風呂キャン
モニターに広がるコードの羅列と、複数のウィンドウが交錯する。
USBの中身は、単なるフォルダや文書ファイルではなかった。
「うーん……これは、ただのデータじゃないね。ZIP偽装、二重暗号化、しかもタイムロック付き。開けるのに許可証と証明書が要る感じ」
「許可証?」
「形式上はね。正体はダミーファイルとトラップ。下手に解こうとしたら、中のデータ消されるパターン。こういうの、マジで官製クラスでも見ないよ、軍事の一歩手前クラスだよ」
葵の指がキーボードを滑るたび、画面がちらちらと切り替わる。
その動きには、怠惰な生活ぶりからは想像できない緻密さがあった。
「……昔、同じ仕掛け見たことある。政府絡みのサーバーに潜ったとき」
「またそういうこと軽々しく言う……」
「時効だし。あと、あの時は見てただけで入ってないし」
言い訳めいたことを言いながら、葵はポテトチップスの袋をかき回し、ふと真顔になる。
「これ、よっぽどだよ。中身を見たいってだけなら、外注した方が早いかも」
「でも、外部に出したらその瞬間にバレる」
「だよねー。じゃあ私がやるしかないってワケだ。クッソ、ほんとに便利に使われるなあたし」
「……ごめん。でも、あんたしか頼れないのは本当」
しばらく無言の時間が流れる。
カタカタというキーボードの音だけが、室内に響いていた。
やがて、葵がぽつりとつぶやく。
「……あたしさ。あの時、逃げてごめん」
樹は少し驚いたように顔を上げた。
「急に何の話?」
「大学の時。あんたがあの事件に首突っ込んだとき、私、なにもできなかった。言いたいこと言って、最後に“そんなことしても意味ない”とか言って逃げた」
「……そんなの、気にしてないよ」
「私は気にしてるんだよ。……だから今回は、ちゃんと向き合う。引きこもりニートなりに、できることする」
言葉の温度が、徐々に変わっていく。
そして――
「お、何か来た。……中に、映像ファイルが一つある。……でも、これ、パスワードつき」
「パスは……わからない?」
「文脈的には“Kougo”とか“Project-K”って感じだけど、桁数が合わない。たぶん、まだなにか鍵になる情報があるはず」
「それ、橘に聞けば出てくるかも……けど、今は病院の中だ。しかも、封鎖状態で、襲撃が――」
そのとき、スマホが震えた。
本郷からの短いメッセージ。
《外に車を回す。急いげ。》
樹は息を呑む。
「葵、ここ、しばらく連絡取れなくなる。解析は続けて。データはコピーせず、ネットにも流さないで」
「……了解。あんた、生きて帰ってきなよ」
「生きて戻るから、ちゃんと風呂入っとけ」
「し、失礼な! 今夜こそ入るもん!」
そうして、再び樹は緊張の現場へと向かう。
残された葵は、牛丼の空になった容器を見つめ、小さくつぶやいた。
「……私にできること、ちゃんとやるよ。今度こそ」