再会と依頼
午後三時、都会の喧騒から一歩外れた裏通り。
マンションというには古びすぎた三階建てアパートの、外階段をきしませながら登っていく。
暑くも寒くもない春の空気の中、コンビニのビニール袋が揺れていた。
「……ここだよね、葵の部屋」
インターホンを押しても反応がない。
もう一度押すと、今度は中から「う〜〜〜……」と呻くような声が聞こえた。
やがて、ドアの隙間がギイとわずかに開いた。
「……誰……」
「私、私。樹」
「……は?」
「牛丼持ってきた」
「神かよ……!」
ドアがバタンと全開になった。
出てきたのは、着古したTシャツにヨレヨレのパーカー、髪は寝ぐせで左右非対称。
両手はスマホと菓子の袋でふさがっており、明らかに外出の気配ゼロ。
「うわ、マジで来たの? しかも牛丼……並盛、紅ショウガ多め?」
「そこまで読めてるなら、まず風呂入って」
「風呂は昨日入った!」
「昨日の“朝”でしょ」
「うるさい、現役警察官に生活指導されたくないわー!」
言い合いながらも部屋に上がらせてもらうと、中は想像以上にカオスだった。
床にはゲームのパッケージ、カップ麺の残骸、複数台のノートPCとコードが散乱。
ベランダのカーテンは閉じっぱなしで、照明の代わりにモニターの青白い光が室内を照らしている。
「なにこれ……中学生男子の部屋?」
「ひどくない? 一応、乙女なんですけど?」
「いや、それを言うなら“元乙女”だよね」
「それセクハラじゃん! 現職でしょ!? 録音するよ!?」
葵はそう言いながらも、コンビニ袋から牛丼を受け取り、床にあるクッションの山に崩れるように座り込む。
「で、今日は何の用? あんたが私に会いにくる時って、だいたいろくでもない話なんだよね」
「……まあ、否定はしない」
樹は少し表情を引き締め、胸ポケットから黒いUSBメモリを取り出した。
テーブルの上に静かに置かれるその異物に、葵は牛丼のフタを開ける手を止めた。
「……どこで拾ったの?」
「交通事故現場。被害者のポケットから。中身は見てないけど、かなりヤバいって話」
「警察の正式案件?」
「非公式。ついでに言うと、私も今“非公式な立場”。……交番勤務、ね」
「あー、なるほど。”左遷的”なやつか。あんたが交番とか、ぜってぇ裏あると思ってた」
「まあ……色々あって」
「で、これの解析をあたしに頼むと。違法スレスレの依頼を、引きこもりニートに?」
「違法スレスレじゃない真っ黒な違法、あんたしかいないでしょ」
「もっとこう、頼み方ってあると思うんだわ……」
とは言いつつも、葵はノートPCをひとつ起動し、あっという間にいくつかの仮想環境を立ち上げる。
「一応確認しとくけど、これって“見たら死ぬ”とかそういう類じゃないよね?」
「……見た人は確実に“狙われてる”。でも、内容が何かはわかってない。ただ、失踪した人間が持ってて、今それを手にした人が命を狙われてる」
「うわー……もう完全にフラグ立ってんじゃん。あたしの人生、終わるかも?」
「頼れるの、あんただけなの。お願い」
「くっそ……牛丼一杯で引き受けちゃう自分が悔しい」
葵はぼやきながらUSBを慎重に挿し、セキュリティを何重にもかけた状態で解析を開始した。
「三日。最低でも三日はかかる。中身によっては、それ以上。……ってか、樹」
「なに?」
「また巻き込まれるつもり? 前みたいに」
その問いに、樹はしばし黙り、静かに答えた。
「もう、巻き込まれてるのよ」