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第106話 綾乃の確保(7)

 片瀬さんの家に泊まるにあたり、まずはスーパーで買い物をすることになった。歯ブラシみたいな日用品や、着替えなんかを仕入れるためだ。


 そしてついでに晩ご飯の食材も調達する。片瀬さんはお寿司とか焼肉とか豪華なものを提案したけど、当の綾乃には食欲がなかった。なので家で鍋をすることになったのだ。鍋なら自分の好きな分だけよそえるから、今の綾乃でも食べやすい。


 色々なものを買って片瀬さんの家に着いたのは、もう既に日が暮れ始めた夕方だった。


「狭い家でごめんね〜。でもひと通りの家具は揃ってるから、わたしのことは気にせず、くつろいでね」


 片瀬さんの家はマンションの六階にあった。狭いとは言っているけど、リビングと寝室がちゃんとある。三人だけなら、十分に快適に過ごせそうだった。


「とりあえず、鍋の準備しちゃおっか。お昼うどんしか食べてないから、お腹すいちゃった」


 手洗いとうがいを済ませた片瀬さんが、リビングのすぐ隣にある寝室に入る。そして綾乃を手招きしてから、僕に向かって「着替えるから、覗かないでねっ」と言った。


 片瀬さんの言葉に少し気恥ずかしくなった僕は、何回か頷いて返事をした。


 ピシャリ、と寝室の襖が閉じられる。それを見てから、僕はリビングにあるテレビを付けた。無音だと寝室の音が聞こえるだろうから、少し気まずかった。


 テレビにはニュース番組が映っている。ご当地の美味しいグルメ情報を紹介するコーナーのようだった。それを見ながら、地べたに腰を下ろす。外着のままソファーに座るのは、少しはばかられたからだ。


 テレビでは女性のアナウンサーが、料理を食べながら美味しそうなリアクションをしていた。それを見ながら、綾乃はこの数週間、いったい何を食べて暮らしていたんだろうか、と想像した。もしかしたら、ほとんど食べてなかったかもしれない。実際に少し顔がやつれているし。


 今日ぐらいは、美味しいものを食べてもらいたいな。そう思いながら、僕は立ち上がって今日買った鍋の具材を袋から取り出した。そしてそれをテーブルに並べる。今日は奮発して海鮮鍋になったから、エビやタラみたいな一般的な食材だけじゃなくて、カニやホタテなどの高級食材を入っていた。


「あっ、ご飯の準備してくれてたの? ありがとうね!」


 ガララッと襖が開く音がして、振り向きながら「いえいえ」と謙遜する。完全に振り返って片瀬さんの姿を見たとき、思わず心臓がドキッとした。


 片瀬さんはブラウンの、少しダボッとしたルームウェアを着ていた。普段とは違ってラフな格好の片瀬さんを見るのは、これが初めてだった。


「……どこか変だったかな?」


 片瀬さんはトップスの裾を持ち上げながら、少し照れくさそうに言った。僕はすかさず首を大きく横に振る。


「いえっ、そんなことありませんっ。ただ……ちょっと普段とは違う服装だったので……」


 少しうろたえながら、片瀬さんに説明する。片瀬さんは「ふーんっ」と呟きながら、僕のことをジト目で見てきた。


 しまったな。つい反応しちゃったけど、こうなるなら事前に心の準備をしておけばよかった。とはいえ、心の準備ができていないのも仕方ない。今日は片瀬さんの家にお邪魔するという、めちゃくちゃ心踊るシチュエーションなのに、どうしても綾乃のことだけを考えてしまうのだから。


「ちなみに、綾乃ちゃんもいつもと違う服装だよ!」


 片瀬さんが言うと、示し合わせたように寝室から綾乃が出てくる。綾乃は白いふわふわした生地のパジャマを着ていた。きっと有城さんがいたら「モフモフだぁ〜!」と抱きついていたところだろう。


「……わたし、普段こういう可愛いパジャマとか着ないんだけど……似合ってるかな?」


 綾乃は照れくさそうに、パジャマの袖で口元を隠した。そのとき、僕はようやく、綾乃の顔をまともに見れた気がした。


「――うん、似合ってる。可愛いよ」


 それは僕の本心だった。綾乃は嬉しそうに「ありがとう」と微笑んでくれた。


 それから、三人で鍋を囲む。用意した鍋はペロリと平らげてしまった。締めの雑炊までいただいた始末だ。綾乃も最初は食欲がないと言っていたけど、片瀬さんの作った鍋が絶品だったからか、思ったよりも食べてくれた。


