17・ジーク頑張る
しかし、カーネリアの詠唱が広間に響くことはなかった。
なぜなら、その前にシオンが詠唱を開始したからである。その場にいる誰も知らない言葉で、まるで歌うように。
「……シオン?」
皆が驚いて彼女に注目する中、熱に浮かされたように、聞いたことのない言葉の羅列をすらすらと口にする。その言葉を聞いた守護兵器は自ら膝を折り、動きを止めた。
それを見て、シオンはふわりと浮かび上がると動きを止めた兵器の胸をつ、と触る。人間で言えば心臓に当たる部分。そこは滑らかにスライドし、白い光を携えたコアがむき出しになった。
――刹那。
キン、と甲高い音がした。
コアから、凝縮された濃密な光が遺跡内を貫いた。一瞬で部屋をすべて塗りつぶした光は、シオンが手を離すとともにすっとおさまる。コアの中で明滅していた白い光は、完全に消えていた。
それとともに、広間の明かりも落ちる。通路と同程度の、淡い光だ。
守護兵器も、完全に動きを止めている。
「まったく。これを持ち出しても、ダメとはねえ。これ一応、魔法は効かないようにできてるんだけど。どれだけ規格外なのよ」
ため息をついたシオンの口調が、変わっている。カーネリアは目を細めて彼女に問うた。
「シオン、お前――やはり」
「さすがだわ、聖女さま。気づいていたのね」
「お前は、誰だ? なんのために私たちを閉じ込めた」
ここを発見するきっかけになった、クレーターにあいた穴。そこにシオンがはいってきたとき。
彼女は、穴のヘリに引っかかったふりをして、遺跡から出られないよう通路がループするように魔力を壁に吸わせたのに違いない。
シオンはにこにこと不気味な笑みを浮かべて黙っている。質問に答える気はなさそうだと、カーネリアは確認のために別の言葉を口にした。
「ループに気付いたとき――光が弾けるのと同時に、遺跡を元に戻したな。あんなにタイミングよく守護兵器の部屋が現れるなど、そうとしか考えられないだろう」
ぱちぱちぱち、と乾いた音が返事の代わりに降ってくる。無論、嬉しくもなんともないが。
「そこまで分かっているのなら、次はどうなるかも知っていそうね?」
「さあ……。そこまではどうかな。買いかぶりすぎだろう」
二人のやり取りを、誰も口を挟めずに見守っている。
――否。
口を挟む、モルモットはいた。
「で? 次はどーなんのよ。おれさま、そろそろ遺跡飽きてきたぞ」
顔の割に小さな口で欠伸をしたもふもふを、シオンは汚らわしいものでも見るかのように半眼で見くだす。
「あら、出ていってもらっても一向に構わないわよ? あなたのような、みすぼらしい毛玉に用はないのだから」
嫌悪感丸出しの口調に、エルとクロウは顔を見合わせる。
「可愛さは罪とか、言ってたような……」
「おれもなんとなく、聞いたような気がする」
「せっかく、ただの覗き魔だってことで落ち着いた気がしてたのに」
どうやら、いまここにいるシオンは、昨日城で顔を合わせたシオンではないらしい。ただでさえ思い込みと妄想の激しいややこしいタイプなのに、とエルはげっそりして肩を落とす。
「ありゃあ、中の人は別モンだな」
やれやれ、と首を振ったクロウを横目で捉え、シオンの姿をしたなにかは「そこ、失礼な話してるわね」と耳聡く突っ込んだ。
「はああ、本当は、聖女さま以外これに片づけてもらう予定だったのよね。必要なのは、彼女だけだから」
「それならば、初めからそう言えば良かったのだ。よりにもよって、面倒な女を選んで乗っ取るからこうなる」
「カーネリアが触ってくれれば、一番平和的に目的を果たせたのよ。男の身体にははいりたくないし、獣は論外。迂闊に触ってくれたのがこの子で、ある意味妥当ではあったわ」
それに。
「思ったよりも、魔力も強いし。だから結構抵抗してたんだけど、癒しの奇跡なんて大きなちからを使ってくれて助かったわ。お陰で隙ができた。所有権を握ってしまえば、使い勝手は悪くないわね」
「あ……!」
