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第111.5話 大切な人

 その日、突然月之下くんから「"とまり木"に行きたい」と言われたときには驚いた。


 わたしは定期的に換気や掃除のために行っているけど、まさか月之下くんが行きたがるとは思わなかったからだ。どうやら古書に興味が出たらしく、同士が見つかって嬉しくなったわたしは、一緒に行くことにした。


 "とまり木"。それは琴乃さんが生前に経営していて、そして命を落とした最期の場所。"とまり木"に行くと、わたしはいつも気分が重くなる。


 琴乃さんは何を思って、死ぬことを選んだのか。もっとわたしたちに、できることはあったんじゃないか。後悔の念が止まらなくなる。"とまり木"はたくさんの思い出が詰まった場所だけど、それだけに行くのが辛い。だからきっと小畑くんも、わたしが"とまり木"に出入りするのをなり崩し的に認めているんだろう。掃除はしてあげたいけど、自分は行きたくないから、わたしに任せているのだ。


 辺りも暗くなり始めた頃に、"とまり木"に着く。中に入るなり、月之下くんは少しソワソワした様子で周囲を見渡していた。


 何か読みたい本でも探しているのかな? わたしだったら場所を知ってるけど――そう言おうとしたとき、月之下くんが「奥にある本を見てきますね」と言って、駆け出していった。そんなに読みたい本があったんだ、と微笑ましくなる。わたしにもそういう時期があったな、とも思った。最近はもう、あまり本を読まない。本を読むと、どうしても琴乃さんを思い出してしまうからだ。"とまり木"で好きな本について語り合った、あの日々のことを。


 棚に並んでいる本を感慨深く眺めていると、突然後ろから大きな音がした。パッと振り向くと、入り口のシャッターが閉じられている。ストッパーをしていなかったから、閉まっちゃったのかな。誰も巻き込まれなくてよかった。


 そんなことを考えていたとき、階段を下りてくる足音が聞こえた。その音にギョッとする。月之下くんは二階に上がってないし、さっきまでシャッターが閉まってたから、二階に誰もいるハズはない。まさか泥棒だろうか。二階は古書の倉庫にもなっているから、珍しい本目当てで泥棒がやってきてもおかしくない。


 月之下くんのことを呼ぼうと、スマホに手をかけたとき。その足音の人物が、小畑くんであることに気付いた。小畑くんはまっすぐにわたしのことを見据えながら、ゆっくりと階段を下りてくる。


「突然美砂が『デモニッシュの捜査のために"とまり木"に行きたい』っていうから、重い腰を上げて来てみたら……まさかこんなことをするなんてな」


 一階に下りてきた小畑くんが、近づきながらスマホの画面を見せてくる。それはメッセージの画面だった。「マユさんと仲直りして!」と書かれている。目を凝らして差し出し人を見ると、どうやら美砂ちゃんからのようだった。


 事態が呑み込めず、困惑する。でも少しして、月之下くんと美砂ちゃんが結託して、わたしと小畑くんを仲直りさせようとしているんだ、と気付いた。その証拠に、小畑くんの声がするのに月之下くんが顔を出してこない。


「余計な気を遣いすぎなんだよな、アイツらは。若いのはもうちょっと、自分本位に生きてほしいんだが」


 頭をガリガリと搔きながら、小畑くんが言う。わたしは話す言葉が見つからなかった。仕事関係の話ならまだ言葉も出てくるけど、こんな状況だとかけていい言葉が見つからない。小畑くんはわたしのことを憎んでいるんだから。


 それから少しの間、わたしたちの間で沈黙が流れる。どうしよう、わたしから切り出した方がいいのかな。でも、何を切り出すというのか。琴乃さんが死んじゃった、この場所で。最初に琴乃さんの首つり死体を見つけてしまった、小畑くんに対して。


 頭が混乱して、眩暈がする。わたしは思わず、近くにある棚にもたれかかってしまった。


「……大丈夫か?」


 そんなわたしを見て、小畑くんが優しく話しかけてくる。


 ――あぁ、そうだったなぁ。


 こんなわたしに優しい言葉をかけてくれた小畑くんを見て、思い出す。小畑くんは、もともと気は強いけど、人一倍やさしい人物だった。だからこそ琴乃さんも自分の人生を安心して預けられると思って、婚約したのだ。