 お風呂が沸いて、先に僕が入ることになる。片瀬さんと綾乃は入る順番なんか気にしてなさそうだったけど、二人が入った湯船に僕が浸かるのは、さすがにちょっと犯罪な気がした。


 お風呂から出てリビングで人心地ついていると、片瀬さんと綾乃が一緒にお風呂場に向かっていくのが見えた。


「あれっ、二人で入るんですか?」


 片瀬さんの背中に思わず聞いてしまう。片瀬さんは振り返ると「もちろんっ」と笑みを見せた。


「こういう機会はなかなかないからね。さっ、綾乃ちゃん早く行こっか!」


 綾乃の背中を押しながら、片瀬さんがリビングを出ていく。どうやら同性同士、裸の付き合いということらしい。もし有城さんがいたらとんでもないことになってただろうな、とひとりで静かに笑った。


 適当にテレビをザッピングしていると、スマホが鳴った。小畑さんからの着信だったので、テレビを消してから通話に出る。


「いよっ。首尾はどうだ?」


 電話に出るなり、小畑さんは低い声で言った。


「何事もなく平和ですよ。小畑さんはどうですか?」


「こっちはてんてこ舞いだ。ついさっきまで駒崎の学校の担任がS.G.Gの本部に来ててさ。一体なにがあったんですか、どうしてあなたたちが関係してるんですかって、もう喧々諤々だよ。美砂と一緒になだめてきたところだ。担任の反応からするに、どうやら駒崎は結構好かれてたみたいだな」


「それは……ご愁傷さまです」


「アキラくんの礼には及ばないさ。ただ片瀬には小言を言っておいてくれ。本当は学校との対応は、チームのリーダーである片瀬の仕事なんだからな」


 小畑さんの愚痴に、僕は「伝えておきます」と返した。もっとも、軽く伝える程度で、小畑さんの言葉をそのまま教えるつもりはないけど。


「あと、綾乃の家はどうでした? 何かありました?」


 僕は小畑さんに尋ねる。綾乃の本当の家の住所は、車の中で聞いて小畑さんにメッセージで伝えてあった。


「いや今のところは特に何も、だな。ただ表札は駒崎になっていたし、オフレコだが溜まってる郵便物でも名義を確認した。どうやら本当に住んでいたらしい。まぁダメ元で、二十四時間監視はしておくよ。関係者が来るかもだしな」


 小畑さんから「本当に住んでたらしい」と聞いて、ホッとする。これでこの住所も偽物だったら、綾乃のことが信じられなくなるところだった。どうやら、もう僕たちに本当のことを教えてくれるようになったらしい。


「まぁそんなワケで、諸々の後処理と今後の方向性決めについてはこっちでやっておく。アキラくんは駒崎のことを頼む。今後は重要な証人になるんだ、駒崎には元気になってもらわないとな」


「わかりました。こちらのことは任せてください」


「それじゃ、俺も忙しいからそろそろ切るぜ。……アキラくんも、この機会にゆっくり休んでおけよ」


 ありがとうございます、とお礼を言ってから電話を切る。そのまま右手でスマホをもてあそびながら、綾乃の今後について色々と思いを馳せた。できれば綾乃のことを、普通の学校生活に戻してあげたい。そのために、何ができるのか。


 少しして、二人がお風呂場から出てくる。綾乃は眠いのか、少し目がとろんとしていた。


 そのまま片瀬さんが寝室に連れて行って、ベッドに寝かせる。まるで胎児のように身体を丸めて横になった綾乃は、数分後には静かにすぅすぅと寝息を立てていた。


「綾乃ちゃん、疲れてたみたいだね。無理もないっか。三週間近く、休まるときがなかったんだから」


 片瀬さんは寝室から出てくると、静かに襖を閉じた。


「ですね。今日はゆっくり、休ませてあげましょう」


 そう言って、僕は座りながら大きく伸びをした。僕自身、今日はかなり疲れている。身体よりも心が、だ。小畑さんに言われたように、この機会にゆっくり休んだ方が良さそうだ。


 片瀬さんも僕と同じなのか、両腕を背中の後ろで伸ばしながらストレッチをしていた。そして冷蔵庫に向かうと、中から缶の飲み物を二つ取り出した。片方はチューハイで、もう片方はコーラだった。


「えへへ、お酒買っちゃった。最近呑んでなかったから、今日ぐらい呑んでもいいよねぇ?」


 いたずらっ子っぽく舌を出しながら、片瀬さんがリビングに戻ってくる。そして僕の隣に腰を下ろすと、コーラの缶を手渡してくれた。お礼を言って、プルタブを開ける。プシュッという炭酸の音とともに、コーラの匂いが漂う。


