第112話 新しいガーディアン
一月二十九日、水曜日の放課後。僕は小畑さんに呼び出され、S.G.Gの本部に向かっていた。メッセージには「大事な話がある」とだけ書かれていたから、詳細はまだ分からない。小畑さんはいつも詳細を直前まで話さないよな、と本部に向かいながら思った。
本部に着くと、一階で小畑さんが待っていた。僕を見つけるなり、右手を挙げて挨拶をしてくれる。
「お疲れ。今日は突然悪いな」
小畑さんはそれだけ言うと、先にエレベーターへ向かっていった。僕も小走りでついていく。エレベーターに入ると、小畑さんが四階のボタンを押したので、僕は「あれっ」と声を漏らした。
「今日って、桐生さんも関係あるんですか?」
「関係あるどころか、代表がアキラくんを呼んだんだ。大事な話だから、代表自ら話したいってさ」
小畑さんから説明を聞いて、思わず髪に手をやる。今日桐生さんと会うってわかっていたら。もっと身だしなみを整えていたのに。
……それにしても、桐生さんが直接話したいぐらいの大事な話ってなんだろう。デモニッシュに関することだとは思うけど。
代表室に入ると、桐生さんがソファーに座って待っていた。
「月之下くん、久しぶりだねぇ。といっても、一か月ぶりぐらいかなぁ」
桐生さんが挨拶をしたので、僕は頭を下げて応じた。桐生さんとはデモニッシュの捜索関係でちょくちょく会っている。だから久しぶりな感じはしなかった。
「さて。まずはお座りなさい。くつろいでくれていいからねぇ」
言われてから、桐生さんの正面に座る。そして小畑さんもソファーに腰を下ろしたが、いつもとは位置が違った。普段は僕の横に座っているのに、今日は桐生さんの横に腰を下ろしている。
「月之下くんには、どれぐらい内容を話しているのかな?」
桐生さんが横にいる小畑さんに問いかける。小畑さんは「なにも話してませんよ」と答えた。
「こういう話は、俺より代表から聞いた方が良いと思ったのでね」
「そうか。それは結構。では最初から話をしようか。……月之下くんは、次のランク更新がいつか知っているかな?」
桐生さんの質問に、僕は即座に「今月末です」と答えた。実は前々から、ランク更新のことは考えていたのだ。ここ数か月でかなりS.G.Gに貢献してきた自信があるから、次のランク更新は期待ができる。
「うん、そうだねぇ。今月末だ。ランク更新のときに、ガーディアンの再選出がされることも知っているかな?」
「一応知っています。ガーディアンが変わるタイミングは、いつもランク更新のときだったので」
僕の回答に、桐生さんは「よく調べているねぇ」と満足そうに笑った。
「月之下くんも知ってのとおり、今のガーディアンは小畑くんだ。でも駒崎くんを誤認逮捕したせいで、精神を病んでしまった。本人としても一線を退くつもりだから、今月末にガーディアンも変わることになっている」
それはそうだろうな、と桐生さんの話を聞いて思う。いくら小畑さんが優れた万引きGメンであっても、心因性の視覚障害を患っていては、万引きGメンはできない。小畑さん自身も綾乃の作戦会議のときに「来年の一月には無職になっている」と言っていたし、覚悟はできているのだろう。
しかし、桐生さんはどうしてその話を僕にするのだろうか。小畑さんは僕らとは違うチームなのだから、ガーディアンを引退することになっても何も影響はない。ガーディアンを引退しても、小畑さんがデモニッシュ捜索の総指揮を執るんだろうし。イマイチ話が見えてこない。
「そこでだ。我々は次のガーディアンを選出する必要があるのだが……月之下くんは、誰が適任だと思うかね?」
桐生さんのその質問で、ようやく話が見えてくる。桐生さんと小畑さんは、僕に次のガーディアンについてアンケートを取っているのだ。事態を呑み込めてホッとした僕は、冷静に考え込む。しかし次のガーディアンに適任な人は思い浮かばない。そもそも僕はS.G.Gの上位チームとの接点があまりないから、思い浮かべようがないのだ。
