第118話 デモニッシュ確保作戦
六月十九日、土曜日。その日は朝から小雨が降る、嫌な天気だった。僕は午後からある作戦会議のために、水たまりを避けつつS.G.Gの本部に向かう。
傘についた雨粒を払いながら、本部の扉をくぐる。休憩所で足をぶらぶらさせながら座っている綾乃が見えた。
「おはよう。今日は随分と早いね」
手を振りながら綾乃に近づく。綾乃は僕に気付くと、足の動きを止めてニコッとほほ笑んだ。
「おはよっ。ちょっと早くに起きちゃって。それで早めに来ちゃった」
綾乃の言葉に「そうなんだ」と相づちを打ちつつ、時間を確認する。今は午後一時三十五分。作戦会議は午後二時からだから、まだ余裕がある。
「とりあえず、先に会議室に行っておく?」
僕の提案に、綾乃は「そうしよっか」と頷く。二人そろって先に会議室に向かうことにした。
「そういや綾乃のとこって、期末テストは今月末だっけ?」
「うん、そうだよ。来週から始まるんだけど、全然勉強してなくって。ちょっとマズいかも」
言いながら、綾乃は笑う。しかしそれは謙遜であると、僕は知っていた。筒瀬女子学院に通う綾乃は、かなり頭がいいのだ。
「綾乃なら大丈夫じゃない? 中間テストは調子よかったんでしょ?」
「中間テストはね~。でも去年は先生に迷惑かけちゃったから、今年はちゃんとストレートで進級しないとっ」
綾乃は自身を鼓舞するように、両手を胸の前に掲げた。綾乃は去年の十二月に半月以上失踪した。さらに今年の一月には少年鑑別所にも入っている。その関係で出席日数が足らず、進級が危うくなってしまったのだ。結局は綾乃の普段の素行や失踪の背景を鑑みて補習が行われて、問題なく進級はできたけど……今でもそのことを気にしているらしい。
「今年は大丈夫だよ。綾乃は真面目な子なんだから」
僕の言葉に、綾乃は嬉しそうに笑う。実際、綾乃なら学校のことは問題ないだろう。どっちかっていうと、心配なのは僕の方だ。今年は『芸能活動』という名の撒き餌をしまくっているから、とにかく出席日数が危うい。芸能人の中にはドラマに出演しながら一流大学に進学している人も多いらしいけど、とてもじゃないけど僕には真似できないな、と実感している。
会議室に着くなり、綾乃が持ってきた書類やら、プロジェクターの準備をする。準備が終わった頃に、会議室のドアが開いた。
「おっはよ~っ! あやのん、今日も元気そうだねぇ~!」
ドアの向こうに立っていたのは有城さんだった。
綾乃の姿を見つけるなり、勢いよく抱き着いている。綾乃はこんな光景にもすっかり慣れたのか、真顔で対応していた。
「あれっ、今日って有城さんも来るんですね」
「うん! 今回の作戦には、AIFRSも大事になってくるからね」
有城さんの説明に、なるほど、と頷く。細かい作戦は小畑さんの方で決めているようだから、後で説明を受けるだろう。
そして午後二時ちょうどに、小畑さんが会議室にやってくる。脇にはいくつもの書類とノートパソコンを抱えていた。
「よう。全員、時間どおりに集まったようだな」
会議室のテーブルに書類とノートパソコンを置いて、小畑さんが続ける。
「事前に話してあるように、今日集まってもらったのはデモニッシュ逮捕の作戦会議をするためだ。これまで捜査本部で、デモニッシュの犯行の傾向について徹底的にまとめた。それをここで共有したいと思う」
前置きもそこそこに、小畑さんが本題に入る。
ここ数か月の捜査で、デモニッシュの手口について新しく判明したことがある。それは『巧みに変装をしている』ということだ。
警察と連携が取れるようになったので、被害店舗を中心に街の防犯カメラ映像の解析をおこなったが、怪しい人物は確認されていない。それどころか、同じ人が複数の店舗周辺で目撃されたという情報もない。つまりデモニッシュは、犯行時に変装をしている可能性が高いのだ。そうでなければ、毎回違う人物がデモニッシュとして犯行をおこなっていることになる。それは考えられない。
この『デモニッシュは変装の達人である』という見解に、綾乃が補足説明をする。
「黒木勘五郎の変装スキルは常識を超えています。皆さんは『カイリー・アービング』というバスケット選手をご存じですか? 今から十年ぐらい前に、お爺ちゃんに変装してストリートバスケをするCMが人気を博しました。最低でも、これ以上の変装スキルは持っているハズです」
綾乃の話に合わせて、小畑さんがスクリーンにそのバスケット選手の画像を出す。陽気で笑顔の眩しい男性が、見事に白髪の老人に成り代わっていた。とてもじゃないけど、同一人物とは思えない。
「この選手は特殊メイクでジジイに扮しているらしい。駒崎くんは、こんな風に黒木が変装しているところを見たことがあるんだったね?」
小畑さんの質問に、綾乃がコクリと頷いてから続ける。
「見たことがあります。といっても、すごく昔のことです。多分わたしが大きくなるにつれて、そういった姿は見せなくなったと思います。わたしがいつ、裏切ったり情報を漏らしたりするか分かりませんから」
綾乃の説明を聞いて納得する。黒木は綾乃に対してもデモニッシュの存在を隠しているが、幼少期はそうでなかったらしい。おそらくデモニッシュがここまで大きな組織になるとは思っておらず、情報統制の仕組みを作っていなかったのだろう、とは小畑さんの見解だ。
「つまり、今では特殊メイクのスキルも上がっているかもしれない。俺たちは黒木の顔を知っているが、その先入観に惑わされるなってことだ」
