第三話 獣王ガルファンド
こんにちは、本日もよろしくお願いします。
冥王クライズの弟子、ヴァリス・ロードが魔族と共にクーデターを起こしてから一週間が経過した。
クライズは騎士団の計らいで郊外の平原に家を貰い、新たに弟子となったフィルと共に移り住むことになった。
「ここが私たちの新しい家……なん、だけど」
「汚いですね」
フィルの無慈悲な言葉がクライズの胸を貫いた。
石造の外壁には緑が生い茂り、いたるところに蜘蛛の巣が張り巡らされている。
堂々と隠居できなかったため、ある程度のクオリティは仕方がないと腹を括っていたクライズだったが、ホコリを纏ったネズミが床を駆けまわる光景を見て絶句した。
「じゃ、じゃあまずは一緒に掃除しよっか?」
「いえ、わたしは素振りをしています」
クライズは耳を疑った。
「え、えぇ?」
「掃除が終わったら呼んでください」
「い、いや、一緒に掃除を……」
クライズの呼び止める声も虚しく、フィルは大荷物を下ろし、木剣を持って立ち去ってしまった。
「……が、頑張るぞぉ……」
と、意気込んで掃除を始めたクライズだったが、始めて数分で、「なんで元四天王なのにこんな仕打ちを受けなきゃいけないんだ」とか、「そもそも怪我人なんだけど」とか、「てか弟子手伝えし」とか……。
二時間にわたってブツブツと独り言を呟きながら床を磨いていた。
「よーっし、何とか終わったかなぁ……あ~足痛ぁい……」
四天王に抜擢された時や、苛烈極まる戦闘を切り抜けた時よりも大きな達成感に、自然と笑顔が零れるクライズだった。
「ふいー……久しぶりにお酒とか飲みたいなぁ」
などと言いながら椅子に腰を下ろした。
「……これからどうしようかなぁ」
まだホコリが溜まっている天井を見上げて、外で素振りをしている音を聞く。
喧騒に満ちていた王都と違って、草原の草木が風に揺れる音や鳥のさえずりといった、最低限の音しか聞こえなかった。
まだホコリ臭い空気を鼻から深く吸い、日常に小さく踊る胸を感じる。
「ん?」
だが、途端に窓が音を立てて揺れ始め、次第に家全体が巨大な揺れに包まれる。
次の瞬間、下から突き上げられるような衝撃に、クライズは椅子から転げ落ちた。
追い打ちのように、天井に溜まったホコリがクライズへ降り注いだ。
「ぶわっ! ゲフっ! ゴホっ!」
真っ白になったクライズは慌てて外へ飛び出した。
「フィル! なにごと―――」
クライズが目撃したのは漆黒の鎧を纏った騎士がフィルへ巨剣を押し付けている光景だった。
勝気で荘厳な横顔に短い茶髪、巨剣を片腕で振るう巨躯。
フィルは三倍ある体格差をものともせず、巨剣を木剣で受けている。
「――」
だが、黒騎士は漆黒のマントを靡かせてフィルの痩躯を引きづり回しながら、掃除したばかりの家へ弾き飛ばした。
一直線に吹き飛んだフィルの身体はクライズの横を通って、家の外壁に激突した。
「え、え? フィル? 私の寝室!」
壁に大きな穴が開き、クライズが寝室として使おうとしていた部屋が屋外と化してしまった。
顔面蒼白するクライズへ、背後の黒騎士から声が掛かる。
「よぉ、クライズ……意外と元気そうだな」
黒騎士は巨剣を肩に担ぎ、地面を一歩一歩、陥没させながらクライズへ向かった。
「ガルファンド……何でここに」
「お前が弟子を取ったと聞いてな、どんな――」
言下、金色の一閃がクライズの背後から駆け抜けていく。
黒騎士の巨剣とフィルの木剣が再度激突し、押し出された空気が巨大な壁となってクライズを襲う。
遅れて破裂音が響き渡り、クライズの聴覚を耳鳴りが塞ぐ。
「――ほう……? 良い牙だな……」
振り払われたフィルはクライズの前に着地する。
額から血を流し、血走った眼をしたフィルは獣のような息遣いだった。
「クライズさん、敵襲です」
「あ、えっとね、フィル」
「殺します」
フィルはクライズの言葉を跳ねのけて再び黒騎士へと向かう。
「その人! 四天王だから!」
「へ? ―――へぶっ!」
黒騎士の放った拳は雷のような轟音と共に振りぬかれる。
フィルの痩躯は釘の様に頭から地面へ突き刺さった。
「だが、躾けはなってない」
「あちゃ……」
黒騎士、獣王ガルファンドは家の掃除を手伝った後、家の前に腰を下ろした。
