DAY1ー1
「おはようございます」
翌日。私はエレメンタルの事務所のドアを開いて中に声を掛けた。そしてその流れでタイムカードを切った。この瞬間からエレメンタルの事務員諏訪麗子。プライベートと隔絶された自分に変わる。
「諏訪さんおはよう」
「社長。おはようございます」
私は社長に挨拶を返すと口角を少しだけ上げた。今日も良い笑顔できてるかな? ちょっとだけ不安になる。
「昨日はお疲れ様でした。悪かったね。面倒掛けて」
「いえいえ。それで……。その後、問題なかったですか?」
「ああ、先方も感謝してたよ。まるで本当の親友みたいだったって……。笑えないな」
社長は笑えないと言いながら「ふっ」と鼻で笑った。この人は一見穏やかそうだけれど、結構腹黒いのだ。
「まぁ……。お役に立てたなら良かったです」
「ああ、本当に助かったよ。しかし変な時代だよな。友達のレンタルが商売になるなんて」
社長はそう言うとスッと立ち上がった。そして「今日は逢川連れて本社行ってくるから留守番よろしく」と続ける。
「かしこまりました。今日は新規オープンの店舗のサクラで一〇名。学園祭への派遣で三名。あとは……。美鈴ちゃんが相談に来るそうです」
「了解。派遣の方はいつも通り頼むよ。で? 香取さんは何しに来るんだ?」
「おそらく……。例の週末興行の相談だと思います。今月から興業のやり方だいぶ変わりましたからね」
「ああ……。そうだったな。まぁよく話聞いてやって。香取さんと夏木さんにはこれからも頑張って貰うつもりだから」
社長はそう言うと掛け時計に目を遣った。そして「逢川の奴遅いな」と文句を言った――。
その後。程なくして逢川さんが来た。そして社長に一言二言小言をを言われてからすぐに出発した。行き先は千葉市内にあるエレメンタルの親会社トライメライ。私が真の意味で雇われている会社だ。エレメンタルの会社の構造は少し特殊なのだ。一応は別会社だけれど、エレメンタルは実質トライメライの営業所みたいなものだと思う。
二人が行ってしまうと私は今日の仕事に取り掛かった。経費精算やらタレントのスケジュール調整やら。そんな雑務が山積みだ。これが私の日常的な業務なのだ。経理と総務。その兼任みたいなものだと思う。
思えば……。何も知らなかった二二歳の頃の私に仕事のノウハウを教えてくれたのはあの二人だったな。そんなことを思った。特に逢川さんには細かなところまで散々世話になってきたと思う。だから私にとって逢川さんは上司であると同時に大恩人なのだ。だって……。もしエレメンタルに拾われなければ私は路頭に迷っていたから――。
その日の午前中はそんな調子で何事もなく仕事を熟していった。いつもよりは少し早いペース。本来なら午後に回す仕事も午前中に片付けた。明日は椎名さんに会うために水道橋に行く。だから何が何でも今日中に面倒なことは片付けなければ。そう思うと自然とキーボードを叩く指が早くなった。自慢ではないけれど私のキーボードとテンキー捌きは人並みよりは随分早いのだ。事務屋としてはプロ。そう自負するほどに。
私がそうやって必死に仕事を熟していると事務所の前に宅配便のトラックが停まった。そしてすぐに宅配員さんが「こんちわー」と事務所に顔を覗かせた。ヤマト運輸や佐川急便のドライバーではない。おそらく個人の宅配下請けだと思う。
「どうもです。……荷物多いんですがどこに降ろします?」
宅配員さんはそう言うとチラッとトラックに視線を向けた。大量の荷物……。おそらく私宛のアレだと思う。
「お世話になっております。一〇箱くらいですよね?」
「ええ、ちょうど一〇箱です」
「そうしたら……。今台車持ってきますね。それに積んで置いてください」
私は宅配員さんにそう返すと事務所奥から台車を二台持ってきた。そして宅配員さんと一緒に荷物を降ろした。これは私の年中行事みたいなものだ。春と秋。年二回はこうして大量の段ボールを台車に乗せている気がする。
「ふぅ。これで全部ですね。ではここにサインを」
「はい。お手数お掛けしました」
私は宅配員さんにそう言うと事務所の冷蔵庫から持ってきた栄養ドリンクを差し出した。宅配員さんはそれを「どうもですー」と受け取るとすぐに帰っていった――。