22・聖女の証
「――ッ!?」
一瞬のことで、エルは頭が真っ白になった。ただ自分は、カーネリアに指示された通り上を向いただけででもそこにはシオンの顔があって、なぜか自分の唇はいまシオンの唇と接触事故を起こしている最中であり――。
柔らかな唇から感じる体温が、いやに艶めかしい。どくどくと、心臓はぶっ壊れそうな勢いで仕事をしている。否、もう仕事を放棄しそうだ。上気した頬が視界にはいり、エルはぎゅっと目を瞑った。
唇から、体温が離れた。ゆっくりとまぶたを持ち上げると、シオンの潤んだ桃色の瞳が飛び込んでくる。
「エルドレッドさま……。いやッ、なによあなたたち、わたくしの幸せな時間を奪わないで! これは、わたくしが独り占めするのですわ! わたくしの中から、出ていきなさいよーッ!!」
アレはどんなめんどくさい魂がひっついていようが、落ちる、とカーネリアは作戦の成功を一人ほくそ笑む。
遺跡がぶっ壊れそうな音量で怒鳴り散らした結果。
半分黒く染まったフィロメラの魂は、ぽんっと間抜けな音を立てて外に放り出された。半透明の、成人を迎えたばかりのような少女である。仮初の身体と似ているようで、それほど似ていないように見えるのは、なぜだろうか。
「これで、手加減する必要はなくなった」
にやりと壮絶に笑って、カーネリアはこん、と杖をつく。周囲に展開された白い魔法陣から、一斉に光線が射出された。黒い爆弾に対応したものよりも太く、そして速い。それらは縦横無尽に動きまわり、あらゆる角度からフィロメラの、黒く染まった部分へと撃ち込まれていく。彼女の口から、二人分の声が重なった悲鳴がもれる。
目の端に、ぼけっと突っ立っている騎士の姿が映り込んだ。
確実にシオンが目覚めるようにとあんな策を仕組んだのは自分だが、なんとなく成功を喜べず、カーネリアは八つ当たりのように魔力を巡らす。
「あなたたち……。よくも人の身体を散々好き勝手に使ってくれましたわね。覚悟しなさい!」
なんの注意もなしに触ったのはシオンなのだが、それを指摘するのはあとでもいい。とにかく、シオンは相当頭にきている。
つまり、戦力になるということだ。
シオンは、眼鏡をくいっと上げて左手を上にかざした。カーネリアにも負けないほど大きなオレンジ色の魔法陣が展開する。
「さあ、たっぷり後悔してもらいますわよ! 太陽の息吹!」
「うわっちちちちちッ!」
所狭しと吹き荒れた熱風は、ジークの毛並みも焦がすところだった。エルもじゅうぶんとばっちりをうけて、端っこで固まっている。それすら目にはいらない様子のシオンが放った魔法は、フィロメラごと災厄を飲み込んだように見えた。本来ならば、詠唱も杖もなしに放った魔法など、効く相手ではなかったはずである。依り代から引き剝がされ、魂がむき出しになった状態ではやはり弱っているのだろうか。
などと、カーネリアが分析を行っているあいだ、エルとジークは同じ言葉を脳内に浮かべていた。
「……こわい」
先ほどまでの斬り合いよりも、いまのほうがずっと怖い。シオンの魔法が終息するまでぴくりとも動かないよう気をつけながら、やはりシオンが一番の危険人物だと改めて認識した。
太陽の熱風が少しずつ弱くなっていく。ほおっと大きくため息をついたエルの耳に、か細い声が届いた気がして、彼は知らず耳を凝らした。
フィロメラだ。
古の聖女は、魂だけになった身体を震わせて謡っていた。守護兵器を止めたときと同じ、誰も知らない古代の言葉で。
彼女と同化した漆黒は、半透明の彼女の中をもがくように動きまわる。頭の上から足の先まで、ぐるぐると動き、弾け、また元に戻る。まるで統一性のない動きは、多分、苦しんでいるのだろう。
「ダメよ……。あなたはわたしから離れられない。わたしと同化した時点で、あなたは終わりだったのよ」
漆黒が暴れ狂うたび、フィロメラの身体が薄れ、表情が歪む。魂という檻に閉じ込められ、そこから飛び出ようと闇雲にぶつかり、飛び回る。純粋なエネルギーにエネルギーがぶつかっているのだ。フィロメラだって、苦しくないわけがない。それでも彼女は、謡うのをやめなかった。
「これはわたしに執着しているようだから――連れていくわ」
半分黒に染まった身体を一瞥し、穏やかな声で彼女は言う。
「分かった。二度と戻ってこれぬよう、最大のちからを以って送ろう」
それは多分、カーネリアなりの優しさだったのかもしれない。
こん、とカーネリアが杖で床をつく。フィロメラのあしもとに、青い魔法陣がぐるりと花開く。名前に似合わぬラピスラズリの青色は、カーネリアの魔力の色だ。
ハスキーな声が、おごそかに詠唱を紡ぎあげる。
