8・黒い隕石
「ふむ。カーネリアも気づかなかったか」
「残念ながら」
「だからな、クリストフ。これは由々しき事態だと言っておるだろう?」
「はあ……」
気乗りのしない返事をした騎士団長クリストフは、応接間に集まっている面々をゆっくりと見回した。国王、カーネリア、そしてエル。自分も含め、たった四人だけだ。国王も交えて応接間にいるのは、これが秘密裏に行われている会合であり、謁見の間など使うのは理に介さないからである。それもこれも、表に出たがらないカーネリアの、聖女を引き受ける条件、とやらにはいっているからで、ほいほいとそんな条件をのむ国王もなにを考えているのか分からない。のらりくらりとしていながら、時々すべてを見通したように民を導く自国の王の手腕に疑いはないが、このうさんくさい女――カーネリアについて絶対の信頼を置いているのは正直少々目に余る。
「しかし、隕石だと? そんなものが落ちて、この私すら気付かないなどそんなバカげたことがあるか。にわかには信じがたいな」
腕を組んで窓から晴れた空を見やる。彼女の瞳に映る街を覆う結界は、なんら変わりなく存在している。結界は魔物だけではなく、野火やそれこそ隕石の落下などといった天災まで、いきものの命に関わる災厄から守る役目を果たしている。近くに隕石が落ちたのならば、当たらなかったとしてもなんらかの痕跡ぐらいは残っていてもおかしくはない。少なくとも、現在結界の魔力を補っているカーネリアには、違和感程度あってもおかしくはないはずなのだ。
「まあいい。実際にこの目で見れば分かることだ。それで、隕石はどこに落ちた?」
「君の住む塔の裏手に森があるだろう? あの森から五キロぐらいのところらしいよ」
「はあ!? 本当に目と鼻の先じゃないか!」
珍しくカーネリアが声を荒げて抗議をする。王は慣れたもので「そうだな」と一言返しただけだった。
「そんな場所に落ちたと言ったやつは誰だ? いや、そもそもこの私が気付かない隕石など見たものがいるのか? いるのならさっさと名乗りでるがいい」
「……って言うと思ったから、呼んでる」
はいってきていいよ、と友人にでも言うように、国王は軽いノリで扉の外に声をかけた。いつの間にか扉の脇に移動していたクリストフが、そっと扉を引く。
「……?」
場違い感をこれでもかと醸し出していたエルの鼻をふわりとくすぐっていったのは、甘いバラの香り。どうやら自分以上に、この場にそぐわない人間がやってきたのでは、とエルは少しだけ期待を持った。
「お久しぶりね、カーネリア。あなたが本当に聖女やってるなんて、驚きですわ」
カツカツと足音を響かせて颯爽とはいってきたのは、オレンジ色の立派なお下げと、大きな丸眼鏡が特徴的な女だった。華美すぎないドレスの裾を上品に持ち上げ、クリストフと国王に会釈をする。
名前と、大っぴらには公表していない聖女であることを言い当てられたカーネリアはしかし、訝し気に眉を跳ね上げて首をかしげる。そんな彼女の様子を見、隕石騒動の発端である女は「あら」と血色の良い唇に指を当て、眼鏡の下の丸い瞳を細くして笑う。
「覚えていないかしら? 覚えていないですわよね。孤児院で、あなたはいつも一人だったもの」
「そうだな。特に覚えていなければならないほど重要なこともなかったしな。残念ながら、人間の記憶には限りがある。無駄なことを覚えている余裕はない」
「なッ。その可愛げのない性格、少しは直した方がよろしいのではなくて? まあ、無理でしょうけど」
「無理だな。そもそも、直す理由が見当たらない」
怖い。
二人の女の言葉の応酬を、エルは逃げ出したい気分で聞いていた。しかも、二人とも淡々と、カーネリアは普段の挑戦的な笑みを、もう一人は世間話でもしているかのようなにこにこ顔で話しているのである。
