18・メアリ
私はもう、誰も失いたくない。
そう思うようになったのは、一体いつからだっただろうか。
――否。
いつから、ではない。
元から、だったのだ。
その弱さから、誰とも深く付き合わぬことで目を逸らしていたにすぎない。
「……メアリ」
いつも自信にあふれている自分の口からこぼれたものとは思えぬ、弱々しい声。
「私はまた――」
間違ったの、だろうか。
見事なまでに美しく弧をえがき、吹き飛ばされる騎士の姿を思い出す。その騎士を殴った武骨な手のひらはいま、宙に投げ出されたカーネリアを守るように受け止めた。床を叩き割った衝撃で、大きな拳には無数のヒビがはいっている。あと、いくらも持たないだろう。
「……ッ」
なぜだか胸が苦しくなって、そっと太い指に手を這わせる。そんなカーネリアを、左肩に乗ったシオンが無表情に眺めていたのだが、彼女にとっていまはそんなことを気にしている余裕はなかった。
次々に、脳裏に浮かぶ幼い頃の映像。一人で――否、二人で楽しい時間を過ごした、限りある時間。
これは。
なんだ――?
白い手が撫でる温度のない武骨な指。大きさこそ違えど、それは、彼女の最初で最後の友人と同じ感触で。
刻一刻と深くなっていくヒビすら、同じ。
ガシャン――と。
目の前で力なく倒れて呆気なくバラバラになった、幼き日の友人が重なる。
そうだ。
目を逸らして、忘れていたのだ。
友人であり、騎士でもあった、小さき魔導人形のことを。
メアリ。
孤児院でも孤立していたカーネリアが作り出した、魔導人形だ。
切っ掛けは、壊れたおもちゃの人形を目にしたことだった。腕と足が取れ、さすがに孤児院でも使えないおもちゃと判断されたのだろう。捨てられる寸前だったその人形になぜかカーネリアは惹かれ、シスターに頼み込んで譲ってもらったのだ。本来、男の子用のおもちゃであるらしいそれは、人形とはいえ布と綿ではなく、木を薄く削ったものを重ね合わせたものに色を塗ったものだ。顔も、お世辞にも可愛いとは言えない。強そうなしかめつらをしていたのにも関わらず、なぜか幼いカーネリアはメアリと名付け、手と足を不格好ながら粘土で修復して部屋に置いていた。
寝る前に、メアリに話しかけるのが、いつの間にか彼女の日課。
メアリと話をしていると、不思議と孤独がまぎれた。他人と一緒にいないのは自分の意思ではあるが、だからと言って寂しくないかと言えば、そうじゃないこともあったのだ。
幼いカーネリアは、メアリを動けるようにすることを思いつく。生まれながらに魔法を使える彼女にとって、メアリに魔力を流して動くことを可能にするのは造作もなかった。とはいえ、動けるようになるというだけの話だ。心を持たない人形であるメアリは、言葉を話すことはできない。それでも、不格好な人形がちょこちょこと動きまわってカーネリアの言葉に首を傾げたりするだけで、彼女は不思議と笑顔になれた。
「これが、友というものなのかな」
一人、人形に向かって話しかける。メアリを動かすようになって以降、誰にも見られないよう、最新の注意を払っていたのだが、まだカーネリアも幼かった。楽しく、気を張っていないときの声。それが、薄い壁をすり抜けて外へ聞こえているなど、そこまで気が回らなかったのだ。
彼女が部屋で独り言をいつも言っている、誰かと笑っているようだ、という噂が瞬く間に広がり、カーネリアはずっと年上の少年に呼び出された。
単純に、気持ち悪いという理由で。
「魔法が使えるうえに、部屋ん中で誰かと喋ってるとか気持ちわりーんだよ。お前、やっぱ魔女なんじゃねーの?」
少年は魔法を警戒し、バットまで持ち出していた。それがおかしくて、カーネリアはふっと鼻で笑ってしまう。
「そんなに怖いのに、呼び出すなんて。行動がむじゅんしてる」
無視するともっとうるさいことになると思ったからきてみたものの、結局いつもと変わらぬ罵声ではないか。歳をとればみな、魔法が使えるようになるというのに、ただ生まれつきだと言うだけで「魔女じゃないか」と誰もが一度は口にする。
だから、人間は面倒なんだ。
年下の少女に淡々と言われたのが、よほど頭に来たのだろう。少年は簡単に激昂し、後先考えずバットを振り上げる。
カーネリアが、防御の魔法を使おうとしたそのとき。
彼女の目の前に、飛び出してきたものがあった。
一瞬の動揺。だが、振り下ろされたバットがそれを叩き落とすには、じゅうぶんな時間だった。
見慣れた人形が、見慣れないひしゃげたしかめつらをして、地面に転がっている。
「メアリ! ……どうして」
魔力は、流していない。
それなのに。
不格好な騎士は、ガシャンと音を立てて倒れ、バラバラに崩れてゆく。それを見たカーネリアは、初めて心の底からの憎悪を抱いた。彼女を中心に、パチパチッと空気が帯電する。ちょっかいをかけた年上の悪ガキは、ひっと情けない声をあげてずりずりと後ずさった。
少年を見据えた、大人びた瞳。そこに浮かんでいるのは、純粋な怒りだ。魔力が、爆発しそうに眩く光を放つ。
その時だった。
王が、カーネリアを次の聖女だと言い放ち、場の空気をぶち壊したのは。
自由落下をはじめて以降、ふわふわとしていた思考がはっきりとしてくる。
長い夢を、見ていたような気がした。
しかし、落下していた時間は実際それほど長くはなかった。
なんとか無事に着地し、二人を安全に地表に降ろしたあと。
守護兵器は眠るように動かなくなった。ぼろぼろと指先から音を立てて壊れゆく兵器を見、カーネリアはどうしようもない虚しさを覚える。兵器として最後まで主を守り、その果てに壊れるのなら、人間で言えばじゅうぶんに生をまっとうしたと言えるだろう。
――だけど。
メアリのように、ほんの一度でも奇跡が起きていたとしたら。
守護兵器は、なにを望んだのだろう。
夢のような思考を、先を行くシオンの姿をした女が遮る。
「なにをしてるのカーネリア? あなたの知りたい答えは、まだ先よ?」
壊れて瓦礫と成り果てた守護兵器を、一目見て。
カーネリアは「……そうだな」と抑揚なく呟いた。




