消えた声
午前七時三十八分。
いつものように駅前交番に顔を出し、制服に袖を通す。
樹は朝の挨拶もそこそこに、ミルクたっぷりの缶コーヒーを開けた。
「はー……あっつ」
口の中に甘さと苦味が広がる。
それは眠気を誤魔化すためのルーティンであり、今日が「いつも通り」であると確かめるための儀式でもあった。
「本郷さん、来てませんね」
「もう署に先回りしてるってさ。例の“失踪案件”で調べたいことがあるらしい」
同僚の言葉に軽く頷き、樹はポケットのメモ帳を指でなぞった。
そこには赤ボールペンで線を引いた三つの名前。
“川崎 陽斗”
“中原 理沙”
“佐倉 風雅”
どれも、ここ一か月で突然姿を消した若者たちだ。
失踪届は出ているが、事件性があるのかないのか、判断は保留されたまま。
警察組織内では「自発的失踪」と処理されそうになっている。
だが――
「偶然じゃない。これは、連鎖してる」
そう言ったのは、本郷だった。
あの男の直感はベテランとしての経験だけじゃない。
樹が今こうして現場に立てているのも、本郷が見込んで引っ張り上げてくれたからだ。
(だから、無駄にはしたくない)
駅前のざわめきが、ふと歪んで聞こえた気がした。
バスの停車音、カートを引くおばあちゃんの足音、コーヒーショップのレジの呼び出し音――
それらの中に、何か“異物”が混じっているような、妙な感覚。
「……」
樹は、手帳を閉じて立ち上がった。
今日の予定に、何の異常も記されていないことが、かえって不気味だった。
その日の午後。
一人の男が、バイクで車道に突っ込み、血を流して倒れることになる。