第八話 少女はマッチを売らない
ようやく異能力バトルの様相を呈してきました。
「あぁ、そ、そうだ……忘れてた」
白衣の少女は傷だらけの身体を傷めないように上半身を左右にゆらゆらと揺らしながらゆっくり立ち上がると、長い前髪の隙間からこちらを見つめて言った。
「と、灯メメって言うの……私の名前。覚えなくていいけど。……誰も覚えてくれないもんね」
誰がどう見ても異常事態であるこの状況で、メメは自虐的な笑みを浮かべながら呑気に自己紹介を始めた。周囲の現実と目の前の少女のアンバランスさに、少し吐き気を覚える。――もっとも、吐き気の原因の何割かは、人体が焼ける異臭によるものだと思うけど。
「貴女が何者かは分かんないけど、ただの通り魔、ってわけじゃなさそうね。ただ人を殺したいだけって言うのなら、あんなしょうもない男どもにいいようにやられてた理由も分からないし」
ククリは言いながらゆっくりと狙いを定める。
「それはまぁ……そのうち分かるよ。し、死なずにいられればだけど」
メメはポケットに両手を突っ込むと数秒ほど中をまさぐり、やがて思い出したかのように地面に転がるマッチ箱を見下ろした。
「あ、そ、そっか。あの時に落としちゃったみたい」
無垢としか形容できない表情で、メメは首をかしげた。
マッチがなければ、火が近くになければ能力が使えないのか? 柩さんの身体の火を消したから……。そう私が推理する間にククリは既に結論に至っていたようで、指先から衝撃波を放った。衝撃は空気の波となって空間を伝わり少女を襲う――が。
「じゃあこっちで」
白衣の少女はさながら看護士が患者に見せる笑顔のように、口角を上げる。しかしその口角は「微笑み」の範疇を超えて持ち上がり、遅れて大きく口が開く。それが「歯をむき出しにする」ための行為であると気付くのはすぐ後のことだった。
メメが歯をかちりと打ち鳴らすと、両の奥歯から一瞬火花がはじけ飛ぶ――火打石。直後、メメの周囲を炎の壁が覆う。私と柩さんを分断した時の技だ。あんな小さな、火とも呼べない大きさのものであれだけの炎が……。
しかし、それは無駄な行為のはずだった。炎の壁は生物の行き来を拒むが、無生物の――衝撃波の行き来を拒むはずがない。いくら分厚い炎の壁が作れようと、防御の術はないのだ。一秒後に私が目にするのは力なく横たわるメメの姿のはずだった。
――しかし現実問題として、炎の壁が消えたとき少女は何一つ変わらずにそこに立っていたのだ。
「バカな……ッ」
ククリが小さく毒づく。こぼり、と口から鮮血が垂れ落ちて地面に広がった。
「あは、やっぱり。の、能力使うとすごい消耗するんだね。情報通り……でもちょっと効率悪すぎないかな?」
「…………誰に、聞いたの?」
ククリは突然の消耗に頭を垂れながらも、上目遣いでメメを睨みつける。強い意志を孕んだものには違いないのだが、その瞳は力なく震えていた。
「ふ、ふふふ、秘密。うふ」
メメは愉快そうに肩を震わせて笑うと、こちらへ向かって火球を四五個ほど飛ばしてくる。火球は変幻自在な軌道で彷徨うように飛び、前後左右から私達に襲いかかった。
「――『アグニ』」
「ッ……海!」
バリアが私とククリを覆うようなドーム状に展開される。一瞬安心感があったが、一つ目の火球がバリアに当たり砕け散ると同時に、ビシリという音とともに巨大な亀裂が全体に走った。
「なんつー火力してんのよっ……」
慌ててククリがバリアを補強するが、火球は次から次へと飛来しては、火に入る夏の虫の如く砕け散る。反撃の隙が全く無い。私が現状を打破しようと思考を巡らせていると、ククリは小さく舌打ちをしながら呟いた。
「抜く、しかないわね……これは特別消耗するから使いたくはないんだけれど」
ククリは二三歩前へ歩き、バリアに片手を押し付けると叫んだ。
「空ッ!!」
