Episode.12 選定の理
ヘリコプターから降りた直後、師匠が話しかけてきた。
『崇真、テメェの気持ちは理解してる。だが、以心伝心してくれ』
師匠の声には、いつになく切実な響きがあった。
「師匠、急にどうされたのですか?」
『戦いてえのにソイツがいねえ。俺にもアイツに気持ちがわかる。
端から勝てるとは思っちゃいねえよ。
だがな、この俺の名を出した以上、引き下がるわけにはいかねえ』
……この身体が、果たして無事に済むとは思えなかった。
『安心しろ。俺からアイツに説明する。無茶な真似はしねえ。
だから、以心伝心してくれ。頼む』
師匠が、ここまで何かに執するのは――思い返してみても、初めてのことだった。
それだけのものが、夢幻にはあるのだ。
応えねばならぬ、と自然と思えた。
「……承知しました。一度は捨てた命、どうぞご自由にお使いください」
『崇真、感謝する』
「師匠、参ります。以心伝心」
肉体の主導権が切り替わり、師匠は、夢幻の後を追いながら口を開いた。
「夢幻、待ちな」
夢幻は身をこちらへ向け、首をわずかに傾けた。
「崇真……に非ず、か」
師匠はうなずいた。
「おう、今は崇真から肉体を借りてる」
夢幻の口元がほころんだ。
「ふむ……成程、然ういう理か。良し。実に興ある」
夢幻が目を見開いた。
「来たれ、宮本武蔵。吾を愉しませよ」
夢幻を正面に据え、師匠は足を止めた。
音もなく、二本の刀が鞘走る。
次の瞬間、呼吸とともに一気に間合いを詰め、疾風の如く斬りかかった。
夢幻はその攻撃を刀で受け、口元に笑みを浮かべた。
「ふむ……崇真の太刀よりも遥かに鋭きか」
師匠が目を細め、声を張り上げる。
「はあっ!」
師匠が縦横無尽に斬りかかる。
そのすべてを刀で受けながら、夢幻は――笑っていた。まるで玩具を与えられた子供のような、無邪気な笑みをたたえていた。
「吾の想像をも凌駕せしな。
――強し。確かに、汝は強者よ」
師匠の気合が、空気を震わせるほどに鋭く響き、目を見開いた。
師匠の斬撃はさらに加速した。もはや崇真の目では追えない。だが、肉体を通じて、動きだけは理解できる。
やがて、ふたりの動きが止まり、両者は刀を下ろした。
「もはや、良い。
――充分と見える」
師匠は荒い息を吐いていた。
「是以上は、刀を抜かずには在られぬ」
「これで気は済んだか?」
「然うか……汝が在るならば、吾が鍛える必要もあるまい」
師匠が首を横に振り、微笑んだ。
「いや、死なねえ程度になら鍛えても構わねえ。崇真もそれを望んでる」
『師匠……いま、何をおっしゃったのですか?』
「ふむ……斯様な粋なる計らいに免じて、吾が鍛えて遣わそう。
其の刻来たらば、退屈せずに済むであろうよ」
「崇真、そういうことだから気張れよ。体を返すぜ」
崇真は姿勢を正し、静かに息を吐いた。
半兵衛に肩を叩かれる。
「まあ、手を斬られなくなっただけでも、良かったんじゃない」
「半兵衛、そうなのでしょうか?」
「夢幻の匙加減がわからない以上、たとえ崇真が全力を出したとしても、手を抜いていると思われる可能性があったよ」
「……確かに」
「何時まで舌を弄しておる。
――案内致せ」
半兵衛が操作盤を押し、エレベーターに乗り込む。崇真も夢幻の後に続いた。
「此れは移動しておるのか」
「はい。ただいま、地下へ向かっております」
「ふむ……階を探す手間が省けるとは、便利なものよ」
言葉の意味を探った。
「もしや、階段を……お探しになるのですか?」
「然り。他者に迷惑を及ぼすが故、破壊は控えておったのだ」
「他者とは……異形のことですか?」
「異形と一口に申せど、様々に在り。
鬼とて意思疎通叶う者も居れば、唯の贋物もおる。
外にて跋扈するは、正に其の類よ」
鬼の贋物……?
「夢幻は、何かご存じなのですか?」
「汝ら、斯の贋物が何故に現れるか――考えたことはあるか?」
「いえ、そういう存在だと受け止めておりました」
「人には感情がある。斯度は負の感情よ。
忿怒、悲哀、憂懼、畏怖、悔恨、羞恥、孤愁、焦燥、厭悪、落胆――其れらの澱みが、鬼の形を成すのだ。
人が贋物を生み、贋物が人を喰らう。
まこと滑稽、荒唐無稽の極みよ」
私は、何も知らなかった。
扉が開き、半兵衛の後に続く。
「半兵衛、其方、何処へ向かう」
「準備が終わるまでの間、凌介の部屋を使ってもらうよ。
夢幻の存在がバレると騒ぎになるからね」
半兵衛は鍵を開けて部屋へ入り、崇真もそれに続いた。
「まあ、好きなところに座ってよ」
そう言って、半兵衛はブーツを脱ぎ、ベッドに仰向けになった。
「久しぶりに動いたら、少し疲れたんだよ」
夢幻は床に正座した。
「畳無くば落ち着かぬが、斯処は煩き者らもおらぬ。
故に、悪くは無い」
崇真は腰から師匠を抜き、空いている場所で正座した。
「半兵衛、いつ始めるのですか?」
「急いだところで何も変わらないよ。夢幻もそう思うよね?」
「然り。吾は暫し眠る。
――決して、起こすでない」
半兵衛が欠伸を漏らした。
「崇真、俺も少し寝るよ」
崇真は師匠に問いかけた。
「師匠、これでよろしいのでしょうか?」
『この件はアイツが一任されてる。
考えることがあるから、頭ん中を整理したいんだろうよ』
「なるほど。それならば、私は静かにしておきます」
崇真は目を閉じ、師匠が見せた太刀筋を反芻した。
武者震いを禁じ得なかった。