DAY2ー1
翌日。私は椎名さんに会うために水道橋まで来ていた。こうして都内に戻ってくるのは随分と久しぶりだ。
元々私の実家は東京二三区内だった。具体的には墨田区吾妻橋。現在、東京スカイツリーがある場所のほど近くで生まれ育った。だから私はかつて歴とした東京都民だったのだ。まぁ……。訳あって今は千葉県の成田市に住民票ごと移しているのだけれど。
水道橋駅前の雑踏に紛れながら私は少しだけ懐かしい気持ちになった。中学高校とよく友達と東京ドームシティに遊びに来てたっけ……。そんな淡い記憶が蘇った。かつての私は本当にどこにでもいる普通の少女だったのだ。平日は学校に通い、土日には友達と街に出掛ける。そんな日常を送っていた。思えばその頃が一番楽しかったかも。そんな意味の無いことを思った。本当に意味が無いのだ。だって……。私は好き好んでそのありふれた日常を捨て去ってしまったのだから――。
それから私はJR水道橋駅西口のエクセルシオールに向かった。そして店に入って店内を見渡すと奥の席に黒いキャップを被った女性を見つけた。見覚えのある横顔だ。どうやら待たせてしまったらしい。
「ごめんなさい。遅くなりました」
私はその女性にそう声を掛けた。すると彼女はゆっくりと顔を上げた。綺麗な白い肌とどことなく冷たい瞳。かつて私と共演したモデル出身の女優。椎名美野里だ。
「麗子ちゃん……?」
椎名さんはそう言うと少し首を傾げた。それに対して私は「うん」とだけ返した。数年ぶりの再会。しかも私はすっかりただの一般人になってしまった。だから彼女は一瞬私が誰か分からなかったのだと思う。
「いやぁ。すっかり大人っぽくなったから一瞬分からなかったよ。……ああ、久しぶりだね。ま、座って」
「うん。失礼します」
私は促されるまま彼女の向かいに座った。そして改めて彼女の顔を見ると胸にこみ上げてくるものがあった。元々容姿端麗な子だったけれど……。こんなにも綺麗になったんだ。きっと毎日あの下世話で残酷な世界で磨かれてきたんだろうな。辛いことも悲しいこともあったんだろうな。酸いも甘いも、お腹がはち切れるほど味わってきたんだろうな。……私が逃げ出したあの場所にずっと残って戦ってきたんだろうな。そんなことを思った。
私がそんなことを考えていると椎名さんが「麗子ちゃん綺麗になったねぇ」とサラッと言った。そして「今からでもこっち側戻ってくればいいのに」と付け加えた。その言い方はまるで私の心の内を読み取ったかのようだ。
もちろん椎名さんは私の気持ちを読んだりはしていないと思う。でも……。私にはその言葉が耳に痛かった。もしかしたら『あんたはいいよね。芸能活動辞めてのんびりできてて。私なんか毎日クソみたいな連中に頭下げて回ってんだよ? ハゲた五〇過ぎのオッサンのつまらないギャグに愛想笑いしたりさぁ。共演者連中にも気を遣ったりさ。あり得なくない? そんだけ苦労してもピンハネされまくるんだからたまんないよね』と思ってるかも……。そんな無意味なことを思った。当然椎名さんはそんなこと考えるタイプではないのだ。良くも悪くも仕事は仕事と割り切るタイプ……。だと思う。
「アハハ……。ありがと。でも椎名さんのがずっと綺麗だよ。やっぱり現役の人には敵わないな」
私は脳内で溢れた感情をどうにか押し込めてそんな本当とも嘘とも言えない言葉を吐いた。我ながら酷いリアクションだ。
「フフッ。なーんか麗子ちゃんすっかり大人だねぇ。まぁそりゃそうだよね。あれからもう八年だし」
椎名さんはそう言うとホットコーヒーのカップの持ち手を指でなぞった。その仕草は妙に艶っぽく見えた。そう言えばこの子は結構な回数濡れ場も熟してるんだっけ……。そんな下世話なことを思った。そしてそう思った自分に対してすっかり芸能界から離れてしまったのだと痛感した。八年。それだけ離れれば当然だとは思うけれど。
「……えーと、改めて今日は時間作ってくれてありがとね。せっかくの休みに東京まで来させちゃってごめんね」
椎名さんはそう言うと申し訳なさそうに頭を下げた。そして「本当に会えて嬉しいよ」と微笑んだ――。