「それは……どうなんでしょうか。上位のチームってことになるんでしょうけど……」
右腕を掻きながら、さらに考え込む。しかしどれだけ考えても、答えが出るハズもなかった。
そんな僕の様子を眺めていた桐生さんが「ワタシはね」と口を開いた。
「次のガーディアンに適任なのは、月之下くんだと思っておる」
「――えっ?」
思わず、素の反応で聞き返してしまう。咳ばらいをしてから、慌てて「どういうことですか?」と聞き直す。桐生さんは眼光を鋭く光らせながら続けた。
「月之下くんのここ数か月の働きは目覚ましい。なにせオブシーンを捕まえて、デモニッシュの関係者である駒崎くんも見つけたんだからねぇ。ワタシだけでなく、幹部のみんなも月之下くんが次のガーディアンに相応しいと言っていてねぇ」
そこまで聞いて、僕は笑いながら胸の前で両手を振る。
「そんなっ、冗談はやめてくださいよ。ガーディアンって、小畑さんみたいに優秀なGメンがなれるものですよね? それを、僕なんかが」
「――だから、キミが優秀なGメンだって言ってるんだぜ」
桐生さんの横で、黙って僕を見守っていた小畑さんが口を開いた。
「実際、アキラくんのスキルは凄まじい。Gメンのスキル自体は、俺や万引きの英才教育を受けていた駒崎には劣るかもしれない。しかし発想力や、どんな状況でも喰らいついていくガッツには目を見張るものがある。それに、他のチームの連中からも慕われているみたいだしな」
現ガーディアンの小畑さんに褒められて、つい嬉しくなる。しかし、これとそれとは別だ。僕にガーディアンになれるだけの素質はないと思う。ガーディアンは、文字どおり『小売店にとっての守護神』だ。新規開拓をする営業の際には、大々的にガーディアンのことを紹介して『この人がいるならS.G.Gの加盟店になってもいいだろう』と思わせることもあると、営業部の人が言っていた。そんなガーディアンに、僕はなれない。
「ガーディアンの選出は、幹部陣の投票で決まるんだが、今回は満場一致で月之下くんになってねぇ。もちろん『高校生にガーディアンが務まるのか』という意見も出てきたけど、過去の実績を考えると、月之下くんに限ってはそんな心配は不要だからねぇ」
桐生さんが言う。満場一致で僕に決まった。その事実は嬉しい。――でも。
「ちなみに、俺も月之下くんを推薦したぜ。諸事情でガーディアンを引退する場合は後任者を推薦できるからな」
小畑さんが言う。現状S.G.Gでもっとも優れているGメンの小畑さんにも認められた。――それでも。
「……僕には、ガーディアンは無理だと思います」
ポツリと。僕はうつむいたまま、自分の気持ちを吐露した。正面に座る二人がどんな顔をしているのか見るのが怖くて、顔を上げられない。
「――それは、どうしてなんだ?」
まず理由を聞いてきたのは小畑さんだった。僕は少し考えてから、口を開く。
「自信が……ないからです。僕はまだS.G.Gに入って、一年ぐらいの新参者です。ガーディアンとして、組織を引っ張っていくことはできません」
「それは、どうしてなんだ?」
小畑さんが、さっきと全く同じ言葉を発した。思わず顔を上げてしまう。小畑さんはいつになく真剣な顔で、僕のことを見つめていた。
「どうしてって……自信がないからです」
「どうして自信がないと、ガーディアンになれないんだ?」
小畑さんが、またもや同じようなことを言う。さっきからずっと押し問答をしている気がして、頭が混乱してしまう。僕たちはいま、ちゃんと会話を進められているんだろうか。不安になる。
そんな心境のため、次の言葉が出てこない。そんな僕を見かねたのか、小畑さんは座りながら姿勢を正して、小さく息を吐いた。
