Episode.10 其は夢幻なり
崇真と半兵衛はエレベーターに乗り、ヘリポートがある屋上へと向かった。
「凌介、巻き込んでごめんね」
半兵衛が小さく呟いた。
「半兵衛、今のは戦将の方ですか?」
半兵衛は静かにうなずいた。
「片岡凌介――この身体の持ち主だよ。肉体を通して、俺のやり方を学んでもらっているんだよ」
同じ戦武でも、師匠とは異なるのか。
エレベーターを降り、半兵衛はヘリコプターへ足を向けた。崇真は拳を握り、その背を追った。
崇真はヘリコプターに乗り込み、無意識に操作席に目を向けた。
しかし、誰もいなかった。
「揺れるから手すりを掴んだほうがいいよ」
崇真は手すりを握った。
まるでこちらの覚悟を待つかのように、機体がゆっくりと浮上し、移動を開始した。
崇真は出入口に足を運び、手すりを握りしめて外を眺めていた。要塞砦の外に広がる光景に、思わず現実感を失った。民衆が、ひとりの戦将を取り囲み、騒ぎながら殴り合っていたのだ。崇真はその異様な光景に言葉を失った。
半兵衛が冷ややかに言った。
「あれはいつものことだよ」
崇真は声を振り絞った。
「いつものこと……なのですか?」
「崇真は、外界からも戦将の志願者を募っているのは知っているよね?」
「はい……」
「外界には何もないんだよ。学府も学舎も。
だから、一から学習させているんだけど、彼らは善悪の区別がつかないまま成熟してしまった。
外界で警備を任せるしかないんだよ」
「しかし、それでは……」
「彼らをひとりでも要塞砦に入れてしまえば、神州維新府は信用を失うことになる。
崇真、君ひとりの我儘で、1,000人の命を危険に晒すことはできないよ」
何も言い返せず、崇真は目を背けた。
「この作戦には、人類の命運が懸かっている」
「……心得ております」
その時、縁から通信が入り、半兵衛が応じた。
『半兵衛殿、通信は届いておりますか?』
「神城ちゃん、聞こえているよ」
今のは、私の聞き間違いだろうか……。
『現在、鬼に顕著な動きは認められません』
「増援のほうはどうかな?」
『引き続き進行中です。完了次第、報告いたします』
「わかったよ」
『何かあれば、直ちにお伝えいたします』
通信が終わり、崇真は半兵衛に恐る恐る尋ねた。
「半兵衛、今のは……神城総大将なのですか? 私の聞き違いでしょうか?」
半兵衛は微笑みながらうなずいた。
「司令部に上下関係をわからせただけだよ」
――父上、一体、何をなさったのですか。
「神城ちゃんだけは認めているんだけど、まあ、これは連帯責任だね」
司令部で何が起きたというのか……私には想像もつかなかった。
ヘリコプターが上空でホバリングを始めた。
「崇真、ここから先は走って移動するよ」
「承知いたしました」
半兵衛が機体の反対側から降下していくのが、視界の端に映った。崇真も即座に身を投じ、着地と同時に進行方向を変える。半兵衛の背中を追った。
「崇真、俺たちは攻撃を合わせることができない。だから、俺が崇真に合わせる。いいね?」
「それゆえ、ふたり編成にされたのですね」
「そうだね。三人以上にしてしまうと、合わせること自体が無理になってしまう。二刀流はそれだけ未知数だからね」
「了解いたしました」
しばらくして、半兵衛がふっと笑みを浮かべ、槍を展開した。
「あれが例の鬼かな?」
崇真は目を凝らした。和装の女が、額の左右より角を二本生やし、道路の中央に正座している。傍らには一振りの刀。その一帯だけ、空気の色が異なって見えた。
師匠が声を張り上げる。
『崇真! すぐに引き返せ!』
「師匠……?」
『何してやがる! 死にてえのか!』
「半兵衛、師匠の様子が――明らかにおかしい……!」
半兵衛は立ち止まり、槍を構えた。崇真はすぐに刀を二本抜いた。
「崇真、ごめん。俺としたことが、敵の出方を見くびっていたよ」
半兵衛が崇真に向かって叫ぶ。
「すぐに逃げるんだ!」
『崇真、早く逃げろ!』
「半兵衛も、なぜそのようなことを……」
その時、鬼が刀を手に立ち上がり、こちらを見た。
瞬間、半兵衛が地面に手をついた。
「う……っ!」
その気配に、崇真はようやく悟った。
――敵う道理がなかった。
「小僧、汝が逃れれば――此奴を殺めるぞ」
「崇真……逃げろ……っ!」
「囀るな。興を削がれるは業腹なり」
『崇真、今のテメェじゃ勝てねえ! 俺と以心伝心しろ!』
……確かに、師匠のおっしゃる通り、今の私では手も足も出ないだろう。
しかし、それでよいのか……?
