第123話 月之下アキラの療養(1)
病院で精密検査をしたところ、まったく問題はなかった。そのため僕は当初の予定どおり、二日間で退院できた。
たった二日とはいえ、入院中はずっとベッドで横になっていたから、体力が落ちてしまっている。しばらくは運動をして体力を取り戻さないといけなさそうだ。
――結局、僕が倒れた原因は病院では分からなかった。医者も「疲れが溜まっていたんだろう」と言っていたし、倒れた理由については深く考えていないようだった。しかし僕の心の中には、引っ掛かりがある。どうしてあの日、僕は倒れてしまったのか。小畑さんの言うように、心因性の何かしらの病気なのか。
原因が気になるけど、僕は心療内科には行けなかった。もし何かしらの病気だとしたら、絶対に家族やS.G.Gのみんなが心配してしまう。そうなると、黒木を捕まえる作戦にも支障が出る。それだけは避けたい。
そのため退院してから三日後には、僕はいつも通り現場に出ていた。片瀬さんたちは心配してくれたけど「勘が鈍るから」と、無理やり言いくるめたのだ。
そしてリハビリのために、今日は片瀬さんと二人で小型スーパーに出勤した。先日の書店と同様、AIFRSを導入しているから他店よりも万引き被害は少ない。肩慣らしにはちょうど良さそうだった。
「今日はまず、わたしが先に稼働するね。アキラくんはゆっくりしてていいから」
そう言って、片瀬さんはスーパーの事務室を出て行った。狭い空間でひとりっきり。することもなさそうなので、監視カメラのモニターに目を向けた。店内の様子が映っているけど、特に目を見張るものはない。それもそのハズだ。本来はこれぐらい小さなスーパーだと、二人で稼働することは滅多にない。あるとしたら研修中ぐらいのものだろう。
二人一組で稼働する現状がもどかしく感じるも、しかし誤認逮捕をして入院した直後なんだから、仕方ないだろうと割り切る。しばらくは実績を積んで、片瀬さんたちを安心させるしかなさそうだ。
とりあえず待機中に夏休みの宿題でも片づけておくかとバッグに手を伸ばしたとき、突然アラーム音が鳴った。スマホも振動している。スマホの画面を見ると、AIFRSからの通知が来ていた。どうやらこのスーパーに、万引きの常習犯が来店したらしい。呼吸が早くなっていくのを感じた。心臓の音がやけに大きく聞こえる。
とりあえずスーパーのパソコンから鳴っているAIFRSのアラームを消そうと立ち上がったとき、また視界がぐらりと揺れた。そのまま足がもたれ、勢いよくテーブルに倒れ込む。
――まただ。兆候はあった。そんな気はしていた。でもまさか、実際に起こるとは。
今回は前回と違って、まだ気は失ってなかった。テーブルに突っ伏したまま、静かに呼吸を整える。すると勢いよくドアが開く音が聞こえた。
「――月之下くんっ! 大丈夫?」
片瀬さんの声だった。心配をかけさせまいと起き上がろうとしたけど、身体に力が入らない。
「インカムで何回も声かけたけど、もしかして聞こえてない?!」
片瀬さんが近寄りながら尋ねてくる。何回か深呼吸をして、意識がはっきりしてきた僕は、顔を上げて手を振った。
「……大丈夫です。ちょっと、めまいがしちゃって」
懸命に笑顔を作る。しかし片瀬さんは動揺したような表情で、僕のことを見つめていた。
「入院したときから思ってたけど、もしかして月之下くん――」
「大丈夫です」
片瀬さんの言葉を急いで制止する。これ以上、片瀬さんに心配をかけさせたくない。これまでだってデモニッシュを追うことで、散々心配をかけさせてしまったんだから。
しかしそうは言っても、身体がうまく動かない。思わず顔を歪めてしまう。
「……月之下くん。今日はこのまま帰宅して、ゆっくり休んでください。これは上司命令です」
いつものおっとりした片瀬さんとは違い、厳格な顔をしている。反論しようとした僕は、しかし言葉が思いつかない。どうせこんな状態では、稼働なんてできないんだから。
「――わかりました」
僕は力なく頷く。結局その日は、事務室で少し休んでから帰宅することにした。家に着いて荷物を床に置いてから、ベッドに倒れ込む。休めると分かった途端、一気に身体中の疲労が噴き出た気がした。ふいに涙が出てくる。
こんな状態で、一体どうやってデモニッシュを捕まえるというのか。自分が情けなくなる。せっかくみんなの期待を背負って、ガーディアンになったというのに。
