第122話 誤認逮捕(4)
僕の謹慎が解けて、三日後。ようやく初仕事が巡ってきた。場所はデパート内の大型書店で、S.G.Gとは以前から親しい店らしい。AIFRSも導入していて近年では万引き被害も減ってきているが、定期的にS.G.Gに警備を依頼しているのだという。
軽い仕事で済みそうなので、復帰一発目にはちょうどいい現場だった。きっと片瀬さんも、それを考えてこの場所に派遣してくれたのだろう。
「今日は先にアキラくんが警備するの?」
書店の事務所で、綾乃が首を傾げる。僕は監視カメラのモニターを見つつ「うん」と答えた。
今日の現場は綾乃と二人一組だ。僕が病み上がりということもあるけど、書店のように客が長いするような場所では、ひとりのGメンが連続して稼働すると不自然になる。そのため一時間ずつ交代制で警備することになったのだ。
「それじゃ、行ってくるよ」
僕は帽子とマスクを身に着けると、事務所を出て行った。先日の誤認逮捕のせいで、僕の知名度はさらに上がってしまった。そのためこの程度の変装はしておかないと、万引き犯に顔バレする可能性があるのだ。とはいえ、あまりにも変装しすぎるとデモニッシュをおびき出せないかもしれないから、実に塩梅が難しい。結局帽子とマスクをするのが僕のスタイルになっていた。
店内に入ると、マスク越しなのに微かに紙とインクの匂いがする。現場に戻ってきたんだな、と実感した。
さて、まずは軽くこの店を一巡しよう。監視カメラの映像だと怪しい人はいなさそうだったけど、どこかに潜んでいるかもしれない。
店内をぐるりと回ると、漫画コーナーの前で中学生ぐらいの男子が挙動不審な動きをしているのが目に入る。その光景を見て、僕は思わず息を止める。書店において、小中学生の万引き率は非常に高い。お小遣い等の問題で欲しい漫画が買えず、万引きに走ってしまう子どもが多いのだ。漫画本の価格が数百円と安く、罪の自覚が芽生えにくいのも万引き率の高さに拍車をかけている。
もっと近くで、動向を把握しよう――そう思って、歩き始めたときだった。ふと、足元がふらついて歩けなくなる。体勢を崩してしまった僕は、近くの本棚にもたれるように倒れかかった。
何が起こったのか、自分でも理解できなかった。何かにぶつかったのかと思って足元を見るも、そこには真っ白な床があるだけだ。
――ここ最近、運動してなかったから動きが鈍ったのかな。そう解釈しつつ、前に足を踏み出したときだった。
突然の耳鳴りが僕を襲い、目の前が反転した僕は、その場に倒れこんでしまった。
◇
目を開けると、白い天井が見えた。中心にある丸い点をジッと見つめたまま、今の状況を整理する。背中に固い感触がある。どうやら横になっているらしい。夏なのに涼しいから、部屋の中らしい。天井の中心にある丸い点は照明のようだ。しかし、部屋の中だとしたらどこだろう。さっきまで書店にいたハズだけど、事務所はこんなにキレイな場所ではなかった。
少し上半身を起こすと、目の前には大きいなカーテンがあった。目の端には棚とテーブルが見える。
――ここは、病院だろうか? だとしたら、どうして病院に? もしかして夢の中なのか。
そんなことを考えていると、バタバタと足音が聞こえた。そして勢いよくカーテンが開かれる。
「あぁ、よかった。気付かれたんですね」
そこに立っていたのは女性だった。白衣を着ているところを見ると、看護師なのかもしれない。急いで走ってきたのか、息が切れているようだった。肩で息をしている姿を不思議そうに眺めていると、女性が「起き上がりセンサーが反応したから、走ってきたんですよ」と付け加えた。
それを言われてはじめて、自分がいまベッドの上にいることに気付いた。とても当たり前なことなのに、頭が回っていないのか思考が鈍っている。
「……あの、一体何があったんですか?」
ようやく自分がどこにいるのか分かった僕が次に思ったのは「どうしてここにいるのか」だった。そのシンプルな疑問を女性にぶつけてみる。
「あなたは、頭を打ってこの病院に搬送されてきたんですよ。やっぱり覚えてないですよね。いま、先生を呼んできますからお待ちください」
