第十四話 上手にできました
「――死ぬかと思いました」
「よかったね、死んでなくて」
訓練場ゴールの扉を開け、芋虫に負けそうな速度で這いずる私を見下ろして、枢さんは悪びれる様子もなくそう言ってのけた。これが半月に渡るぶっ通し修行をやり遂げた人間に向ける視線だろうか。人の命を何だと思ってるんだ、この人は。
――本当に死ぬかと思った。手足に加えて頭部が使えない状態での坂登りや綱渡りは一時間かけてようやく二、三メートルほど進める有様だったし(どうやって進んだかは乙女のプライバシー的に聞かないでもらいたい)極めつけがあの部屋だ。あれは確実に――殺しにかかって来てた。あんな装置、SAWのゲームでしか見たことない。五体満足なのが奇跡と言ってよかった。
「言いたいことは色々ありますけど……効果てきめんだったので何も言えませんね」
数日ぶりに手足に力を籠めて立ち上がる。同じく数日ぶりに動かした顎の痛みに表情を歪めながら、私は枢さんへと向き直った。全身で、タスクを使う――初めてのときはそんなことができるものかと不安しかなかったが、足で出来るようになり、頭で出来るようになり……今では「多分出来るんだろう」という期待を含んだ安心感が漂っている。
「それじゃあ最後は――全身同時にやってみようか」
枢さんがそう言った瞬間、風を切る音とともに私の周囲に大量の鉄球が現れた。おそらく服の中にでも隠していたのであろう十数個の鉄球は目にもとまらぬ速さで――というか目に映らない速さで――いつのまにか私を取り囲んでいた。風圧で髪がふわりと巻き上がる。
「……やってみます、できるかわかんないですけど」
「できなかったら訓練もう一周ね」
「…………や、やってやります!」
鉄球がゆっくりと近付いてくるのを感じ、私は精神を研ぎ澄ませた。鉄球から微かに漂う冷気が肌を撫で、全てが肌の1ミリ向こうで停止しているのが、その冷気でわかる。それらに全身で触る――精神のとても奥深くから昇ってくる何かを私は感じていた。深く考えずに、私は膨れ上がるソレを留めることなくそのまま表出させた。そして鉄球が私に触れる――
「通常通り・二丁目」
――否、私が、鉄球に触れた。
「自動運転」
瞬間、世界から全てが消えたように感じた。私だけがここにいる。重力すらも感じられず、空中に浮遊しているかのような奇妙な心地を覚える。時間の感覚がなくなり、何をしているのかが分からなくなる。どれぐらい、そうしていただろうか。聞き慣れた微かな金属音と、ゴトゴトという音に目を開くと、大量の鉄球が足元に転がっていた。
「できたじゃん」
枢さんは呆気にとられる私に向かって、「あぁ、この人はこれだからモテるんだろうな」と確信させるだけの可愛らしい笑みを向けた。はは、と口の端から空気を漏らしたような笑い声を上げながら、私は足から順番に力を失ってゆき地べたにへたり込んだ。
「わーっ! だ、だ、大丈夫ですかーっ!」
極度の疲労と達成感で頭の回っていない私の脳がかろうじて処理できた情報は、出入り口からてちてちと音が鳴りそうな足取りで駆けてくる濡羽さんと、「お、ボロボロの人間が見られるなんてツイてるな」とでも心の声で言ってそうな表情を浮かべる癒浦さんの姿だった。
「さっきのオートドライブとかいうやつ、アレ技名か? 特訓の間に考えてたのか? お? お?」
癒浦さんは完全グロッキー状態の私をいたわる素振りも見せずに、思春期にワックスを付け始めた息子をからかう母親のような(兄弟がいないので勝手な偏見であるが)表情を浮かべ、足先で小突いてくる。ハードコミュニケーションすぎるだろ。
「……技名はあった方がいいと思うけどねぇ、かっこいいし」
「気持ちが昂りますよね! 流石に大声で叫んだりはしませんけど……」
