第125話 特権
誤認逮捕で自律神経失調症になってしまった僕は、結局二か月近く現場仕事を休んだ。そして夏休みが終わった九月に、晴れて現場に復帰できることになった。
しばらく休止していたけど、ガーディアンの資格はまだ失っていない。上層部の方でどういう話し合いがあったかは知らないけど、今の時点で僕からガーディアンの資格をはく奪するのは得策ではないと考えたのだろう。黒木に負けを認めたことになるし、ガーディアンの知名度を上げるのにまた時間とお金がかかる。
そのため、変わらず僕が黒木をおびき出す役目を負うことになった。この方針に片瀬さんは最初反対したけど、さすがに上層部の決定を覆すだけの力はない。片瀬さんはしぶしぶ、この方針を認めてくれた。
そして復帰一発目の仕事の日。僕は片瀬さんと一緒に、S.G.G加盟店のドラッグストアの事務室にいた。この店から肩慣らしをしていく。
「月之下くん。分かっているとは思うけど、くれぐれも無理しないでね。まだ病み上がりなんだし」
事務室で、片瀬さんが心配そうな顔をする。僕はそんな片瀬さんの不安を払拭するために、明るく笑顔を作った。
「大丈夫です。二か月も休んだんで、バッチリ完治していますよ」
片瀬さんにグッドポーズをしてみせる。片瀬さんはまだ心配しているみたいだけど、少しは不安が解消されたみたいだった。
――とはいえ、実のところ病気は完治していない。これまで病気の症状は出たことがないけど、それは仕事をしていなかったからだ。現場に出たら、また症状が再発するかもしれない。そう考えると正直不安ではあるけど、トラウマを解消するためには、少しずつできることをやって自信をつけていくしかない。
幸い今日のドラッグストアも、そこまで万引きの被害は多いといえない。病み上がりでもやっていけるだろう。
気合を入れるために、肩をグルグルと回す。そして軽く深呼吸をした。気持ちが落ち着いていくのを感じる。気分は上々だ。
「……あんまり、気負いすぎないでね」
店内に向かおうとしたとき、急に片瀬さんから声をかけられた。振り返ると、片瀬さんが目を細めて僕のことを見ている。なんて返事をしようか迷っているうちに、片瀬さんが続けた。
「月之下くんも徹くんも、気負いすぎだと思うから。誰でも誤認逮捕をする可能性はあるのに、たった一度のことで気にしちゃって。もちろんそれが『ガーディアンの気位』だとは思うけど、一回の失敗で、そんなに気にする必要はないよ」
「それはそうなんですけど……失敗すると、周りの人にも迷惑をかけちゃうじゃないですか。それが嫌なんですよ、僕は」
例えばガーディアンが誤認逮捕をした場合、S.G.G全体の信用が落ちる。そのせいで加盟店から契約解除を求められるケースだって珍しくない。僕は『誤認逮捕をした』という事実よりも『それによって周囲の人に迷惑をかけてしまう』ことにトラウマを抱いているのかもな、と話しながら思う。
「二人とも優しいからそういう風に考えちゃうと思うんだけど、全然迷惑かけちゃっていいと思うよ。迷惑をかけて、成長して、最後には恩返しをする。何度失敗しても、生きている限りは何回でもやり直せるんだから、それぐらいの心持ちでいいと思うの」
片瀬さんの何気ない言葉が、僕の胸に染みわたる。迷惑をかけて、成長して、最後には恩返しをする。今まで僕は、そんな風に考えられたことがあっただろうか。最初の『迷惑をかける』の部分だけを怖がって、自分の成長を阻害してしまってたんじゃないか。
「……いい言葉ですね。迷惑をかけても、最後には恩返しをするって」
僕の言葉に、片瀬さんが嬉しそうに「でしょう?」と笑う。
「失敗しても何度でもやり直せるのは、生きてる人だけの特権なんだから。最大限、享受しないとね」
「生きてる人だけの特権……ですか」
片瀬さんの言葉を繰り返す。たしかにそうだ。死んでしまったら、二度とやり直すことはできない。結果的に迷惑をかけた人たちに、恩返しもできずに終わってしまう。僕で言えば、もし無理をして体調を崩して現場に出られなくなったら、その時点で恩返しができなくなってしまう。それだけは避けなければいけない。
無理じゃない範囲で挑戦して。それで失敗しても、成長して次に繋げて、最終的には恩返しをする。きっとそれが、正しいあり方なんだと思う。
「ありがとうございます。おかげで、心がスッキリしました」
ニコニコと笑顔を浮かべている片瀬さんに挨拶をして、店内に行く。いつもよりも気分が晴れ晴れとしていた。余計な肩の力が抜けたような、そんな感じがする。
店内に入って、万引き犯を探す。五感が冴え渡っているのか、いつも以上に視野が広がっていた。耳を澄ますだけで、誰がどんな動きをしているのかが分かる。すれ違うときのオーラで、その人が万引きをしそうかどうかが分かる。こんな経験は初めてだった。
万引きしそうなオーラの客を追跡すると、予想どおり衛生用品を万引きしていた。その現場を確認しつつ、自分の手足に目を向ける。五指が問題なく動く。足首の関節もちゃんと動く。僕は両手を強く握りしめながら、病気が治っていることを確信した。
結局その日は、一日で十人の万引き犯を捕まえることに成功した。万引き被害が少ない店舗といっても、まだまだ見落としはあるらしい。事務室で片瀬さんと今日の成果を共有しながら「もっと気を引き締めていかないとですね」と、これからについて語り合った。