ベッドに横たわって天井を見上げたまま、これからのことを考える。思考が整理されないまま、いつの間にか眠りについてしまっていた。起きてスマホの時計を見ると、すでに午後五時を回っている。随分と眠り込んでいたようだ。寝すぎて逆に頭が痛い。
手のひらで額を押さえながら、スマホの通知を確認する。片瀬さんからメッセージが来ていた。明日、午前十時に事務所に来てほしいと書かれている。今日の一件を受けて、今後の方針について話し合うのだろう。正直行きたくないけど、行かないことには前には進めない。僕は片瀬さんに了承した旨だけ伝えて、また眠りについた。
翌日、待ち合わせ時間に間に合うように事務所に向かう。午前中とはいえ夏だから暑い。すでに疲れ切っている僕の身体を、太陽の日差しがさらに痛めつけてくる。
午前九時半に事務所に着くと、もうすでに片瀬さんと小畑さんが待っていた。想像はしていたけど、やはり小畑さんも昨日の一件を知っているらしい。
「まったく。まずは現場じゃなくって病院に行けって、忠告していたと思うがね」
ソファーに座って二人に向き合うなり、小畑さんが言った。僕は「すみません」と頭を下げる。
「徹くんから聞いたけど、心療内科に行くのを断ったんだってね。どうして、そんなことをしたの?」
片瀬さんが、優しく問いかけてくる。その口調は、まるで悪さをした子どもを叱る先生のようだった。
「……みんなに、迷惑をかけると思って」
この二人を目の前にして、嘘をつき続けることはできない。僕は観念して、自分の気持ちを話し始める。
「せっかくガーディアンになって、みんなの協力で黒木をおびき出すことができそうなのに……僕が現場に出られなくなったら、意味ないじゃないですか」
僕のその言葉に、片瀬さんは小さく息を吐いた。そして「月之下くん」と僕の名前を呼ぶ。
「その気持ちはよく分かるけど、それで月之下くんが体調を崩したら意味がないじゃない? それこそ、みんなに迷惑かけちゃうよ」
片瀬さんの話を、僕はうなだれたまま聞く。すると小畑さんの咳払いが聞こえた。
「猪突猛進なのもいいが、少しぐらいゆっくりしてもいいと思うぜ。アキラくんには、俺っていう反面教師もいるんだからな」
そう言って小畑さんが笑う。いつもならその自虐に対して笑い返すけど、今はその気力もなかった。
「とりあえず、月之下くんは病院に行こうか。徹くんと同じで、誤認逮捕に対してトラウマを抱いちゃってると思うの」
「でも……病院に行ったら、現場に出られなくなりますよね?」
顔を上げて、片瀬さんの目を見る。片瀬さんは額を掻いてから「そうだね」と答えた。
「そこら辺はお医者さんと相談すると思うけど、少なくともすぐに現場に出られるってことはないんじゃないかな」
片瀬さんの説明に、僕は内心で「それじゃ意味がない」と反論する。この僕の考えを、どうやったら片瀬さんに分かってもらえるのか考える。しかし答えは出てこなかった。
「アキラくんは、ひとりでそこまで頑張らなくってもいい。いざってなったら、俺が現場に出ることもできるんだからな」
「……小畑さんは、現場に行くと目が見えなくなるじゃないですか」
自分の中でも感情がコントロールできなくて、つい嫌味な言い方をしてしまった。しかし小畑さんは怒ることなく、僕の嫌味を笑い飛ばした。
「たしかに心因性の視覚障害はあるが、俺だってこの数か月、なにもせずにいたワケじゃない。最近じゃ現場に出ても症状が軽くなってきたし、騙しだましやっていくぐらいはできる」
小畑さんが自信満々に言う。小畑さんはもう現場には一切出ないと思っていたけど、どうやらこの数か月の間に治療していたらしい。もしかしたら、僕がこうなることを予期していたのかもしれない。
「だから、アキラくんがそこまで背負い込む必要はないんだ。ここはひとつ、俺と真由美のためにも治療に専念してくれないか?」
小畑さんが前のめりになって、僕の目を覗き込む。思わず視線を逸らしてしまった。そしてこれからのことを考える。しかし考えるまでもなく、選択できる道は決まっている。
「……わかりました。今度病院に行って、しばらくは治療に専念します」
仕方がなく、僕は病院に行くことに決める。僕の決断に、片瀬さんと小畑さんは笑顔で頷いてくれた。
――しかし、本当にこれでいいのだろうか。こうしている間にも、デモニッシュは犯行を繰り返している。本当は一日でも早く、捕まえなければいけないのに。