そう言って女性は、走って病室を出て行った。慌ただしい人だなと思いつつ、頭を掻きながら周りを見る。カーテンが開いているから、正面のベッドに寝ている老人と目が合った。お互い、少し気まずそうに会釈をする。
そうか、この部屋には複数の人がいるのか。こういう環境は初めてだから、何とも不思議な感覚である。
それから少しして、先ほどの女性――看護師が医者を連れて戻ってくる。
医者が言うには、僕は書店で倒れて本棚に頭をぶつけてしまったらしい。それを目撃した同僚、おそらく綾乃が救急車を呼んでくれて、近くにあるこの病院へ搬送されたという。その話を聞いて、ようやく消えていた記憶が蘇ってくる。
あのとき、僕は万引きしそうな男子中学生に近づこうとした。しかしその瞬間に、なぜか身体が言うことを聞かなくなったのだ。それから先は、いま医者に言われたとおりだ。そのせいで頭をぶつけてしまい、この病院に入院することになってしまった。
「すでにご家族の方とはご連絡を取っています。かなり強くぶつけてしまったようなので、念のため精密検査をして、二日ぐらいで退院できると思います。それまでゆっくりおやすみください。精密検査の日程が決まったら、またご連絡しますね」
医者と看護師はそれだけ言って、病室のカーテンを閉めて出ていった。室内に静寂が戻る。
入院……か。突然のことで頭がついていかない。しかしとりあえず、家族やスパークルのみんなに連絡しておかないと。そう思ってスマホを探す。どうやら綾乃がスマホをバッグに入れておいてくれたらしい。取り出すと、何件も着信が入っていることに気付く。片瀬さんたちからの電話のようだ。
さすがに病室で電話をするのはマズいだろうと思い、廊下に出てから片瀬さんに電話をかける。すぐに片瀬さんの声が聞こえた。
「月之下くんっ! 大丈夫なの?! 綾乃ちゃんから、病院に運ばれたって聞いたけど!」
「……とりあえず、今のところは大丈夫そうです。検査をして、明後日には退院だとか。すみません、ご迷惑おかけしちゃって……」
「わたしは全然いいけど……そっか、入院するんだ。――大丈夫?」
片瀬さんのそんな質問に、僕は素直に「大丈夫」とは返せなかった。なにせ、どうして自分が倒れてしまったのかが、まったく分からないからだ。
「……たぶん、大丈夫だと思います。とりあえずまた、何かわかったら連絡しますね」
片瀬さんはまだ何かを話そうとしていたけど、それを制して先に電話を切った。今の状態で色々と聞かれても、答えられる自信がなかったからだ。スマホを耳から離して、他の着信履歴を確認する。綾乃、有城さん、サツキ、小畑さん――その全員から着信がきていた。どうやらみんな、僕が病院に運ばれたことを知っているらしい。
看護師に「電話するなら公衆電話の周辺で」と注意されたので、移動してから全員に電話をかける。みんな一様に僕のことを心配してくれた。そして最後に、小畑さんに電話をかけて少し話をする。小畑さんは電話を切る間際に、気になることを言った。
「そこの病院に、心療内科はあるか?」
「えっ、心療内科……ですか?」
小畑さんの言っている意図が読めず、問い返す。
「ぶつけた頭が問題なかったら、ついでに心療内科で診てもらえ。俺と一緒の症状かもしれない」
小畑さんに『俺と一緒の症状』と言われて、ジワリと手汗をかく。スマホを落としそうになって、慌てて両手で支える。
「小畑さんと一緒の症状って――」
「心因性の視力障害だ。まぁ、アキラくんは視力ではなく他の部分に影響があるかもしれないが」
小畑さんに言われて「バカなっ」と思う。しかし今まさに電話をしている小畑さんは、誤認逮捕が原因で心因性の視力障害を患って、ガーディアンを退任すらしている。そして僕も小畑さんと同じく、誤認逮捕をやらかした直後なのだ。
「アキラくんは俺ほど思い上がっていないから、大丈夫だと思っていたが……まぁ人の心なんて分からんもんだ。一度診てもらっても損はないぜ」
小畑さんはそう言って、電話を切った。スマホを耳にかざしたまま、エレベーターホールの近くにある案内板を見る。案内板には診療科の一覧が書かれていて、そこには心療内科もあった。
――いや、まさか。自分がそんな病気になるなんて……考えられない。
僕はスマホをポケットにしまうと、その案内板に背を向けて、自分の病室へと戻っていった。