「自信なんていうのは、実際にやっていって身に着くものだぜ。考えてもみろ。ガーディアンになったことがないヤツが、自信満々に『俺なら余裕でガーディアンになれますよ!』と言っていたら、そいつはただの慢心野郎のクソ野郎だ。そうは思わないか?」
小畑さんの話を聞いて、僕は黙り込む。ただ小畑さんの言っていることは、真実のように思えた。
「もし自信がないとガーディアンになれないっていうなら、月之下くんの自信がつくのはいつだ? 実態が不明なオブシーンを捕まえ、所在すら分からない駒崎のことを独自の捜査で見つけ出した。そして他のメンバーからも慕われる人徳がある。他にいったい、何の力があったら自信がつくんだ?」
小畑さんの言っていることはもっともだった。もしかすると、僕にはすでにガーディアンにすらなれるスキルが身についていたのかもしれない。でも、勇気が出ない。一歩が踏み出せない。将来、小畑さんのようなガーディアンになっている想像が、僕にはできない。
僕はなおも黙り込む。こうしていて、どれだけの時間が経ったのだろうか。時計の秒針の音だけが、やけに耳障りだった。
「……これはまだ伏せておこうと思っていたんだが」
突然、小畑さんの言葉が空を切った。うつむいたまま、小畑さんの声に耳を傾ける。
「デモニッシュは、ガーディアンを中心に狙っている可能性がある」
「ガーディアンを中心にって……どうしてそんなことを」
「黒木勘五郎の過去を考えれば、ある意味で至極当然だったかもしれない。黒木はガーディアンという制度を設立するキッカケになったほどの人物だ。万引きを心の底から憎んでいた黒木にとって、ガーディアンの称号は嬉しかったに違いない。しかし行き過ぎた捜査が原因で、S.G.Gを追放されてしまった」
それは以前に桐生さんからも聞いたことだ。黒木は個人情報保護法を無視した強引な捜査を繰り返していたという。
「そんな黒木が、新しいガーディアンのことを狙ってもおかしくはない。黒木にとっては、ガーディアンを倒すことで『自分こそが最強のGメンだ。俺を追放したS.G.Gはバカだ』って証明できるんだからな。そう考えると、わざわざリスクを承知で駒崎を俺に差し向けたのも納得できる」
小畑さんのその推理には説得力があった。実はずっと、どうしてデモニッシュが小畑さんを狙ったのか、疑問だったのだ。いくら小畑さんが『ネズミ捕り』を実施していたとしても、凄腕の窃盗集団であるデモニッシュにとっては関係のない話のハズなのだ。しかし『ガーディアンュという称号そのものを狙っていた』と考えれば、納得ができる。
「実は過去十年間にガーディアンになったメンバーの情報を洗ってみたところ、数は少ないが俺と同じように誤認逮捕で退任まで追い込まれていた人がいた。さすがに最強のGメンであるガーディアンが誤認逮捕をしたなんて不祥事は大問題だから、過去のは秘匿されていたらしい。だから俺も知らなかった」
「――つまりデモニッシュ……黒木は、十年前からずっとガーディアンを狙って動いていて……僕がガーディアンになったら、デモニッシュに狙われる可能性がある……ってことですか? そして僕になら、デモニッシュを返り討ちにできると」
僕の言葉に、小畑さんは「やっぱりアキラくんは賢いなぁ」と頬を綻ばせた。
「……わかりました。なりましょう。僕が、次のガーディアンに」
僕の決意を聞いて、小畑さんが「よし来たっ」と両膝を叩く。桐生さんも嬉しそうに、ニコニコとほほ笑んでいた。
正直、今の僕にガーディアンが務まるとは思えない。しかしデモニッシュがガーディアンを狙っていて、それを返り討ちにできるチャンスがあるのだとしたら、僕はガーディアンになりたい。
小畑さんや片瀬さん、そして綾乃の人生を台無しにしたデモニッシュ。僕自身の手で、引導を渡してあげなければいけない。心の中で強くそう思った。