第94話 作戦会議(3)
セミナー会場の壁掛け時計が午後五時五十五分を示した時、後ろの両開き扉がガチャリと開く。それまで何回も扉が開く音がしていたから気にも留めなかったけど、室内がシーンと静まり返ったので、気になって後ろを見た。そこには、黒いスーツに身を包んだ片瀬さんの姿があった。口元を結び、キリッとした表情で立っている。
一番前に座る僕たちの姿に気付くと、片瀬さんは表情を崩すことなく、静かな室内にカッカッとヒールの足音を響かせながら、ゆっくりと向かってきた。背筋がピンと伸びていて、モデルのような歩き方をしている。
座席に座っている他のメンバーが、そんな片瀬さんを目で追っている。まるでみんな、パリコレかなんかのステージを鑑賞しているお客さんのようだった。
「お疲れ様。席、とってくれてありがとうね」
片瀬さんは一番前まで来ると、そう言って僕の右横に腰を下ろした。左横には有城さんがいるから、二人に挟まれた形になる。
「いえ……とんでもないです」
頭を下げながら、片瀬さんを見る。片瀬さんのスーツ姿はびっくりするほど似合っていた。身体にフィットしているのか、片瀬さんの綺麗なシルエットが浮き彫りになっている。髪型もポニーテールでまとめていて、いつもよりも大人な雰囲気を醸し出していた。
しかしそんな片瀬さんを見ても、不思議と心は揺り動かされなかった。片瀬さんがいつになく、険しい表情をしていたからだ。
そんな片瀬さんを見て困惑していると、横から有城さんが脇腹を小突いてきた。そして僕の耳元に顔を寄せる。
「多分片瀬さん、今日みんなの前であやのんの説明をすることになると思うから、それでだと思うよ」
有城さんが囁くような小声で説明してくれる。それを聞いて納得した。だからしっかりとスーツで決めているし、僕たちに対してもそっけない雰囲気なのか。
納得した僕は有城さんに小さい声でお礼をしてから、前に向き直った。片瀬さんは綾乃をスパークルに採用した張本人だ。しかもチームのリーダーでもある。
それだけに、何かしらの説明をする責任があるだろうことは、高校生の僕にも理解できた。思い返せば、さっき片瀬さんが室内に入ってきた時、何人かは敵意のこもった視線を向けていた気がする。
片瀬さんはこれっぽちも悪くないのにな――と思うけど、きっとこれも大人の世界なんだろう。全員が全員、片瀬さんや綾乃のことを理解しているワケでもないだろうし。
そんなことを考えていると、時計の針が午後六時を回る。そろそろ始まると身構えていると、後ろの両開き扉が勢いよく開く音がした。その音で何となく、小畑さんが来たんだろうな、と感じた。
振り向くと、そこにはやはり小畑さんが立っていた。スーツの片瀬さんとは対極に、小畑さんは白のシャツに黒のスキニーパンツという、かなりラフな格好だった。脇にはノートパソコンを抱えている。
小畑さんは一番前まで来ると、マイクを片手に口を開いた。
「どうやら全員揃っているようなので、始めましょうか。まずは軽く自己紹介を。私はガーディアンの小畑徹です。本件について、桐生代表から全権を委任されています。中には私の直轄でない方もいるので、以後お見知りおきを」
簡単に自己紹介をしながら、小畑さんがノートパソコンを近くの机に置いて、何やらセッティングを始める。
「あぁ、もっとも私のチームであるブレイズは解散しているので、次のランク更新でガーディアン剥奪です。来年一月には無職になっていますので、ご承知ください」
「それ、笑っていいのか困りますよーっ!」
小畑さんのそんなブラックジョークに対して、会場からツッコミが飛ぶ。会場が笑いに包まれた。隣で有城さんもプププっと笑っている。
振り向いてみると、ツッコミを飛ばしたのはひとりの男性のようだった。ブレイズの事務所で見かけたことがあるから、きっと元メンバーなのだろう。
「さて、会場をあったまったところで。今日ここには、捜索隊の五十五名が集まっています。張り込み中と待機中のメンバーは不在なので本来は総勢七十五名ですが、一旦今日はこのメンバーで進めていきます」
その説明を聞いて、そんなにメンバーがいたのかと驚く。普段は小畑さんと営業部の人としかやり取りしていないから、七十人以上が参加している実感がなかった。
「それでは時間も惜しいので早速本題に入りましょう。なにせ中には、張り込みから交代してすぐに参加している方もいますからね。手短に済ませるので、何卒ご容赦を。――あぁ、もし会議中に寝たら、そのまま寝ずに次の張り込みに参加してもらうので、そのつもりで」
室内の至る所で小さな笑いが起こる。小畑さんは随分と大勢の前で話すことに慣れているようだった。
小畑さんが手元のスイッチを操作すると、ジーっという音を立てながら天井から大きなスクリーンが降りてきた。そして壁にある照明のスイッチを消す。たちまち室内が暗闇に包まれる。明かりといえば、小畑さんの手元にあるノートパソコンの液晶ぐらいだった。
「それでは、資料をもとに改めて現在判明していることと、今後の方針についてお話しします」
言いながら、小畑さんが手元のスイッチを押す。すると後方から光が差し込み、スクリーンにパソコンの画面が表示された。どうやらプロジェクターを操作していたらしい。
「事前にお伝えしておきますが、今回の会議の内容は極秘でお願いします。資料の撮影、会話の録音等は禁止します」
厳格な口調で告げてから、小畑さんは本題に入った。スクリーンに映った画面を用いながら、改めて今回の会議の趣旨について説明してくれる。
綾乃がデモニッシュのスパイだった件は全員が知っているだろうから、流す程度の説明で終わった。しかし水曜日に桐生さんから聞いた内容の話になると、小畑さんはゆっくりとした口調で、丁寧に説明をした。
「――そのため、現在総力を上げて捜索している駒崎綾乃は、黒木勘五郎の養子であります。そのスキルから見て、黒木はS.G.Gを追放されてから、駒崎に万引きの英才教育をしていたものと思われます」
会場中から、唾を飲み込む音や、大きく息を吐く音が聞こえてくる。改めて聞けば、ひどい話だ。幼い少女に万引きの教育をするなんて。そのせいで綾乃の人生は壊されたのだから。きっとこれを聞いているみんなも同じ気持ちなのだろう。
「その黒木ですが、追放された時期とデモニッシュが活動開始した時期はほぼ一致しています。つまり黒木がデモニッシュのトップであり、駒崎を捕まえることで黒木の手掛かりも掴めると考えていいでしょう」
黒木がデモニッシュのトップかもしれない。小畑さんがその説明をした途端、会場中が一斉にざわついた。それは無理もないかもしれない。今まで実在しているかすら不明だったデモニッシュの手掛かりが、こんな近くに舞い降りたのだから。
それから小畑さんは今後の方針を説明する。まず綾乃が目撃された駅周辺の宿泊施設を今以上に徹底的に洗う。すでに綾乃が失踪してから三週間近くが経過しているため、野宿をしているとは考えられなかった。
その上で、駅周辺のS.G.G加盟店と連携して、AIFRSで常時防犯カメラを監視する。今までと違ってリアルタイムで監視するため、綾乃が店に現れたら各メンバーにアラートが飛ぶように設定できた。そのためその場で綾乃を確保することも夢ではない。
もちろんこの計画のためにはS.G.Gの加盟店を増やす必要があるため、営業部の方でも増員してくれるらしい。
黒木の関係性が発覚してから、S.G.Gが総力を上げて綾乃の捜索に乗り出していた。