第七話 戦々恐々
こんにちは、本日もよろしくお願いします。
次の日も、また次の日も、フィルは朝早く飛び出ていき、夜遅くに帰ってきた。
自分の弟子になるはずだった少女が別の人間に教えを乞うていることに対して、クライズは何も思わなくなっていた。
「おかえり、今日はどうだった?」
「いつもと変わりません」
「おかえり、少しは出来ること増えた?」
「はい」
「おかえり……」
「……」
いつしか二人の距離は離れていき、クライズはフィルに対して何も言わなくなる。
クライズにとって、毎晩顔を合わせるたびに訪れる沈黙が苦痛だった。
ある晩、いつも帰ってくる時間になってもフィルは返ってこず、クライズは心配になりつつも、彼女の実力を思い出すたびに、見限られたのだろうと思うのであった。
「ぷはぁ……くぅぅぅ! うめぇ!」
考えるのが面倒くさくなったクライズは一人でガルファンドから貰った酒を開け、チーズやソーセージを摘みに晩酌をしていた。
「あぁぁぁぁ……もぉぉぉぉ」
クライズの頬は紅潮し、判断力も鈍ってきたところへ、誰かが家の戸を叩いた。
「んあ?」
クライズは千鳥足で戸まで歩き、倒れ込むように戸を開けた。
「うお、ビックリした……何してんのクライズ」
「あえ? アミーダぁ?」
訪れてきたのは、アミーダと呼ばれる膝裏まで銀髪を伸ばした小柄な少女だった。
青いローブに身を包み、全体的にひんやりとした雰囲気を包んでいる。
涼し気な青色の瞳に、暗闇でも雪のように白く映える肌は妖精の様だった。
「酒臭っ」
アミーダは顔をしかめて鼻をつまんだ。
「ガルがくれたお酒を飲んでたんだよぉ。アミーダも一緒にどぉ?」
「ボクは遠慮しておく。ったく、キミら二人は酒の繋がりが強いね」
アミーダはため息を吐きながら、家に入り、一人宴の惨状を見て再度深いため息を吐いた。
「あえ? アミーダ一人? 最近の四天王はお供を連れないんだね」
「うん、キミが新しい弟子を取ったと聞いてね。様子を見に来たんだ。一人の方がキミも楽だろ?」
飄々とした態度で言うアミーダだったが、声音からは心配が滲んでいた。
だが、泥酔しているクライズにそんな胸の内が分かるはずもなかった。
「で? 弟子はどこなの?」
「いまね、ガルのところで面倒見てもらってる」
クライズは床で胡坐をかいて楽しそうに言った。
「は? キミの弟子なんだよね?」
「うん、そーだよ?」
「まさか、このお酒と交換した訳じゃないよね?」
「んなわけね―だろぉ! 私の弟子はねぇ……あれ……フィルは?」
「はぁ……フィルシアス・グラキンだっけ? キミは知らないだろうけど、あの子は王国の上層部では話題になっているんだよ。だからガルファンドの野郎も欲しがるんじゃないか?」
アミーダは椅子に座って、さらに乗っていたチーズを摘まみ上げた。
「んーー? そーなのぉ?」
「どうやら『加護』を五つも持っているんだろ?」
「え、そーなの? バケモンじゃん!」
「それ、本人の前で言わないようにね? というか、なんでボクが知っててキミが知らないのさ。一応師匠なんだろ?」
クライズは返事ともうめき声ともとれる声を上げると、立ち上がってアミーダの向かいに座った。
流れるように瓶を掴み上げて空になっていたコップに酒を注いだ。
「一応は余計だぞぉ。私だって頑張ってん○△✕※……」
「とにかく、フィルシアス・グラキンは誰もが欲しがる人間だ。権力争いのために良い武器になるからな。キミに託した時、ゴーザは何か言ってなかったのか?」
「ジジイ……うーーーん……」
アミーダは最後にチーズを一口食べると、ポケットから手紙を取り出してテーブルに置いた。
「じゃ、また酔ってない時に来るよ」
