第104話 綾乃の確保(5)
玄関のドアの閉まる音が聞こえてから、小畑さんはソファーに大きくもたれかかった。
「あれぐらいの女の子と話すのは気を遣うなあ。アキラくん、悪いがアイスコーヒーを淹れてくれないか? この状況でホットコーヒーなんか飲んだら、頭が茹であがっちまう」
「あー……すみません。うち、冷凍庫置いてなくって。氷ないんですよ」
「マジか。……仕方ない、それじゃあ少し経ってからコンビニにでも繰り出すか」
それから五分後、片瀬さんたちが離れただろうと判断したタイミングで、二人して外に出た。
コンビニは徒歩数分のところにある。小畑さんの奢りで僕もアイスコーヒーを買ってもらうと、寒空の下で来た道を戻る。
事務所に着くなり、小畑さんはソファーに座ってアイスコーヒーを一気にあおった。そして眉間にシワを寄せながら、大きく唸る。それは疲れを吐き出しているようにも見えた。
「……さて、アキラくんはどう思う? 駒崎の話について」
二人きりになって初めて、小畑さんは綾乃のことを口にした。綾乃を病院に連れて行ったのは、僕とこの話をするためなんだろうな、とうっすら気づいていた。もちろん、小畑さんなりに綾乃を気遣ってたこともあるだろうけど。
「聞いた感じ、嘘は言ってないように思います。……ただ、綾乃からデモニッシュや黒木に迫るのは難しいんじゃないかなぁ、と。もし綾乃が黒木の何かしらの情報を持っていたんだとしたら、ひとりにさせないと思いますし」
僕の意見に、小畑さんは「そこなんだよなぁ」と同意した。
「駒崎を放置したってことは、駒崎から自分の素性がバレることはないってタカを括った証拠だ。きっと以前から、駒崎への情報は制限していたんだろうな」
「振り出しってことですね。デモニッシュの捜索は」
「だな。とはいえアキラくんたちの仲間が無事に見つかったんだ。ここはひとつ喜んでいいと思うぜ。――乾杯だ」
そう言って小畑さんは、もう氷だけになったアイスコーヒーのカップを僕に傾けた。コーヒーで乾杯なんておかしいなと少し笑いながら、僕もカップを傾ける。
「あの……これから、綾乃はどうなるんでしょうか」
小畑さんに質問を投げかける。それは僕がいま一番気になっている悩みだった。やはり警察に捕まるのだろうか。小畑さんは作戦会議の時、罪には問われないとは言っていたけど。
「それはつまり、警察に捕まるのかどうかってことか?」
小畑さんが勿体つけるように確認する。僕は小さく頷いてみせた。小畑さんは頭をガリガリと掻いて、目を細める。
「それはまぁ、今後の展開次第だろう。ただこの間も言ったように、駒崎自身が罪に問われることはないと思うぜ。取り調べを受けて、保護観察処分あたりが妥当じゃないかな」
弁護士の受け売りだけどな、と小畑さんが付け加える。
「……ということは、警察に取り調べを受けることは受けるんですね」
僕の質問に、小畑さんは「そりゃあな」と苦笑いを浮かべる。
「それは避けられないだろうな。事情があるとはいえ、やっていることは紛れもなく犯罪だ。未成年で事情があるから何もお咎めなしです……とは、残念ながらならない」
「……そうですよね、やっぱり」
それを聞いて、少し心が沈む。でも綾乃にとっても、それが良いのかもしれない。しっかりと警察に話して罪を償っていった方が、きっと気持ちも晴れるハズだ。
「まぁそう落ち込むな。命があっただけ良いと思おうや」
「命……ですか」
「そうだ。正直言って、駒崎の境遇はかなり悲惨だ。実の親に死なれ、養親に捨てられて。金もなくて生きていけない。下手したら自殺していてもおかしくない」
自殺。その言葉を聞いて、一気に心臓の鼓動が速くなる。綾乃が失踪した当初は、何回か頭によぎったことでもあった。
「だから命があっただけ儲けもんだよ。これからアイツは何にだってなれるんだからさ」
「……なんだか、随分と優しいですね。綾乃に対して」
「意外だったか? デモニッシュの関係者である駒崎をこんなに気遣うなんて、さ」
小畑さんが笑う。そして遠くを見つめるように目を細めてから、続けた。
「昨日の会議で言ったことは俺の本心だよ。駒崎だって立派な被害者だ。万引きによって人生を狂わされた、な。そういう奴を見たら俺は放っておけないんだよ。それに……多分琴乃だって、俺がこうするのを望んでいるハズなんだ」
琴乃さんの名前が出て、ハッとする。もしかしたら小畑さんは、綾乃に琴乃さんを重ねて見ていたのかもしれない。どちらもデモニッシュの被害者なのだから。
「……本当は琴乃のときも、俺はこうしてやるべきだったんだ。駒崎はいいよな。俺やアキラくんがいるんだから」
そう言って小畑さんは、僕に優しく笑いかけた。小畑さんが綾乃に優しいのは、デモニッシュの被害に遭っているのに救えなかった琴乃さんへの罪滅ぼしなのかもしれない、とその時に思った。