今、師匠の手を借りれば、これから先も同じことが続くだろう。
――そればかりは、できぬ……!
私はもう、目を背けまいと決めた。
たとえ無謀と知りながらも、自らの信念を貫く。
「小僧、覚悟を決したる眸よ。来よ、吾を愉しませよ」
深く呼吸を整え、左右の刀を構えて鬼に斬りかかった。
しかし、すべての攻撃が風のように受け流される。
まったく、当たる気がしない。
――私の力では、届かない……!
「ふむ、成程――是れが二刀流か。まこと興ある。故にこそ、口惜しき哉」
次の瞬間、鬼に胸倉を掴まれ、じっと顔を覗き込まれた。
崇真は死を覚悟した。
「小僧よ、吾と取引を為さぬか」
「取引……とおっしゃるのですか」
「吾が汝を鍛えん。汝にとりて悪き話にもあるまい」
……理解できなかった。
「なぜ、そのようなことをなさるのですか?」
「今の汝は未熟にして、殺すには忍びぬと思い定めた」
「何が目的なのですか?」
「吾は強者を求む。然れど、未だ見出だせぬ。されば思うた――吾が育てれば良かろうと」
鬼が目を細めた瞬間、背筋を冷たいものが走り、息が止まりかけた。
「最期には殺す所存なれば」
鬼は口元をほころばせ、うなずいた。
「序に貴様らが抱く問題も、吾が片付けて遣わす。無用にてな」
――もし、この命一つで人類が救われるのだとしたら。
「……条件がございます」
「条件とな。聞くだけは聞いて遣わす。戯言であらば、この者を屠るぞ」
「我々は、異形の主の情報を必要としております……」
「ふむ……斯くも些事か。情報など幾らでも呉れて遣わす」
鬼はじっと崇真を見据えた。
「小僧、取引は成ったな」
その時、半兵衛が立ち上がり、肩で息をしていた。
「話が良すぎるね。異形の主は、君よりも強いんじゃないのかな?」
鬼は崇真の胸倉から手を離し、半兵衛へと顔を向ける。
「知らずとは申せ、今の物言いは聞き捨てならぬ。己が身の程を知れ」
次の瞬間、耳鳴りがした。気づいたときには、夢幻はすでに納刀していた。
まるで、何かを斬った直後のように見えた。
直後、周囲の高層マンションが次々と崩壊してゆく。
見渡す限り、何もかもが瓦礫と化していた。
理不尽なまでの暴力――
この鬼には、それほどの力があった。
「脆きことこの上なし。つまらぬにも程があるわ」
半兵衛は尻もちをついたまま、呟いた。
「……何が、起こったんだ」
「囀るな。刀を抜いた、それだけのことよ」
――動いたのかどうかすら、私にはわからなかった。
「……師匠には、見えましたか?」
『一瞬だが、気づいたときには死んでるな』
鬼が再び崇真の胸倉を掴み、立たせた。
「小僧、導け」
「どこに……向かえばよろしいのですか?」
「汝らが居城にてあろう?」
「私ひとりの判断では決めかねます……」
崇真は、半兵衛の顔を見た。
「ふむ……然るほど、斯様なことか。暫時の猶予を与えん」
半兵衛は静かに目を閉じてうなずいた。
『崇真、黙って聞け。
風の噂で聞いたことがある。
強者の前に現れて、殺さずに消える鬼がいた。
ソイツは名乗りもしねえ。
ついた呼び名が「夢幻」だな。
コイツを従えてるヤツは化け物か、とんでもねえ大莫迦者だな』
夢幻と目が合った。
「小僧、勘違いするでない。
吾は常に汝を視ておる。
隙あらば、即刻殺すぞ。
努々忘るるなかれ」
――こうして崇真は、半兵衛と共に、頭を抱えながら帰還することとなった。