「ねぇ、アミーダ……私って、なんで生かされてるんだろう……」
アミーダはクライズを前にして歩みを止める。
「弟子が反逆して、師匠の私は何で死罪にならないんだろう……」
アミーダは難しい顔をしてクライズから視線を逸らした。
「殺すなら、師匠の私でしょ……普通」
「なぁ、クライズ、キミは酔い過ぎだ。ボクはもう帰るけど、あまり思い詰めないようにね」
優しい言葉をかけるアミーダへクライズは飛ついた。
「アミーダぁ! 心配してくれるのぉ?」
「だぁ! 抱き着くな暑苦しい! 心配じゃない! 人として言うべきことを言っただけだ!」
「んもう! 照れ隠ししなくていいって! ほらほら! 一緒にお風呂入ろうよ!」
「なぜそうなる! いい加減風呂くらい一人で入れ!」
「いーーじゃん! ホラ脱いでよ。私も脱ぐから!」
クライズはアミーダを右手で掴まえたまま器用に服を脱ぎ始め、一瞬で上裸になった。
「本気で脱ぐ奴がいるか! バカ!」
「ほらほら、アミーダも脱いで!」
「や、やめ……」
力でクライズに敵わないと悟ったアミーダは涙目になる。
容赦ない魔の手がアミーダのローブを掴んだところで、背後の戸が開く。
「遅くなりました。ただいま戻り……」
くたびれた様子のフィルは帰宅し、年端も行かない少女に纏わりつく半裸の変態を目撃した。
「あ……え、えっとお帰り、フィル」
フィルは酒の臭いが充満した部屋に目を細めながら、静かに戸を閉めた。
「ちょー! 待って待って! フィル待って!」
クライズはアミーダを突き飛ばして家から飛び出した。
「違うんだよ! これはただお風呂に入ろうとしただけで!」
「付いてこないでください!」
叫んだフィルは肩越しに鋭い視線を寄越し、クライズの足を止めた。
よく見れば、フィルの身体や衣服は土で汚れており、靴も履いていなかった。
「ど、どんな訓練を……」
「もうあなたには関係ありません……この変態」
「いや、え……あ」
クライズは自分の姿を見て、酔いから醒める。
同時に身体の髄から寒気が全身を駆け巡った。
「わたし、明日からガルファンドさんのところに下宿することにしました」
「え?」
「ですが、今日からにします」
冷たく吐き捨て、夜闇に去り行くフィルに、声を掛けようとしたが、クライズの口からは言葉が出てこなかった。
真夜中、いつもなら毎晩祭り騒ぎで有名な郊外の酒場は葬式のようにしんと静まり返っていた。
ごろつき、盗賊、魔族崩れの強面たちがこの世の終わりのような顔をして身動きが取れずにいる。
「もぉ、やだぁ……どうせ私は四天王も師匠も向いてなかったんだよぉ!」
理由は元四天王のクライズ・ファーストと現役四天王の氷王アミーダがカウンター席にいたからだ。
普段は朝まで暴れ回っている王都のはぐれものや無法者も借りてきた猫の様に大人しくしている。
「なぁ、酒のせいで困ってるのに、まだ飲むのか?」
「記憶全部なくなるまで飲むよ! 大将! 酒が足りねぇぞ! こら~!」
強面の店主が怯えながら酒を運んできてはすぐに離れていく。
「はぁ、ボクもう帰るよ。程々にね、クライズ」
「おうよ、また飲もうな! あっはははははは!」
アミーダが一足先に退店し、一人になったクライズは構うことなく出された酒を飲み続けた。
「あ、あの、お客さん、連れも帰ったことだし今日はこの辺で」
勇気を振り絞った店主が机に突っ伏すクライズに声を掛けた。
客からは勇気を称えた歓声が静かに上がる。
「あぁ?」
「ごめんなさい」
瞬殺された店主に、皆々が同時に肩を落とす。
「がーはっははは! この店はまだやっているようじゃの!」
豪快な笑い声が店の中に張り詰めていた緊張を粉砕した。
店に入ってきたのはハゲ頭が輝く背の低い老人、ゴーザだった。