 そんなやさしい小畑くんを、デモニッシュを追うだけの復讐鬼に駆り立ててしまったのは、間違いなくこのわたしなのだ。


「……ごめんね」


 棚にもたれかかったまま、小畑くんに謝る。その声は、自分が思っている以上にか細かったに違いない。


「なんのことだ。一体、何に対して謝っているんだ」


 小畑くんが問い詰めてくる。そんなの、分かり切っていることなのに。わたしは、またもや小さい声で「琴乃さんのこと」と答えた。


 そんなわたしを見て、小畑くんはバツが悪そうに顔をしかめた後、大きなため息をついた。


「この機会だから言っておくけどな。俺は別に、もうお前のことを憎んじゃいないよ」


 小畑くんの口から発せられた言葉は、わたしが想像していないものだった。さっきまで真っ暗だった視界が、急に明るくなる。


「いや。『もう』っていう言い方は違うな。……本当は、最初からだった。最初から、お前のことを本気で憎んだことはない」


「でも……琴乃さんが死んじゃった後、わたしのせいだって……」


 わたしの言葉に、小畑くんは申し訳なさそうに肩をすくめる。


「あれは勢いだった。どこに怒りをぶつけていいか分からなくって、つい感情的になってしまったんだ。――申し訳ない」


 そう言って、小畑くんは大きく頭を下げた。いつになく小畑くんが素直なので、あわあわしてしまう。


「本当はずっと、謝りたかったんだ。でもキッカケがなくて……。言うのが遅くなって、本当に申し訳ない」


「うっ、ううんっ。全然、いいの。小畑くんの本音が聞けただけで、それだけで、十分だから……」


 なんて返事をすればいいか分からなくて、思いついた言葉を適当に並べる。でもさっき口に出た言葉はやはり本心だったと、言ってから気付いた。わたしも別に、小畑くんのことを恨んでないのだから。


「許してくれるか? こんな俺のことを」


 小畑くんが、真剣な眼差しでわたしを見つめてきた。


「許すもなにも……わたしは全然、怒ってないよ。ただ小畑くんがわたしのことを嫌ってたから、避けてただけで……」


 わたしの言葉に、小畑くんは「そっか」と笑みをこぼした。そして右手を差し出してくる。それが『仲直りの合図』であることに、少ししてから気付く。わたしは目に涙を浮かべたまま、同じように右手を差し出した。二人の手が、力強く結ばれる。本当は三年間ずっと、この時を待ち望んでいた。


「……余計な気遣いをされたことはムカつくが、結果的にアイツらに感謝だな」


 小畑くんはわたしから手を離すと、近くにある棚を見上げた。そこには何冊もの古書が並んでいる。


「この店、お前が掃除してくれてたんだってな。美砂から聞いたよ。ありがとうな」


「全然いいの。多分小畑くんにとって、ここは辛い場所だと思うから。でも琴乃さんのお店だから、わたしが残してあげなきゃって」


「琴乃も、向こうで喜んでくれると思うぜ。アイツは本が好きだったからなぁ」


 小畑くんが、棚に平積みされている本を手に取る。それは生前、琴乃さんが執筆した小説だ。余命を宣告された十五歳の少女が、懸命に余生を送って、生きる意味を見出していくお話。最終的に少女は死んじゃうけど、生前に彼女の残したものがたくさんの遺族の人生を支えていく展開には涙が出た。発行部数が少ないから普通は平積みなんてされないけど、自分のお店だからと、琴乃さんは嬉々として積み上げていた。


「俺はさ、この三年以上、ずっとデモニッシュを追っていた。そのせいで心を病んで、もう現場には立てなくなった。そして自分の無力さに打ちひしがれていたとき、琴乃ことを思い出したんだ」


 小畑くんは、手に取った小説をパラリとめくる。


「アイツは子どもの頃から病弱で、常に死が隣にあったんだ。だからロマンチストでさ。俺が『どうして小説家になるんだ』って聞いたとき、アイツはこう言ったんだ」


『本はさ、ずっと残り続けるでしょ? 例えば何十年も何百年も前の小説が、現代人に読まれたりする。それって、素敵なことだと思わない? だってその作者の気持ちは、想いは、もう肉体が死んでいるのに現代にも生き続けているんだから。わたしも、そういう小説を書きたいって思うの』


 ――そうすれば、例えわたしが死んだとしても、永遠に生きていられるでしょう?


「琴乃がお前の勧めで古書店を始めたのも、きっとそういう理由だと思うんだ。数多くの人が残した書物を、現代や未来まで残す。そうすれば、その書物を書いた人たちの気持ちや想いは消えずに残り続ける。それを実現するのが、アイツの夢だったと思うんだ」


 小畑くんは琴乃さんの本を棚に戻すと、わたしに向き直った。


「だからさ。俺はデモニッシュを捕まえたら、この"とまり木"を再建しようと思うんだ。琴乃の小説を……夢を、未来に残していきたいから」


 その言葉に、わたしは涙を堪えることも拭くこともせず、小畑くん……いや、徹くんに笑いかける。


「……きっと、徹くんなら、できるよ」


「ありがとう。――真由美にそう言ってもらえると、助かるよ」


 そう言ってわたしたちは、またお互いに握手をした。二〇二〇年、一月二十六日、日曜日。わたしはこの日を、一生忘れないだろう。わたしにとって一番大きかったしこりが、解決された日なのだから。


 話を終えたあと、徹くんはシャッターに手をかけた。シャッターが開くと、月之下くんと美砂ちゃんの姿が見える。わたしは涙を見られたくなくって、少し遠ざかる。月之下くんが少し怯えている風なのが、ちょっと面白かった。


 徹くんと話す月之下くんを見て、わたしは思う。


 いつからなんだろう。月之下くんがわたしにとって、とても大きな存在になってしまったのは。

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