Episode.05 戒めの剣
医務室の外で女戒将が待っていた。
女戒将は一礼し、崇真もそれに応じた。
「お怪我の具合はいかがでしょうか?」
「はい。全治二週間の怪我ではありますが、後遺症は残らないと聞き、安心いたしました」
女戒将は、柔らかな笑みを浮かべた。
「安心いたしました。遅れて名乗り、失礼いたしました。私は戒将の志城詩埜と申します」
志城戒将は、金髪の二系日本人だった。
今の日本では、海外からの移住者が大多数を占め、二系日本人という呼称が徹底されている。
崇真もまた、そう分類されていたが、両親の人種は今も不明のままだ。
「武人の信条崇真と申します」
「監視カメラの映像から、信条武人に問題がなかったことは確認できております」
簡潔にそう告げられた瞬間、崇真は胸を撫でおろしていた。
「地下に部屋を用意しています。話を聞かせてください」
崇真はうなずき、志城戒将の背を追った。
静かな一室に、案内された。
装飾ひとつない、無窓の空間だった。
灰白の打ち放しコンクリートが、声を吸う代わりに、乾いた響きを返していた。
「このような部屋しか用意できなくて申し訳ありません」
崇真は笑顔で返した。
「理解しております」
「椅子に腰かけてお待ちください」
崇真が椅子に座り、しばらくすると、男戒将が部屋に入り、志城戒将が一礼した。
男戒将は崇真を見て、笑みを浮かべた。向かい側の席に腰を下ろし、頬杖をついた。
向かいに座る男と、その隣に控える女――どちらも、神州維新府の秩序を守る「戒将」だった。
戦将同士の衝突を抑えるために設けられた、取締りと取調べの権限を持つ存在。
その任を思えば、「戒めの剣」と呼ばれるのも道理。名は、そのまま職能を示している。
崇真は、気づけば背筋を正していた。
取調べではないと頭ではわかっていても、戒将を前にすれば、どうしても体が構えてしまう。
正面に座る男戒将と、その隣に立つ志城戒将とを、崇真は視線で交互に捉えた。
男戒将は、どこか楽しげな眼差しをこちらに向けていた。
「こちらの方も、戒将でいらっしゃいますか?」
男戒将が口を開いた。
「いや、俺は戒将じゃないよ」
……言語が異なるはずなのに、不思議と違和感はない。以心伝心によって、それすら可能になるというのだろうか。
「失礼いたしました。私は武人の信条崇真と申します。お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか」
「俺は竹中半兵衛。君の想像通りだよ」
竹中半兵衛は頬杖を崩さぬまま、視線だけで崇真を射抜いた。
その軽やかさの裏に、何か鋭いものが潜んでいる気がした。
……さて、この場合、どちらに向かって話すべきか。
志城戒将は、先ほどからずっと目を閉じている。
なるほど、戦武からすれば、我々は赤子以下の存在。
他人の戦武であっても、立場を弁えねばならないということか。
崇真は正面を向き、頭を下げたのち、竹中半兵衛に向かって話した。
「何からお話しすれば、よろしいでしょうか?」
竹中半兵衛が目を細め、微笑んだ。
「理解が早くて助かるよ。俺のことは半兵衛でいいよ」
「そうお呼びしても、差し支えないのでしょうか」
半兵衛は静かにうなずいた。
「俺は他人に仕える立場だったんだ。だから、この世界では俺が認めた相手には許しているんだよ」
「承知いたしました」
「監視カメラの映像から崇真が妖と戦っていたことまではわかったけど、君は何と戦っていたの?」
「半兵衛、私ではわかりかねますので、師匠にお訊ねいたします」
『俺たちが見てたのは幻覚だな。だから、コイツには何もないところを斬ってるように見えた』
「なるほど。承知いたしました」
崇真は小さく咳払いをした。
「まず、戦っていたのは私ではありません。それに、私たちは幻覚を見ていたのです」
「……ぬらりひょんの仕業かな? 崇真の戦武の考えを聞かせてほしい」
『なるほどな。妙だと思ったんだ。崇真、コイツに伝えてくれ。「ぬらりひょんには主がいる。その主から力をもらった」ってな』
「ぬらりひょんには主が存在するようです。その主が力を与えたとのことです」
「……それなら合点がいったよ。問題は、ぬらりひょんの目的だね」
『ソイツは簡単だ。崇真、テメェが狙われた』
「師匠、申し訳ありませんが、意味がよくわかりません」
『去り際に、アイツは「小僧」って言ってたな。俺に対してじゃねえ。崇真に対してだな』
「……半兵衛、私が狙われたようです」
半兵衛は静かに目を閉じた。
「……崇真を狙った、か」
崇真が口を開こうとした瞬間、師匠に制止された。
『崇真、今コイツは考えてる。だから、邪魔するな』
崇真は黙ってその様子を見守ることにした。
やがて半兵衛が静かに目を開け、口元をわずかに緩めた。
「単刀直入に言うよ。敵にとって、未来の崇真が邪魔になった。だから、早めに芽を摘むことにした」
「未来の私が……ですか?」
「それしか考えられないんだよ。
崇真は戦将だけど、今の君は武人だ。
異形との接点がない以上、
考えられるのは、
機動隊に所属して部隊の一員として活動するようになってからだ。
敵にとって、未来の崇真はそれだけ脅威なんだよ」
「私は、これから何をすべきでしょうか」
「普通に訓練して問題ないよ。電脳空間だから左手も使えるだろうからね」
師匠と以心伝心していたからこそ、私は助かった。
……だが、あの妖は再び現れるのではないか。
「不安に思う気持ちはわかるよ。だけど、俺の考えだと何も起こらない」
「なぜ、そうお考えになるのですか?」
「ぬらりひょんという駒が生きているから、
また来る可能性を残している。
これだけで、崇真を不安にさせる要素になる。
逆に言うと、駒を失うと問題が解決する。
だから、敵は駒を残しておくだけでいいんだよ。
俺は槍が使えるから、武の心得はわかるよ。
迷いがあると、どうしても動きが硬くなる。
敵の目的は君を殺せれば良し。
無理なら不安を与えることで成長を妨げる。
これだけで未来に干渉できてしまう。
実に、狡猾な手口だよ」
半兵衛がふっと微笑を浮かべ、静かに席を立った。
「志城ちゃん、俺は司令部に用があるから行くけど、崇真には戻ってもらっていいかな?」
「はい。異論はございません」
半兵衛が部屋を出た後、志城戒将は崇真に一礼し、穏やかに微笑まれた。
「信条武人、ご協力、感謝申し上げます。お怪我が癒えるまでは、どうかご無理なさらぬように」
崇真は席を立ち、深く一礼した。
「志城戒将、ご配慮くださり恐れ入ります。それでは、失礼いたします」
崇真は一礼し、その場を後にした。足取りに、わずかな迷いを残しながら。