「我、ここに希う。汝の魂が、静かな眠りにつかんことを――」
――聖女の祈り。
ぶわりと、幻想的な青い火柱がそびえ立つ。熱を持たない青い火に巻かれて、漆黒は泣き叫ぶようにぐにゃぐにゃと形を変え、フィロメラは、自身の魂と同化した黒いものを抱きしめるように身体をかき抱いた。
――と。
黒いものの、動きが止まる。母の手に抱かれる赤子のように静かになった災厄を受け入れて、人にも神にもなれなかった聖女は安らかに消えていく。
姿が見えなくなっても。
青い火が消えるまで、フィロメラの歌声は響き続けた。
「カーネリアさん。……その、瞳……」
紅く輝く彼女の瞳。その中に、不思議な文様が浮かんでいる。壁画に描かれている古代文字なのだが、エルは見たことがないので説明する気もない。
だから、理解できるだろうことだけ口にする。
「これが本当の『聖女の証』だ。聖痕だよ」
「聖痕?」
「癒しの奇跡を使えるのが聖女だ、と広まっているがね。あれは、初代フィロメラの印象が強いだけで、本当のことではないのさ。本当に聖女に選ばれた人間には聖痕が宿り、人を超越したちからを得る。私の場合は、未来視だということになるが……実際、なにが本当なのかは分からんな。聖痕については、あの狸に聞いたのみで他に聞いた試しがない。私を聖女にしたかった狸の、ただの戯言かもしれん」
王ののんびりとした顔を思い出しながら、憮然とカーネリアは言う。言いながら、本当に王の作り話では、と自分でも思えてくるから不思議だ。
カーネリアの未来視は、三秒先の未来が視える、というもの。それ以上でも以下でもない。
たった三秒。
三秒先が視える。たったそれだけで、変えることができる未来もある。
「これで本当に魔女の見た目だが。もう一度、剣でも突き付けてみるか?」
「やめてくださいよ。カーネリアさんが魔女じゃないことぐらい、もう知ってます」
「そう言うのが視えたから、言ったんだ」
にやりと意地の悪い笑いを浮かべる。
「反則じゃないですか。俺は……カーネリアさんのその目、嫌いじゃないです」
「おや」
少しだけ驚いて、カーネリアは微笑んだ。
――ちょっとカーネリア! あなたやっぱり魔女なんじゃないですの!?
このままでいるとそうやって絡んでくる未来が視え、カーネリアは瞳を閉じると封印の魔法をかける。
「ちょっとあなたたち。いつまでここにいるつもりなんですの? さっさと帰りますわよ」
シオンが、エルを引っ張っていく。カーネリアは、紫に戻った瞳で見送り、ふと上を見た。
もう使われることもない、巨大な水晶が七本静かにきらめいている。管が繋がっている先は、確かめねばならないだろう。
カーネリアは、踵を返すと奥に安置されたままの棺に手をかけた。フィロメラが開けることができなかった蓋は、特にちからをいれることもなく開き、中の少女が外気に晒される。プラチナブロンドの前髪が、ふわりと揺れた。その髪に触れ、胸の上で重ねられた手を取って、カーネリアは呟く。
「……やはりな」
少女は、精巧に作られた人形だった。いくら文明が発達しようとも、仮の身体を保存できるほどではなかったらしい。
それだけの、理性はあったということか。
「いや――」
単に、作らなかっただけかもしれんな、とカーネリアは思い直す。
なぜなら。
人の身体など、作る必要がなかったからだ。
人形の身体であれば、死ぬことがない。転生することもない。
だから。
「……おや」
自然と、口元がほころんだ。自分の魔力が混ざっているというのも、悪くはない。
「カーネリア。それ、どーすんの? まさか持って帰るとか言わないよな?」
カーネリアを待っていたジークが、無遠慮に棺に足をかけて覗き込む。
少女の、美しいエメラルドグリーンの瞳が、珍しそうにモルモットを見つめていた。
ぱちりと、まばたきを、一度。
――生きている。
「……う、う」
驚きすぎて、言葉をなくしたジークに向かい、カーネリアは自信たっぷりに答える。
「もちろん、連れて帰るぞ。数えきれんほどの魔力が集まった結果、魂が生まれたみたいだからな」
フィロメラは、災厄の欠片とともに消滅した。
しかし、仮初の身体には、別の魂が生まれ、宿っている。
平和からやがて、滅びた世界もあったのかもしれない。歴史から消し去られた、誰も知らない真実の世界。
だが、もう一度同じ過ちを繰り返すとは限らない。
仮初の身体は、聖女にはならなかった。だが、奇跡とも言える魂が宿っている。
これだから。
まだまだ、この世界はおもしろい。
カーネリアは虚空を見つめ――魂の宿った人形を抱き上げると遺跡を後にした。