幸いこの場では技名付ける派が多数だったらしく、癒浦さんはちぇっ、とつまらなさそうな身振りをしただけで、濡羽さんに続いて私の治療を始めてくれた。
「悪いね、来てもらっちゃって。医療部の仕事は大丈夫だった?」
「全身の骨がバキボキになってるかもしれないから来て~……なんて言われて無視するわけにもいかねぇだろ。心配すんな、オペ七件、最速で終わらせてきた」
「うちの医療部はホントに優秀だねぇ」
訓練施設に入ってから昼も夜もない生活で時間間隔が完全に狂ってしまっていたが、壁にかけられた時計を見ると時刻は午後二時だった。何時からオペを始めていたのかは定かではないが、半日で七件の手術を終えてしまうあたり、1stの医療部は本当に優秀らしい。ただ拷問が大好きなサディストなのではないかと疑っていたので、少し安心した。
***
「……これで、ククリに追いつけたでしょうか」
簡易ベッドに寝かされ、針をぶっ刺され――めちゃくちゃ痛かった――全身を検査されながら私は枢さんに尋ねた。
「さぁ、どうだろうねぇ。男子三日会わざれば刮目してみよ――とも言うしねぇ」
「女ですけどね、私」
「――紗芽ちゃんはさぁ、どうしてククリちゃんの横に並んでいたいの?」
しばらくの沈黙ののち枢さんは私に問いかけた。悩みを抱える学生に問いかけて答えを導かせようとする教師のような、あるいは弟子に問答を行う僧侶のような声色だと、私は感じた。
「私のために生きてくれ、ってお願いしちゃったんです」
興味深そうな表情の枢さんに私は半月ほど前の出来事を話した。初めての出会いのこと。面接での出来事。彼女の心の深い部分に触れてしまったこと。
「だからせめて、ククリの生きる理由になれるぐらいには、しっかりしてなくちゃいけないなって」
私の長い自分語りを相槌とともに聞いていた枢さんは、ダイエットを始めた娘をからかう父親のような(痩せたいと思ったことはないので、これまた勝手な偏見であるが)表情で――
「私のために生きてくれ、ってさ……愛の告白みたいだねぇ」
――と、小声でそれだけ言って、向こうへと歩いて行ってしまった。
***
「大怪我はしてねぇけど、全身ボロボロだし、しばらくは安静にしてろよ」
検査は十数分で終わり、私は半月ぶりのベッドという天国のような場所から立ち上がることになった。
「せっかくだし、医療部の救急車で帰ろっかぁ」
「私たちを呼びつけたのって紗芽さんを本館まで運ぶのが面倒だったわけじゃないですよね……?」
少しだけ不満げな態度を浮かべて濡羽さんがツッコむ。前に癒浦さんから暴言を吐かれたときですら反抗しなかったというのに――救急車をタクシー代わりに使う輩に対して思うところがあるのだろうと、部外者ながら察した。
まさかまさか、そんなことないよぉ、と斜め上を見上げながら白を切る枢さんに呆れながら施設を後にし、駐車場に停めていた救急車に乗り込もうとしたその時だった。
「わーーーッ! すいませーん、止めてくださーーーいッ!」
間の抜けた声に私たちが振り返ると、坂の上から転がってくる無数の林檎と、底の破れた紙袋を手にそれを追いかける男女の二人組。ドラマのお決まり展開を再現したかのようなその光景に私たちは一瞬思考停止してしまったのだが、正義感の強いことだが取り柄の私は、こちらへ向かってくる林檎たちを受け止めるべく身体の痛みを押して駆け出した。
「ととっ」
腰をかがめて真っ赤な果実の一つを手で受け止めようとした瞬間。
「触らないで!」
「――え?」
濡羽さんの叫び声に私は動きを止めるが、運動エネルギーを内包した林檎は止まってはくれず、指先に当たってしまった。
そしてそのまま、私は自らの命を手放すこととなった。
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