「なんじゃこの店、シケてるのぉ」
猛獣が寝ているから静かにしろ、と誰もが叫びたかったが、相手が相手だけにだれも話しかけられなかった。
むしろ、「俺たちが何をしたって言うんだ」と絶望に暮れていた。
「お! クライズではないか! こんなところで何をしておる!」
ゴーザはカウンター席に駆け寄り、机に突っ伏して落ち着きを取り戻していたクライズの尻を叩きあげた。
「――――!」
その場にいた全員の防衛本能が働き、皆が武器を持って立ち上がる。
「痛ってぇなぁ……誰だよ」
「儂じゃ儂」
「ジジイかよ、何してんの?」
「なんじゃ、お主、泣いてたのか?」
「泣いてねぇし……別に」
クライズは顔を隠すように頬杖を突いた。
「てか弟子はどうした」
「ガルファンドに寝取られた」
「はぁ!? このバカ者!」
容赦のないゴーザの拳がクライズの脳天を射抜き、クライズはカウンターを粉砕して床に伏せた。
酒場全体に男の悲鳴が上がる。
「さっきから痛ってぇなぁ……!」
「弟子を手放す師匠がどこにおる!」
クライズは跳ねるように立ち上がり、ゴーザに頭突きをしてガンを飛ばした。
「オメェこそグレた弟子は見放すって言ってたじゃねぇか!」
「グレるのは師匠離れしたいい証拠じゃ! だがまだ一月も立ってない内に見放すバカがどこにおると言っておる!」
「あぁ? 方向性の違いですぅ! フィルが私じゃ不満だって言うからガルファンドに預けたんだよ!」
「はぁ……まだお主には人を導くということは早かったか」
ゴーザは嘲るようなため息を吐いて、クライズから顔を放す。
「似た者同士、上手く行くと思っておったのだがな……というかあの童の師匠はお主にしか務まらないと睨んでおったのだが……」
「なんでよ」
「同じいじめられっ子だから」
ゴーザは悪びれる様子もなく、クライズの胸の内にしまっておいた黒歴史を引っ張り出した。
クライズの顔はみるみる紅潮していき、次第に店全体を揺るがすほどの迫力を放ち始める。
「毛も生えてないガキじゃな、お主もまだまだ」
「毛ぐらい生えてるわ! いきなり来て喧嘩売ってくんなよウゼぇな!」
「師匠に対して敬意を払わんか! お主のそういうところが童に伝わったんじゃろうよ!」
「んだとゴルゥアァ! 本当のこと言いやがって!」
大老師ゴーザと冥王クライズの言い争いに、客は恐れおののき、今までの悪行を懺悔する者、家族への遺書をしたためる者、何とか抵抗しようと徒党を組む者、世界の終わりを悟る者……普段とは違うお祭り騒ぎだった。
「店主! 騎士団呼べよ! 四天王の誰かに助けを求めろ!」
「うちの店、非公認だから……」
「んなこと言ってる場合かよ! みんな死んじまう! 店が吹き飛ぶぞ!」
ここ数分で店主はやつれていた。
「どうせお主は王都では居場所が無いから返ってよかったかもな!」
「ああん?」
「お主が師だとあの童もさぞ恥ずかしかろうよ!」
「テメェ……言いたい放題言って……!」
クライズの拳とゴーザの拳が激突し、店の瓶がカラカラと音を鳴らす。
続いて、互いが胸ぐらを掴み、頭突きをした。
木造の店がキシキシと悲鳴を上げる。
そこへ、再び店の扉が開き、黒い鎧に身を包んだ大男が泣きじゃくる少女と共に現れる。
「お父さん! ガルファンド様を連れてきたよ!」
少女は店主へ向かって叫んだ。
この店の看板娘が一足先に助けを求めて街を駆けまわっていたのである。
ガルファンドは状況を一瞬で把握すると、ゴーザとクライズの間に割って入った。
「ええい、見苦しい!」
鋭く落とされた手刀にゴーザとクライズは堕ちた。
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