ちょっと面倒なタイプではあるが、自分のために危険を顧みず飛び出してちからを使ってくれた姿を思い浮かべ、エルはぎゅっと手を握る。自分が似合わない行動をしたせいで、シオンが完全に乗っ取られたのだと聞いても平気でいられるほど、彼は冷たい人間ではない。
「いらないことはよくしゃべる。そろそろ有意義なことも話せ。ついでに、その女の身体も返してもらおう」
カーネリアが、杖を突き付ける。ぱち、と紅玉の先から火花が散った。シオンは「熱くなっちゃって」とくすりと笑う。
「いいわ。教えてあげる」
言うと、膝を折って止まったままの守護兵器に向け、ふっと、手のひらを上に向けて息を吹きかける。
「最後の仕事よ」
吹いたのは、ひとかけらの魔力だったのか。
完全に動きを停止したと思っていた守護兵器が、再び動き出す。ぼろぼろの身体で、兵器は大きな左手にシオンを乗せると、残った右手でがんがんと床を殴りつけた。脆くなった拳が割れ、床と共に辺りに飛び散る。
「シオン! なにをする気だ!?」
防御魔法を張り、全員を守りながらカーネリアは叫んだ。
「これを倒したご褒美。最後の部屋へ、ご招待するわ」
ぴしっと、嫌な音が耳に届く。
「カーネリア。あなたは、知りたいのでしょう? 遺跡の謎を。隕石の正体を。そしてわたしの正体も」
ぐらりと、心が揺らぐのを感じた。好奇心。それはなにより、彼女が好きな言葉だ。
防御魔法に当たる瓦礫の数が多くなる。床に無数のひび割れが走り、ジークは一生懸命壁際まで走る。
「カーネリア! 巻き込まれるぞ! カーネリア!」
「聖女さん! なにやってんだよ!」
クロウが壁を蹴って飛びだす。壊れゆく兵器はシオンを肩に乗せ、大きく両腕を振りかぶった。
「教えてあげても、いいわ。だってあなたは、システムに選ばれた人間だもの」
――こちら側へ、いらっしゃい?
クロウが必死に手を伸ばす。
直後に響いた、轟音。
床が、派手に波打つ。天地がひっくり返る。暗闇に、飲まれてゆく。
約束を守れなかったのは、私か。
ゆっくりと、視界が閉じていく。
床の崩壊に巻き込まれ。
三人と一匹は、成すすべもなく闇の中へと落ちていった。
がらがらと、瓦礫の落ちる音だけがこだまする。
落ちた先は、ループしていた通路と似通っている。違うのは、上が二人並んでギリギリだったのが、下は三人並んで余裕がある広さぐらいのものだ。
落下自体はちょうど一階分でそれほど高さはなかったが、問題は一緒に落ちた瓦礫である。
「あああああ。目が回るううぅぅぅううう」
ふらふらと千鳥足になりながらも、ジークは立ち上がった。一番体重が軽かったため、落下するのが遅く、瓦礫の下敷きにならずに済んだのだ。柔らかな身体もダメージを軽減したのだろう。
「……ん?」
刹那、夜目の利く瞳に、カーネリアを映した気がした。追いかけようとしたが、脳が追いつかない。ぐらぐらと身体が揺れて、こてんと倒れる。
「……カーネリア。おれさま、置いていかないで」
追いすがろうとした声は、虚空に消える前に別の人物に届いた。
「ジーク、か?」
「ちょっ、クロウ! お前、大丈夫か!?」
ぴょこん、と飛びあがったジークの甲高い声が薄明りの中響く。もうもうと立ち込める土ぼこりで、視界はすこぶる悪い。それでも、クロウが大きな瓦礫の下敷きになっているのが彼のつぶらな瞳には見えた。モルモットは障害物を避けて茶髪の騎士に駆け寄る。
「悪い。ミスった。おれはいいから、エルを引っ張り出せないか?」
「エル?」
起き上がれぬまま、クロウが自分の右側を指さす。そちらへまわってみると、エルも瓦礫と共に倒れていたが、こちらは引っ張り出すまでもない。瓦礫は身体に乗り上げている程度で、それも小さなものだった。
「こらエル、いつまでも寝てんな!」
ぼふぅんっとエルに飛び乗り、容赦なく前足でぺちぺちと頬を叩く。「……ほあ? 嫌だなあ、んあ、痛い、痛いですよお……」などとぶつぶつ寝言を呟き、中々現実に戻ってこないエルに対し、ジークが「人間は寝起きが悪すぎる!」と吠えて両前足を左右にばっと広げた。
「ジャイアントモルモットハーンドッ!」
ばちんッ! とエルの顔を、子供の手ぐらいの大きさのモルモットハンドが勢いよく挟み込む。