「……わかりました」
返事をしながら「ややこしいことだな」と唸る。黒木が変装しているのであれば、こちらから行動しにくい。それにもしかしたら、今までもどこかの店舗で黒木と遭遇しているかもしれない。そう考えると、得も言われぬ気持ち悪さがあった。
それから、小畑さんが今回の作戦の詳細を説明してくれる。
まず間違いなく新しいガーディアンの存在を知っているであろう黒木は、必ず僕を倒すために姿を現す。そして小畑さんのときと同じように誤認逮捕させて、ガーディアンとしての地位を失脚させるハズだ。そこを僕が返り討ちにするのが、本作戦の内容である。
しかしこの作戦では、黒木を万引き犯として捕まえるのは困難だ。なにせ黒木の目的は『僕を誤認逮捕させること』なのだから、実際に万引きするとは限らない。そんな黒木を、一体どのようにして捕まえるつもりなのか。この僕の疑問に、有城さんが回答してくれた。
「アキラくんの言うとおり、黒木氏を万引き犯として捕まえるのは容易でありません。そのため新しい認証システムを活用して過去の監視カメラ映像を解析し、怪しい人物には任意同行を求めます」
有城さんが、スクリーンのスライドを切り替えるように小畑さんに声をかける。スライドが切り替わると、そこには『新しい三つの認証システム』と書かれていた。
「現在、新しい認証システムの導入を進めています。『歩容認証』『耳介認証』『骨格認証』の三つです」
有城さんが説明を続ける。『歩容認証』は、歩き方のクセで個人のことを特定する認証方式らしい。そして『耳介認証』は耳の形で『骨格認証』は骨格の形で個人を特定する方式というワケだ。
いくら変装で顔は隠せても、その他の部分の偽装は容易ではない。そのため有城さんは警察と連携して、AIFRSにそのシステムを導入中らしい。なんでも歩容認証などは、もともと警察で犯罪捜査として活用されているのだとか。いつの間にか近未来がきていたんだな、と若者のクセに思った。
「過去のデモニッシュ出現店舗のデータを解析したところ、いくつか共通する生体情報がありました。今後それに一致する生体情報があれば、その人物が黒木である可能性があります」
なるほど、と有城さんの説明に納得する。つまりこういうことだ。僕を失脚させようと黒木が店舗に訪れた場合、AIFRSのアラートが鳴る。僕はその黒木を捕まえずにスルーして、外に待機している警察が任意同行を求める。いくら変装の名手でも、警察の取り調べを受けてボロを出さないワケがない。黒木がボロを出したら余罪を追及して、デモニッシュを追い詰める。そういう作戦なのだ。
「だからアキラくんは、黒木が現れた場合には『捕まえずにいればいい』ってワケだ。あとのことは警察がやってくれる」
「わかりました。……結局手柄は警察のものになるので、その点は少し引っ掛かりますが」
僕の本心に、小畑さんは「そう言うな」と苦笑する。
「この作戦の肝は、間違いなくアキラくんなんだ。アキラくんがガーディアンとして活躍しているからこそ、黒木をおびき出せる。しかし悲しいかな、俺たちが黒木に任意同行を求めるのは法が許してくれない。だから今回の作戦は、俺たちと警察がいて初めて成り立つものなんだ」
「わかってますよ。ただ、なんとなく言ってみただけなので」
「まぁアキラくんがそう言うのも、ガーディアンとしての自覚が生まれてきたってことなんだろうがね」
そう言って、小畑さんは綾乃に向き直った。
「さて。次の話は『デモニッシュはどういう方法で誤認逮捕させるのか』だ。これについては、実際に黒木から教育を受けていた駒崎くんから話してもらおう」
小畑さんに言われて、綾乃はゆっくりと立ち上がった。そして座っている僕たちを見渡す。
「わたしは黒木勘五郎に、誤認逮捕させるテクニックを学びました。小畑さんに使ったのも、このテクニックです。その節は失礼しました」
綾乃が深々と頭を下げる。小畑さんは「気にするな」と笑顔で答えた。
それから、綾乃が『誤認逮捕させるテクニック』について話し出す。どうやら大事なのは『いかにして初心者感を出すか』らしい。たとえば初心者にありがちな「監視カメラの位置を確認する」「挙動不審レベルで周りをキョロキョロする」「こわばった表情をしている」などがある。それらすべての特徴を複合させて、いかにも「私は初めて万引きをする初心者ですよ」という感じをアピールするワケだ。
普通の万引き犯はあえて「初心者アピール」なんてしないから、小畑さんがこれに引っかかったのも無理ないだろう。それにまさか女子高生が自分を貶めようとしているとは思わないハズだ。
「黒木勘五郎はアキラくんと接触するときも、初心者であると誤認させてくると思います。なのでその前提で動くのがいいと思います」
そう言って綾乃は話を締めくくった。綾乃が着席するのを待ってから、小畑さんが続ける。
「さらに黒木のことだから、おそらく『初心者でも違和感がない姿』に変装してくるだろう。有力なのは老人だな」
「おそらく店舗によって変装を使い分けてくると思います。見た目には囚われない方がいいかもしれません」
綾乃が補足する。つまり、全員に対して警戒しなければいけないというワケだ。随分と骨の折れる話である。
「難しい局面だが、アキラくんなら成し遂げられると思っている。頑張ってくれ」
小畑さんが労ってくれる。僕は自分を鼓舞するように、大きな声で返事をした。