Episode.13 協約
「――崇真、そろそろ始めるよ」
半兵衛の声で、崇真は現実に引き戻された。
半兵衛は夢幻の前に腰を下ろし、穏やかに口を開いた。
「夢幻、異形の主について話してくれるかな?」
「ふむ……彼奴は陰陽師なれど、名は記しておらぬ」
「陰陽師は他にもいるの?」
「彼奴ひとり。他は、皆、異形よ」
「敵の目的は?」
「人を減らし、残された者の前に神と称して現る――と、斯様に嘯いておったな。
笑止の沙汰よ」
「夢幻が協力していた理由は?」
「彼奴が、日本全土に結界を張った。其れにより、異形は存在を保つ。
吾は、義理にて動いただけよ。
最低限の手助けは施しておいた」
「なるほどね。初めから忠誠心なんてものはなかったんだ」
「然り。彼奴は異形に力を授け、使役しておる。
吾の身にも細工を施しておったが、良からぬ気を感じ取り、即座に斬り捨てた」
夢幻は、わずかに口元をほころばせた。
「彼奴の面が、いまも眼に浮かぶ。
人風情が吾を御せんとは――何たる不遜、何たる愚よ」
「じゃあ、夢幻は中立と考えていいのかな?」
「吾は、誰にも与する意思は持たぬ」
「今後、夢幻はどうするの?
このまま神州維新府に残る場合、最低限のルールは守ってもらうよ」
「ふむ……彼奴が居らぬ分、未だ良きか」
夢幻が崇真に顔を向けた。
「其れに、宮本武蔵と交わした約諾も未だ果たされておらぬ」
「それだけ聞ければ、十分かな」
半兵衛は縁に口を寄せた。
「神城ちゃん、準備は終わったかな?」
『はい。必要な準備は、すべて整っております』
「仕事が早くて助かるよ」
『半兵衛殿、ご指示があれば、即時対応いたします』
半兵衛は立ち上がり、折り畳んだ槍を手に取った。
「それじゃあ、隊居に移動しようか」
崇真は立ち、師匠を腰に差してから、半兵衛に尋ねた。
「半兵衛、隊居とは何でしょうか?」
「機動隊に所属すると部隊専用の住居が与えられる。
使われていない隊居が残っているから、使えるようにしてもらったんだよ」
「なるほど。隊居であれば、夢幻の存在を他の者から伏せておけるわけですね」
「そういうこと。だから、準備が終わるまで待っていたんだ」
半兵衛が部屋を出たので、崇真も後に続いた。
「隊居は一番遠い場所にしてもらったよ。少し不便だけど、理解してほしい」
「半兵衛、異形が現れた際には、どうされるのですか?」
「要請があれば退治するよ。そのときは夢幻にも同行してもらう。もちろん見ているだけでいいよ」
「ふむ……其の程度の事柄なれば、構わぬ」
「崇真、オペレーターと身の回りの世話をする統将が不在だから、隊居では自分のことは自分でやらなければならない。凌介とは上手くやってね」
「戦将の方ですね。承知しました」
隊居に到着した後、片岡大将と挨拶を交わした。片岡大将は「すべて半兵衛の手柄です」と謙遜された。
夢幻は、頼んだ通り機動隊の制服を纏っていた。あまりに自然で、縁に至るまで完全に再現されているのを見て、崇真は胸中にざらりとした驚きを覚えた。
夢幻は、「異形の装束は、其の時代に応じて形を変ずる。吾のみならず、他の異形にも可能よ」と語った。
我々は部屋割りを済ませ、要請が下るまでの間、待機する運びとなった。
電脳空間にて訓練を続ける傍ら、折に触れ夢幻の指導を受けた。
されど、一度として一撃を当てるには至らなかった。
数日を経た頃、要請を受け、我々はヘリコプターにて現地へと向かった。
我々はヘリコプターより降下し、即座に駆け出した。
やがて視界の先に、白き和装の女が佇むのが見えた。
周囲は凍てつき、道路も建物も氷に包まれている。
吐息は即座に白煙と化し、空気は鋭く肌を刺した。
外見は美しき人の女と見えたが、その場に立つだけで周囲の温度を奪う異様。
崇真は内心で、ただの人間ではあり得ぬと判断した。
半兵衛の口から、白き息が漏れた。
「崇真、雪女だよ。見た目に騙されるとやられるよ」
「承知いたしました」
雪女がこちらに目を向け、一歩だけ後ずさった。
攻撃の気配はないが、妙な間があった。
その静けさを破るように、背後から夢幻の声がした。
「其方、斯の者らと戦わぬのか?」
雪女は顔を伏せた。
「あんたさまのこと……殺せって言いつけられたんだわ」
「吾には勝てぬと、既に悟ったのであろうよ」
「うん……このまんま戻ったら……うちは主さまに清められてしまうんだわ……」
「ふむ……吾が保護して遣わしても構わぬが、如何する?」
雪女は顔を上げた。
わずかに目を見開いた。
「ほんとにいいんですかい?」
夢幻は静かに納刀していた。
「構わぬ。彼奴の細工は、既に斬り捨てた」
雪女は、凍てついた空気を割るように、深々と頭を下げた。
「なんてお礼言ったらいいべか……」
「半兵衛――異論はあるまいな」
半兵衛は夢幻に体を向けて、首を横に振った。
「それはできないよ。
俺たちは夢幻を止めることができない。司令部も理解している。
だけど、退治できる異形なら話が変わってくる」
「ふむ……如何すれば良い」
「簡単な話だよ。夢幻が神州維新府の味方になってくれればいい。
そうすれば、庇護下の雪女には手出しができない」
「成程。
――吾に殺意を向けし愚者を斬る。其れにて異論はあるまい?」
「それでいいよ。
これで足りなかった情報も手に入る。
おまけに敵の戦力が削れた。司令部も口出しできないね」
夢幻はわずかに笑った。
「食えぬ奴よ」
半兵衛が雪女を見据えた。
「早速で悪いけど、雪女にはヘリコプターの中で話を聞かせてもらうよ」
雪女は小さくうなずいた。
ヘリコプターの下へ向かうと、縄梯子が自動で降下した。
崇真と半兵衛はそれに取り付き、機体へと登った。
夢幻と雪女は、音もなく機体へと飛び乗った。
機体が神州維新府へと移動を開始する。
「雪女、異形の主の名前を教えてほしい」
「うん、芦屋道満って名乗ってたんだわ」
「そういうことか……なるほどね」
「半兵衛、何かわかったのですか?」
「まあ、そうだね。他国は無事で、日本だけが閉じ込められていることがわかったよ」
「何をおっしゃっているのでしょうか?」
「崇真は知らないだろうけど、『芦屋道満』は、日本人の名前なんだよ。陰陽師だけでは判断できなかったんだ」
半兵衛は雪女に目を向ける。
「結界は、内外から干渉できない。だから、他国からの救援は望めない。これで合っているかな?」
「うん、そったら通りなんだわ」
半兵衛は無言で拳の側面を機体の壁に打ちつけた。
「何が狙いなのかわからないけど、自作自演で救世主を演じるなんて、どうかしているよ」
芦屋道満の狙いは見えた。
とはいえ、その底にある思考までは読めなかった。
――他国は無事だった。その事実が、胸の奥で張り詰めていたものを、ひと筋、静かに緩めた。