先ほどまでとは別の場違い感を嫌というほど感じながら、エルはせめてもの抵抗として、空気となることを試みる。目立たずぼおっとその場にいるだけ。聞こえる言葉は右から左へ受け流す。なにも考えず、心を無にして……。
――いる場合ではなかった。
なぜかそのお下げ眼鏡さんが、近づいてきたと思ったらエルの腕にしがみ付いたからである。
「え、ええ? な、なんでしょう……?」
「カーネリア。わたくしの次期聖女の椅子を奪い、その上エルドレッドさままでかっさらっていくなんて、なんて強欲な女でしょう。わたくしからしたら、あなたは魔女以外のなにものでもない」
空気になるどころか、話の中心部分に巻き込まれている。エルは女に見覚えはなかったが、ちらりと彼女を見ると、レンズの下から甘い桃色の瞳が見上げていた。
「それは王に文句を言ってくれ。聖女の座もエルについても、決めたのは王だからな」
言いながら、呆れた瞳を国王に向ける。いい加減、口を挟めと紫の瞳は言葉以上に声を上げていた。
「はいはい。喧嘩はその辺で。シオン・アンリエッタ。君をここに呼んだのは、聖女の選定をし直すからではないよ。君は癒しの奇跡を起こせるのかもしれないが、それでも君は聖女じゃない。ただ、魔法の力が強いというだけだ。誤解されがちだけど聖女っていうのはね、癒しの奇跡を起こせるもの、って意味じゃないんだよ」
実際はね、もっと複雑なの、と国王に否定されては、返す言葉もなかったのだろう。シオンと呼ばれた女は、悔しそうに唇を嚙みしめてエルの腕をぎゅっと握る。
「あとね、エルも放してあげてね。なんか痛そうだから」
「そんな理由!?」
「だって、君と彼女の因縁なんて知らないし。力強くて痛そうに見えるのは本当だから」
「あ……ッ!」
急に下を向いて腕を解放したシオン。エルはぱっと腕を組むと、身体を少し彼女から遠ざける。彼女は可愛いタイプの美人であるのは認めるが、まったく記憶に存在しない人間に名前を覚えられるほど自分は目立ったことがないはずだ。カーネリア付きになった事件にしても、名前までは出ていない。なぜ彼女が一方的に自分を知っているのか、さすがに気になり、距離を取ってしまう。
すると今度は、隣に座るカーネリアに必然的に近づく形になるのに気付き、なんだか微妙な気分で背筋を伸ばした。縦になるべく細長くなっているイメージであるが、不自然極まりないことこの上ない。
「なにやってるんだ」
「なに、やってるんでしょう」
彼のお気楽な騎士仲間などが見たら、両手に花などと茶化したに違いない。見た目はそうだが、圧倒的な毒を持ち合わせている花と、得体の知れない新種の花だ。恐ろしくて、触ろうなどとはとても思えない。
毒花――カーネリアは肩をすくめてため息をつくと、エルから国王へと視線を移した。国王は頷くと、うなだれたままのシオンに声をかける。
「シオン・アンリエッタ。隕石を見たときのことを、話してくれるね?」
隕石……とシオンはぼんやり呟き、ゆるりと移動するとエルの正面に腰をおろす。
「あれをなんと呼んだものか……。分かりやすいよう、ここでは隕石としましょう」
下を向いたままではあるが、ぽつぽつと彼女は話しはじめた。
「わたくしは、天体観察が趣味なのです。昨日も、いつもと同じように窓を開けて夜空を眺めておりました。昨晩は月の光が強く、星の観察にはあまり向かない日でしたが、それでも時間をおいて何度か星の動きの記録を取りましたわ。スケッチも残してあります」
言って、テーブルの上に取り出したのは数枚の夜空のスケッチである。時間と方角がメモされ、時間ごとに目当ての星の名前、動きが分かるようになっていた。
「ほう。これはなかなか。趣味の域を超えているな」
カーネリアが感心の声をあげる。王が三枚目のスケッチを指し、「これか?」と端的に問うた。
そのスケッチには、前の二枚にはなかった真っ黒な物質がえがかれている。それはどことなく、壁画と似ているような気もする。時間はちょうど夜の十二時。日付が変わった時刻である。
