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白より黒く、黒より白く  作者: 斎賀慶
第一章 白の書
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Episode.03 心を預ける時

 崇真は係員に声をかけ、部屋の鍵を受け取った。

 廊下を進む足取りは慎重だった。

 師匠に気取られては、すべてが水泡に帰す。


 戦武と信頼関係を築くには、まず自分の目で確かめねばならぬ。

 だが、崇真は師匠について、何一つ知らない。

 何か見極めの手がかりはないか。

 思案するうちに、一つの考えが浮かぶ。


 言葉について尋ねてみよう。それが真偽を測る手段になる。


 部屋に入り、一つ咳払いをしてから口を開く。


「師匠、壁に立て掛けてもよろしいでしょうか?」


『おう、近くにいれば会話できるから問題ねえ』


 崇真は慎重に師匠を壁へと立て掛け、正面に向き直って正座した。


「師匠、私の話をする前に、言葉について教えていただけませんか。知っておくべきことだと感じました」


『いいぜ。崇真は異形が現れる前の日本を知ってるか?』


「両親から、すべてを機械に任せて、快適に暮らしていたと聞いています」


『そうだな。全員が対等な立場になった以上、そこに上下関係はいらねえ。だから、言葉の重みが失われた』


「言葉の重み……。それは、どういうことなのでしょうか?」


『神州維新府が組織としてできたとき、立場が決まった。だが、言葉の重みがねえせいで、立場の違いはあれど、対等になっちまう。そうなると、どうしても緩んじまう。俺たち戦武はそれを良しとしねえ。だから、礼儀を教えることにした』


「つまり、私の言葉は、そのようにして生まれたのですね」


『そうだな。時間はかかったが、言葉の重みを知った瞬間から、テメェの立場を理解し始めた』


「私は、それが当然のものだと思っていました」


『崇真、テメェの目から見て、俺は合格か?』


「師匠は、私の心を見抜いておられたのですか?」


『まあな。だが、崇真には口実が必要になる』


「だから、私が切り出しやすいよう、あのとき、さりげなく言ってくださったのですね」


『俺としても剣を教える相手は選びてえからな。だから、洞察力を試した。だが、それでもまだ足りねえ』


「私の気の緩みを試されたのですね」


『戦場に立つ以上、命懸けにならねえと、ソイツはすぐに死んじまう』


「身の引き締まる思いでございます」と崇真は深く頭を下げた。


『もう腹の探り合いはなしにしようぜ。そうしねえと終わらねえからよ』


 その言葉に、崇真の中で何かが静かにほどけていく。


 彼は背筋を正し、深く一つ、息を吐いた。


「はい。では、私のことをお話しいたします。

 私は幼い頃、実の両親を亡くしました。

 突然倒れたため、最初は眠っているのだと思ったのです。

 いくら呼びかけても、体を揺すっても、ふたりは目を覚ましませんでした。

 私はただ、彼らが起きるのを待ち続けていました。

 そのとき、戦将の方が言葉もなく、私を保護してくださいました。

 当時の私には、自分の気持ちを伝える術がなく、泣くことしかできませんでした。

 それから私は養子として育てられ、『神城崇真』の名をいただきました」


『崇真、テメェは名を捨てたのか?』


「私の父が、総大将だからです」


『そういうことか。名を変えても言葉の重みは捨てなかったんだな』


「はい。私のせいで父に迷惑をかけることだけは、避けたかったのです。……これが、私の歩んできた道です」


『じゃあ、次は俺の番だな。

 崇真には理解できねえかもしれねえが、俺はガキの頃から剣を握ってた。

 テメェの身は自分で守る。強くなければ、生き残れねえ時代だった。

 だから、それしか道がなかった。

 初めて真剣勝負をしたのは十三の頃だったな。文字通り、命を懸けた死合だったぜ』


「……相手を、殺したのですか?」


『心に余裕が生まれれば、真剣勝負にはならねえ。

 それに、互いに承知の上でやってた。

 だから、一方的に殺してたわけじゃねえ。そこに恨み辛みはねえよ。

 生き残ったヤツが正しい。それが俺の日常だったからな。

 だから、剣を通して己の道を探した。行き着いた先が――二天一流だな。

 後の世に伝えるために五輪書に書き記した。それが俺の生涯だな。

 幻滅したか?』


「いえ。他に道がなかったのなら、私も同じことをしていたと思います」


『だが、五輪書はもうねえんだな』


「後悔されているのですか?」


『いや、後悔はしてねえ。今の俺には弟子がいるからな』


「はい。精進いたします」


『崇真、以心伝心する気はねえか?』


 以心伝心――戦武と利害が一致したとき、肉体の主導権を入れ替える術。


 過去には、この術で肉体を乗っ取られた戦将もいた。


 それ以来、戦武とは信頼関係を築くべきだと、学府では耳が痛くなるほど教えられてきた。


『口で説明するよりも、目で見て、体で動きを覚えてもらったほうが早いと思ったんだよ』


「恐れ入りますが、お返しいただけると、安心できます」


『崇真が不安に思う気持ちはわかるぜ。だが、俺が戦っても意味ねえだろう? この時代はテメェらのもんなんだからよ。心配するな。終わったら、すぐに返すからよ』


 ――言葉だけでは、届かない。ならば、体を貸すしかあるまい。


「承知しました」


『よし、決まりだな。まず、ここらへんを歩きながら、崇真の体に慣れたあと、一旦返すな。そんで、訓練のときにまた貸してくれれば、それでいい。そうすりゃ、口で説明しても理解できるだろう?』


 今は、その言葉を信じるしかない。


「部屋の鍵をフロントに預けたあと、以心伝心します」


『おう、俺が落として崇真のせいにさせるのは、申し訳ねえからな』


 崇真は立ち上がり、ベルトを少し緩めて師匠を腰に差した。


「師匠、ご無理があれば、お申し付けください」


『戦武には痛覚なんてもんはねえから気にするな』


「承知しました」


 部屋を出て鍵を預け、歩きながら息を整える。


「師匠、それでは参ります。以心伝心」


 瞬間、肉体の自由が奪われ、内側から意識が押し込まれる感覚が走った。


 師匠が体を動かしている。

 そして、口元に浮かんだ微かな笑みの気配を感じた。


 ……自分の手足が、自分の意思では動かない。


 それなのに、感覚だけは鮮明に伝わってくる。


 師匠が何を考えているのか、こちらにはわからない。


 ただ、今の笑みが――本当に、あの師匠のものだったのか。


 少し、胸の内に沈殿するものがあった。

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