろ。基礎がなってねえと意味がねえ』
「承知いたしました」
こうして崇真は訓練を始めた。師匠が逐一指摘してくれるので、自分でも成長を実感できた。
崇真の左手が完治した頃、師匠から「その辺でいいだろう。次は右だけでやれ」と右手で刀を振る許可が下りた。
さらに二週間が経過した。崇真は右手だけでも刀を扱えるようになっていた。しかし、師匠からは「及第点だな。次は左だけでやれ」と言われた。
さらに三週間が経過した。ようやく左手でも刀を振れるようになった。利き手ではないため、習得にはやや時間を要したが、師匠は「実際に相手にするのは異形だからな。そんなもんでいいだろう」と許可をくださった。
残りの実技試験は、すぐに終えることができた。
就寝前、崇真は師匠に尋ねた。
「師匠、実戦訓練についてお伺いしたいのですが、学府では予め決められた四人で部隊を組み、訓練を行っておりました。神州維新府では、どのような形になるのでしょうか?」
『顔も知らねえヤツらで組まれるな』
なるほど。誰かと衝突する可能性もあるかもしれない。
「……協調性が試されるのでしょうか?」
『そうだな。機動隊に所属しても部隊を異動することがある。だから、協調性が試される。薄々気づいてるだろうが、絶対に相手にするな』
「師匠、もし誰かが衝突して訓練が失敗した場合、連帯責任になるのでしょうか?」
『いや、それはソイツらの責任だからな。崇真は真面目にやってりゃ問題ねえ』
「それを聞いて、安心いたしました。師匠、本日もありがとうございました」
『おう、しっかりと休めよ』
「師匠、おやすみなさい」
崇真は明かりを落とし、横になった。