プロローグ
「正義って、何だと思う?」
夜の街は、濁った水槽の底に沈んだように沈黙していた。
ネオンはすでに疲れ果て弱々しく点滅し、路地裏では風も息を潜める。
雑居ビルの屋上、フェンスに腰をかけたフードの男が、笑いながらそう言った。
「正義なんてのは、誰かの都合で作られる妄想だ。……そう思わないか?」
足元には暗闇。十数階の高さの地上には、ちらつく信号と、無関心な通行人たちの気配。
背後にいるもう一人の人物は、答えない。ただ、風にそよぐフードの男の言葉を黙って聞いていた。
「“悪”を裁く。……その言葉の美しさに酔って、皆が目を閉じる。ほんとの悪がどこにいるのか、見ようともしない」
男はポケットから小さな金属片を取り出した。
黒いUSBメモリ――そこに“世界を変える”情報が詰まっていると、誰かが言っていた。
「俺はさ、ただ“それ”を見たんだよ。見ちゃったんだ。触っちゃいけないものに」
にたりと笑うその顔には、恐怖も興奮も混じっていた。
まるで、自分の破滅を待ちわびているような――どこか倒錯した期待。
「さあ、始めようか。ゲームの幕は、落ちた」
男の目が、都市の闇を見下ろす。
これからの数週間はこの街において最もカオスで濃く冷たい時期で合ったことは、まだ誰も知らない。