バリアが微かにビリリと震えると、壁を隔てた外界へと衝撃波が放たれる。完全にこちらが防戦一方だったが、メメは油断を見せず、炎の壁は展開されたままだった。ククリの放った衝撃波は、やはり固体どころか液体ですらないはずの炎の壁に阻まれてしまった。わずかに炎が揺らぎこそすれ、穴すら開いていない。ククリの鼻から鮮血が滴り落ちる。
「な、何でッ……!?ククリの攻撃が……」
「そ、それ、あとどのぐらいやるつもりぃ? ……あなたが勝手にボロボロになっていくなら楽でいいんだけどね」
相手は能力を使うことによる消耗はほとんど無いようだった。というよりは、ククリほどの消耗がある方が珍しいのだが。しかしククリは表情を歪めつつも冷静に敵を見つめ、しばらく逡巡すると思い出したかのように口を開く。
「気流、か」
「え?」
「炎に攻撃を受け止める力はないけど、周囲の空気は温められて激しい上昇気流が生まれる。その勢いで私の攻撃はかき消されてしまった」
空気が熱されると気流が生じる。そしてククリの衝撃波が空気の振動である以上、理屈としては納得できる、のだが。
「そ、そんな……そんな勢いの気流が炎で生まれるものなの?」
「アイツの炎が何℃あるのか分からない。それに実際に攻撃が届いてない以上、事実として認めるしかない」
つまるところ、ククリの遠距離攻撃は封じられてしまったわけだ。敵に接近できればまだ分からないけど……これだけ離れていても熱が伝わってくるのに――これ以上近づけるのか? いや、近づくしかないんだろう。でもククリの身体は既にボロボロだ。今この場でまともに動けるのはもう……。
「ねぇ、このバリアさ、ちょっとだけ……私が通り抜けられるだけ、穴開けられない?」
「……出ていくつもり? 正気? 私から離れたら、貴女のことまで守ってあげられないけど」
「大丈夫。自分の身は守るよ。それにこのままじゃどうしようもない、でしょ?」
「……分かった。開けるから、合図して」
ククリは震える右手をもう片方の手で支え、メメへと照準を向ける。彼女の周囲は炎の壁で守られ、チープないたずらグッズのような火の玉がゆらゆらと浮かんでいた。生物が火に対して感じる根源的な恐怖を抑えつけながら、私は深呼吸をした。
「――開けてッ」
バリアの側面に空いた小さな穴から、私は全速力で走り出し、真っ直ぐにメメへと接近する。私の周囲に火球が群がる。――落ち着いて。よく見て。
――タスク――
私は身体を捻って周囲を把握しながら、火球に向かって手を伸ばし、能力を発動する。熱と風、掌の皮膚が突っ張る感覚。肌に炎が触れた瞬間、それは水に突っ込まれた花火のように容易く消えた。掌から焦げたようなにおいがするが、怯むことはできない。そのまま前傾姿勢で懐に突っ込むと、メメを包む炎の壁に触れる。
「あ゛っぢッ!!」
「――えっ」
炎の壁に穴をあけて通り抜け、メメの腕を掴む。まさか生身で飛び込んでくるとは思わなかったのであろう、大きく見開いた瞳には一切の光がなく、暗黒そのものであった。周囲を炎に包まれてなお、その瞳は光を反射せずに深淵からこちらを見ているようであった。
鉄骨がぶつかったような鈍くて大きな金属音と共に、炎たちは消え失せる。炎に触ればその部分の炎が消える程度だが、能力者本人に触ればその能力を完全に封殺できる――つまるところ完全に無防備だ。ククリがその一瞬を見逃すはずもない。
「空ッッッ!!」
炎の壁を消し、遮るもののない状態で正確に胴体の中心へと発射された衝撃波は、気流に揺られることもなく完璧に命中した。ぼぐ、という音とともに少女は後方へと吹き飛ばされる。全長150cmに満たないその物体は、綺麗な放物線を描いて地面へと落ち、動かなくなった。
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