シオンは頷き、黒い物質をとんとん、と細い指で叩いた。
「最初は、なんだか分かりませんでした。ただ、とても月明りが強い晩でしたのに、光が届かない場所があるように思えて、目を凝らしたのです」
すると、夜の闇よりも暗く、月の光も遮断するなにかが上から下へ動いているのが見えたのだ、という。
「その黒い隕石は、月の光だけでなく、星の上も通過しました。上から下へ星の前をなにかが動いているのは明らかで――わたくしはそれから目が離せなくなったのです」
結果として、黒い隕石はするすると夜空を滑るように落下し、森の向こうに消えたのだという。ただし、落下時の衝撃も音もなにも感じられず、落ちたとは思うが目視はしていない、と彼女は締めくくった。
なんとも言えない沈黙が、応接間を覆う。
「黒い隕石か。しかし、落ちたものを見ていないのでは断定はできないな。黒いいきものが飛んでいただけかもしれん」
「ここにくるまでに少し聞き込みをしてみたのですけれど。時間が時間ですから、寝ていた方が大半でしたが、それらしいものを見た、という方も数名はいましたわ」
「数名ねえ~」
国王が、唸るように声を出す。
「それに、見た人がいても、それが隕石とは言い切れないですよね」
エルが正論を口にして、シオンはばっと顔をあげた。その丸い瞳にはうっすらと涙が浮かんでいて、エルはびくっと肩を跳ねさせる。
「エルドレッドさままで! わたくしは、天体に関しては自信がありますの! あれは見間違いなんかじゃないし、いきものでもない。空から降ってきたものですわ」
だから、どんなに確証がなくてもご報告にきましたの、とシオンは続け。
「それに、嘘だとおっしゃるのなら最初からおっしゃっているでしょう? わざわざカーネリアまで呼んで、秘密の報告会みたいなことをしなくとも」
「まあ、そうだよね。勘ぐっちゃうよね。別に、シオンを泣かせるために呼んだわけじゃないよ」
苦笑しながら国王は言うと、扉の側で一言も言葉を発さず壁の一部になっていたクリストフを呼んで耳打ちをした。自分が口を挟める問題ではないと理解して、きっちり口を閉ざしていた騎士団長は、王の言葉を聞き終えると短く答えて扉を出ていく。
「だからね、こうしよう。とりあえず、その黒い隕石があるのかどうか見に行こう。なければないでいいし、あったらあったで音もなく落ちてくる隕石なんて、きちんと調べないといけないからね。安全かどうかだけでも、まずは、ね」
それでいいかい? と適度な脱力感をともなわせて、国王は言った。
隕石調査を行うという方向で話がまとまったところで、解散となった。
シオンが最初に、エルが少し離れてゆっくりと部屋を出ていく。続こうとして、カーネリアは国王に呼び止められた。足を止めて振り返ったエルに先に帰っていいと伝え、彼女は応接間の扉を閉める。
「さて……。彼女の話。正直にどう思った?」
「……光すらうつさない、黒い隕石とはな。本当かはさておき、思い当たるのは一つだ」
「地下の壁画かね?」
「さあ。本物を見ていないのでなんとも。ただ、似ては、いる」
「見に行くのなら、行っていーよ。というか、あの壁画を知っている人間で身軽に動けるのってカーネリアだけでしょ」
のほほんとのたまった国王をじとりと見やり。
「それはつまり、行けという意味だな」
「そう」
「しかし、その間魔力の補充は誰が行う? あれは意外と魔力を食われるぞ?」
「大司教でいいんじゃない? というか、他にあの場所を知っているのは彼しかいないし」
「……絶対に自分は行かない、という顔だな。分かった、一筆書いてくれれば大司教に遺跡に入る権限を付与しよう」
まったく、人使いの荒い王様だ、とカーネリアはぼやく。そんな彼女の横で、国王はまるで子供のようににこにこと笑った。
「カーネリアだって、隕石を調べたくてうずうずしてるくせに」