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第十九話 私たちが生きるために

 首筋の痛みで目を覚ます。痛む部位を手で探ろうとしたが、両腕はうんともすんとも言わなかった。目を開くと青空が見える。上からこちらをのぞき込む頭が二つ。そこまで認識してようやく、()()()()()()()()()()()という違和感に気付いた。



「敗者には死を選ぶ権利すらない、ということですか」



「敗者じゃなくてあなたは患者です。私たちは医療部として人々の命を守る義務があります。たとえそれが悪人であろうとも……それを関知するのは私たちの役目ではありません」



 眼鏡のレンズ越しに見えるそのまなざしは、決して譲ることのできない信念を窺わせるものだった。たとえ百人を手にかけた大量殺人犯だろうと救う。罪を償わせるためだとか、そういった観点からではなく、ただ救うのだ、という信念を。



「それはそれとして、てめぇには聞きたいことが山ほどあるからな。死んでもらうわけにはいかねぇんだよ」



 両手の鍼をちらつかせながら大女はほほ笑んだ。医療従事者がしていいタイプの笑い方ではなかったが。



 その瞬間、僕の胸の奥で何かが弾けた。



 ***



「ま、まずは応援を呼びましょう。地安に戻り次第、リリオさんの許可を得て尋問を行います」



「なぁ、もうここでヤっちまおうぜ」



「だ、駄目ですよ……。緊急を要さない拷問行為には地安リーダーの承認が――」



 そう言いかけたとき、私の耳が異音を聞き取った。日常的に聞きなれたその音で、緩んでいた緊張の糸が条件反射のように張り詰める――これは、呼吸困難――!



「カハッ――ハァッ……」



 男は口を大きく開けて、必死に酸素を取り込もうとしているが、その努力も空しく顔色はみるみる悪くなっていく。毒を飲んだのか――!?



「ゆ、癒浦さんッ!」



「分かってるッ」



 私が指示を出すまでもなく、癒浦さんは男の身体に鍼を刺していた。全身から桃色の花が咲き乱れる。癒浦さんが情報を読み取る間に、私は男に回復体位を取らせ気道を確保する。人工呼吸を行いたいところではあるが、毒物の種類が分からないうちは厳禁だ。



「あ……? なんだよコレ……?」



「癒浦さん!? 何か分かりましたか?」



「あぁ、これは……『毒』だ。こいつは毒を摂取してる」



「そ、そんなことは分かってます! 何の毒かって聞いてるんです!」



 癒浦さんのとぼけた返答に思わず怒りを覚えたが、彼女の表情を見てそれが冗談でも何でもない事実なのだということに気付く。

 

 

「だから……訳が分からねぇ――私の『加虐圧搾(ハートフルペイン)』は対象者の肉体の情報を――朝何を食べたかとか、血中のヘモグロビン濃度はいくつかとか――勿論毒を飲んだんならその毒の構造式だって分かるはずなんだ。……なのにコイツの身体を蝕んでいるのは『毒』だということしか分からねぇ。拮抗薬も致死量も……何も分からねぇ」



「そんな馬鹿な……」

 


 毒物を同定し、応急処置で延命。応援に解毒薬を持ってきてもらう予定だったのだが、毒が何なのか分からなければ解毒は不可能だ。それにいくら延命したところで、男の意識が無くなって痛みを感じなくなってしまえば、癒浦さんのタスクで情報を抜き取ることができなくなる。そうなったら、詰み(チェックメイト)だ。



「――おい、どうするよ」



 ()()()()――正体不明の毒物を解毒できる奇跡に賭けるのか、延命を諦めて情報収集に徹するか。患者か、組織か。



「私たちは……医療部です。いつ如何なる状況においても、患者の命を最優先に動かなければなりません」


 

 私のその言葉を聞いて、癒浦さんは毒づくように小さく息を漏らす。私は医者なのだ。治療が、救命が、命が。自らの存在意義なのだ。それは癒浦さんだって同じことで、だから私の決断に異議を唱えることはできなかった。



「――ですが」



 心が軋む。信念を、本能を、存在意義(レゾンデートル)を。己の心を構成する大事な要素を引き剥がして、前へと進む。



「私たちは帝国直属治安維持組織1st(ファースト)の医療部です。地安全体の利益は医療部の利益を上回ります」



 癒浦さんが私の顔を凝視する。信じられないものを見る顔だ。できることならば、こんな醜い表情を見られたくなどは無かった。己を貫き通せない、弱虫の表情など。



「毒物の解析は不要です。この男の個人情報……仲間たちや所属団体、その所在地を調べてください。最低限の処置は私が続けます」



「…………」



「な、何をしているんですかッ! 早くしてください――」



「私は、医療部としてコイツの情報を調べる」



「……?」



「地安としてじゃない、医者としてだ。コイツの身元が分かればあのガキどもが襲われてる理由も分かる。襲撃を阻止できる。傷つく人間は一気に減る」



「癒浦さん……」



「私は命を守るために行動する。それは医療部として正しい行いだ。何も間違ってはいない、だろ?」



 彼女の笑顔を見ていると胸にかかったモヤが晴れてゆくような心地がした。物事を深く考え込みすぎてしまったときに、この力強い笑顔は存外効き目があるのだった。

 


「……はぁ、まさか私がトリアージを間違えるなんて。…………癒浦さん、急ぎましょう。あまり時間がありません」



 私のその指示を聞いて、癒浦さんは肩の荷が下りたような表情で男に向き直り、再び花弁を手に取り始めた。



「優しいですね、癒浦さんは」



「うるせー黙れ」



 それからの数分間は異様な光景であった。医者が二人、患者が一人。治療は行われず、死にゆくのをただ傍観することしかできない――男の意識が無くなり、間もなく命が途絶えるまでの数分間は。



 その後に私たちができたのは、男の顔に布をかけてやるぐらいのことだった。

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