ガルファンドが手伝ったことにより、家はすっかり元通りになる。
「で、なんでウチの弟子と喧嘩してたわけ?」
クライズは自分の膝にフィルを座らせ、額に包帯を巻きながら尋ねた。
一通り包帯を巻き終えたクライズはブラシを取り出して、土で汚れてしまった金髪を撫で始める。
フィルは口を尖らせて大人しくブラッシングされていた。
「いや、その子が俺の顔を見るなり斬りかかってきたものだからな」
獣王ガルファンド。
クライズの同僚であり、戦友。
王国騎士四天王の一人として、王国の平和を守る実力者だ。
「そうなの? フィル」
フィルは少し間をおいて頷いた。
「はぁ……相手が一般人だったらどうすんのよ……」
「黒い鎧を着ていたので……魔物かと思いました」
ばつが悪そうにフィルが言うと、ガルファンドが噴き出す。
「はっはははは、そうか、なら鎧の色を変えねばな」
「はぁ……で? ガルは何をしに来たの? 引っ越し祝いでも持ってきたわけ?」
「あー、そうだそうだ」
ガルファンドはマントの中から巨大な瓶を取り出して地面に突き立てた。
「酒だ」
「……か、神! 神ですかガル様!」
「ツマミもあるぞぉ」
「もう大好き!」
興奮するクライズとガルファンドに、フィルは目を丸くしていた。
大の大人二人が子供の様にはしゃぐ様子を見て酒という代物にどんな魔力が込められているのかという訝しむ顔だ。
「馴染みの酒場で調達してきたものだから代わり映えはしないがな」
「それでもありがたいよ。大事に飲むね」
「くれぐれも飲み過ぎるなよ? 迷惑するのは弟子なんだからな」
クライズはガルファンドの忠告を右から左へ聞き流し、一升瓶を大事そうに抱え上げ、頬を摺り寄せた。
「で、だ」
ガルファンドは笑顔から一変して真面目な顔をした。
「お前さんの良くない噂が王都で蔓延っているのは知っているか?」
ガルファンドは深刻そうな顔をして言った。
「まぁ……そうだろうね」
フィルは暗い顔をするクライズを見上げた。
「今の冥王に、面目なんてものは無い」
「珍しく辛辣だね、ガル」
「新居を掃除し終わってなんだがな、旅に出てみてはどうだ? あの時の様に」
「旅……か」
クライズはフィルの頭から手を離し、自分の左足に触れる。
「歩くの面倒だなぁ」
「今すぐにとは言わない、ただ、さすがの俺にも民衆の印象操作はできない」
「息苦しくなる……のかな。まぁ実際、世間からどういう目で見られているのかは知ってるけどね」
クライズの表情が陰る。
「クライズ、お前のためでもあるが、弟子のためにもなるんじゃないか?」
自ずと、クライズの視線はフィルへ落とされた。
「フィルはどう?」
「わたしは……クライズさんから教えてもらいたいことがあるので、それが済めばどちらでも構いません」
クライズは笑顔を引きつらせた。
「なんだ? まだ何も教えてないのか?」
「掃除してたんだよ。それから色々教えようとしてたのー」
クライズは酒瓶を抱きかかえながらガルファンドを睨んだ。
「そうか、なら邪魔をしたな」
ガルファンドは立ち上がって、踵を返した。
「まぁ色々大変だろうが、何か困ったら俺を頼れよ。権力を行使してやるからよ」
「ありがとうね、ガル」
ガルファンドはクライズの声に手を振り返して去っていく。
「あれが……四天王」
大きな背中を見つめて一言、フィルが零した。
「うん、すっごく強いよ」
「はい……速くて、重かった……ただ剣を振り下ろされただけなのに……加護や魔法を駆使しても敵いませんでした」
いつしか、フィルの表情は子供の様に輝きはじめ、驚愕の視線は憧憬の眼差しへと変わっていく。
「何の加護でしょうか……いえ、あれは単なる実力? 心技体……全てにおいてわたしの上を行く方と初めて会いました。魔法だろうとどんな不意打ちだろうと、あの方には通用する気がしません……凄いです……! 何をどう鍛錬したらあんなに強くなれるのでしょうか……!」
「……フィル?」
クライズは横から恐る恐る声を掛けた。
「あの人の弟子になりたいです」
「おい」
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