「……起きたから、手離して」
へにゃりと潰された顔で、エルが口をもぞもぞ動かした。
「エル! カーネリアが行っちゃったぞ!? もちろん、追いかけるよな!?」
瓦礫を払い落としながら起き上がり、一旦床に座り込む。自身のまわりを忙しく走りまわるジークがそわそわと先を促すが、エルから出たのは否定の言葉だった。
「……え? いや、カーネリアさんなら、一人でも大丈夫だろ……」
「……エル?」
ジークが足を止めた。エルは、ジークではなく、動けないクロウをじっと見ている。
「クロウ。お前」
「ほら、聖女さん付きなんだろ? 早く追いかけてやれよ」
「俺が行って、なんになる」
まったく、役に立たなかった。
彼女を、守ることもできなかった。
シオンにだって、迷惑をかけた。
クロウは、自分をかばって怪我をした。
――最初から、俺には。
なにも、できるわけがなかったんだ。
「エル。お前それ、本気で言ってんのかよ!?」
「俺なんかが追いかけたって、なにができる? どーせ邪魔なだけだよ」
「約束は? 三人でした約束はどーするんだ? おれさまは守るぞ!」
「カーネリアさんは、場しのぎで言っただけだよ。彼女は一人が好きで、一人でなんでもできるひとだ。俺たちなんて、邪魔なだけなんだよ」
ただ、王の命令だから、一緒にいただけだ。他に、意味はない。
「見損なったぞエル! お前は、なにがあってもカーネリアを見捨てねーって思ってたのに! おれさま、もふもふ騎士団の一員にしてやってもいいって思ってたんだぞ!」
「俺には、そんな資格ないよ。国王さまだってさ、ほんとにこんなことになったらどうするつもりだったんだろうな? 俺なんか、なんの役にも立たないのに」
「資格? 資格って、なんだよ? カーネリア助けるのに、なんか資格がいるのか?」
大きなモルモットは、前歯をむき出しにして怒っていた。手触りの良い長めの毛並みも、興奮で逆立っている。ジークは、つぶらな瞳を精一杯吊り上げて、声を張り上げる。
「おれさまは、一匹だっていくからな! おれさまがカッコよくカーネリアを助けてくればいーんだもんな! へっぽこエルなんかいなくたって、おれさま大丈夫なんだからなッ!」
必死に怒鳴りつけて、モルモットは走り去った。エルは、膝を立てて顔を埋める。
薄ぼんやりとした明かりの中、体育座りの青年と、瓦礫に埋もれた青年が会話もなく二人。クロウはしばらく幼馴染の姿を見つめていたが、動く気配がないのを悟ると無理をして身体を捻り、近くに落ちていた瓦礫を投げた。こん、と音がして、エルがもそっと顔を上げる。
「……痛いんですが」
「おれなんかな、もっといてーよ。あーあ、おれが動けたら聖女さんのとこに駆け付けんのにな。なーんで凹むだけのバカを助けちゃったかなあ」
「……やっぱりお前」
床が揺れ始めたとき。
クロウが、ジークを彼に預けたのだ。自分の方が場慣れしているから、エルは壁際でジークを守っててやってくれ、と。
そして彼は、壁を蹴って飛びだした。
「でも、間違ってないでしょ? エルが聖女さん付き騎士なんだから。あの緩い王様のこったから、なに考えてんのかは分からんけど、他の国だったら首飛んでたっておかしくねーことしたんだぜ、お前」
――一人に慣れていてな。
カーネリアの、少しだけ見せた弱気。声をかけたとき、弾かれたように振り向いた顔には、一瞬だけど寂しそうな表情が張りついていて。
俺がいかないと、また心配をかける。
エルは床を見つめて、ぐっと両手を握った。クロウを一瞥すると、ゆっくりと立ち上がる。
なにができるかは、分からない。ただ、なにかしなくちゃいけない。
いまは、そういうときだ。
「……ごめん、やっぱり行ってくる。俺なんか、なにもできないと思うけど」
「いまさら言わなくても知ってるから、とにかく早く行けっての」
幼馴染の言葉に蹴り飛ばされるように、エルはジークの走り去ったあとを追う。
「これ、すっげー痛いし重たいから、なるべく早く帰ってきてー」
クロウの、まず本音には聞こえないのほほんとした注文が、後ろから追いかけてきた。