「それじゃ、乾杯しよっか」


 片瀬さんがチューハイの缶を僕に向ける。僕は「乾杯」と言いながら、缶の口同士をぶつけた。そしてコーラの入った缶を、口元で一気に傾ける。コーラの程よい炭酸が、気持ちよく喉を通り過ぎた。


「色々あったけどさ。これで丸く収まりそうでよかったね」


 チューハイの缶を両手で持ちながら、片瀬さんがしみじみと、感慨にふけるように言った。


「ホントですね。もちろん、まだ問題は山積みですけど」


「そうだね。でもここまでやって来たわたしたちなんだから、きっとこれからも上手くやれるよ。……やれるよね?」


 片瀬さんの自分に言い聞かせるかのような言葉に、僕は力強く頷いた。綾乃のことも、デモニッシュのことも。きっと僕たちなら、うまく解決できると確信していた。


「ふふっ、そうだよね」


 僕の反応に満足したのか、片瀬さんは嬉しそうにチューハイを口に含んだ。


 それからしばらく、二人とも無言のまま時が流れる。僕のすぐ側に座る片瀬さんは、今にも肩と肩が触れ合いそうだった。そんな距離感だから、片瀬さんの髪のいい匂いまで僕の鼻に届く。ドキドキするのを抑えるのに必死だった。


「……ねぇ、わたしたちが出会ったときのこと、覚えてる?」


 突然、片瀬さんが沈黙を破る。僕はコーラをひと口飲んでから「もちろんですよ」と答えた。


 片瀬さんと初めて出会ったのは、スーパーだった。僕が偶然万引き犯を見つけて店員に報告していたら、それを見ていた片瀬さんが声をかけてくれたのだ。そしてS.G.Gのことを教えてくれて、興味があった僕はS.G.Gに加入した。


「あれから半年以上経ってさ、最近思うことがあるんだ。人って本当に、些細なことで大切な人を失ったり、大切な人ができたりするんだなぁ~って」


 片瀬さんの言葉を聞きながら、その言葉の意味を探る。失ったのは、きっと琴乃さんのことだろう。小畑さんも入っているかもしれない。そして、新しくできた大切な人は――。


 そんなことを考えながら、片瀬さんの顔を見る。片瀬さんは赤い目を潤ませたまま、僕のことを見ていた。


「わたし、あの日にあのスーパーに寄ったのは、本当に偶然なんだよね。仕事とか関係なくって、ただ買い損ねたものを買いに行っただけ。だから月之下くんとの出会いも、本当に偶然だったんだと思う。あそこで出会ってなかったら、それからもずっと、出会えなかったかも」


 言われて、もし片瀬さんに出会えなかった場合のことを想像してみる。片瀬さんと出会ってなかったら、間違いなく僕はS.G.Gには入っていなかっただろう。そして今もきっと、怠惰な日々を送っていたに違いない。


 片瀬さんと出会えたことで、小畑さんや有城さん、綾乃とサツキにも出会えた。そう考えると、片瀬さんとの出会いは、文字通り僕の人生を変えたのかもしれない。


「……本当に些細なことで変わっちゃう人生だけどさ。――月之下くんだけは、ずっと変わらずに傍にいてね?」


 そう言って、片瀬さんが僕の胸に飛び込んできた。何が起きたのか一瞬理解できず、慌ててコーラを床に置いて片瀬さんを見る。片瀬さんは小さな寝息を立てたまま、僕の胸の中で眠りに落ちていた。手からは空のチューハイの缶がこぼれ落ちている。


「……片瀬さん?」


 呼びかけるも、返事がない。どうやらかなり疲れていたらしい。そういえば片瀬さん、疲れているときはお酒にも弱いって言っていたし。


 仕方がないので、片瀬さんを寝室に連れていくことにする。女性の身体に触れるのはさすがに申し訳ないけど、これは不可抗力だろう。うん。


 ベッドでは綾乃が寝ていたので、慎重に片瀬さんを横に寝かせる。二人とも起きずに寝息を立てていることを確認すると、静かに寝室を出た。


 僕以外誰もいなくなったリビングで、少しの間立ち尽くす。まだ午後九時だし、どうやって時間を潰そうかと考えていたのだ。


 しばらくして、何もすることがないと気づくと、僕は残りのコーラを飲み干してから歯磨きをしに洗面所に向かった。

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