第103話 綾乃の確保(4)
綾乃への事情聴取はスパークルの事務所で行うことになった。綾乃を捕まえられた以上、ドラッグストアに留まる理由はないからだ。
ドラッグストアの店長は、事情について深く追究してこなかった。ガーディアンの小畑さんもやってきたし「聞いたらややこしいことに巻き込まれるな」と思われたのかもしれない。好奇心旺盛な人じゃなくって助かった。
片瀬さんの車に乗り、事務所に向かう。小畑さんも車で来ていたから、片瀬さんの車には僕と綾乃だけが乗った。
走行中、何度か隣に座る綾乃の様子をチラリと見た。もう既に涙は枯れているけど、暗い表情をしている。今の綾乃がどんな気持ちなのか、どんなことを考えているのか、僕には何も分からなかった。
事務所に着くと、お湯を沸かして棚から紅茶を探した。紅茶にはリラックス効果があると聞いたことがある。今の綾乃に飲ませたい、と思ったからだ。
棚から、加入当初に買って結局飲まなくなったルイボスティーのティーバッグが出てきたので、それを淹れる。僕たち三人分の飲み物は、いつも通りホットコーヒーにした。
飲み物を持ってみんなのところに戻る。綾乃は片瀬さんと隣り合わせで座っていて、正面には小畑さんが座っていた。成り行き場、僕は小畑さんの隣に腰を下ろして飲み物を配った。
しばらくの間、事務所内には沈黙が流れる。小畑さんが口火を開いたのは、コーヒーを一口飲んでからだった。
「さて、早速で申し訳ないが……詳しく話してもらいたい。キミは何者なのか、そしてデモニッシュとはなんなのか」
小畑さんの言葉に、綾乃が静かに頷く。もう既に覚悟は決まっているようだ。さっきよりも表情が落ち着いて見える。
「その……わたしも混乱していて、うまく説明できるかわかりません。それでも、いいでしょうか」
綾乃はたどたどしく小畑さんに聞く。小畑さんは「もちろん」と笑って白い歯を見せた。
それから、綾乃は自身の過去のことを話し始めた。その内容は、以前桐生さんから聞いた内容とほぼ相違なかった。
実の両親が交通事故で死亡した後に黒木夫妻に引き取られる。しかし黒木がS.G.Gを追放されたのをキッカケに夫妻は離婚。綾乃の親権は黒木に渡り、共に生活をすることになる。
「わたしがお父さんから万引きのやり方を教わったのは、五歳とか六歳の時だったと思います。ほとんど記憶はないんですけど、小学校に行く前ぐらいでした」
綾乃の話を聞きながら、手元にあるノートパソコンに内容を打ち込んでいく。今回の事情聴取で議事録を任されていた。
「なるほど。万引きの教育は、それからずっと続いたのかな?」
小畑さんの質問に、綾乃はゆっくりと首を横に振る。
「いえ。教わったのは、中学二年生の春までです。それからは受験勉強もあったので……」
ノートパソコンに『黒木からの万引きの教育は中二の春まで』と打ち込んだ後、キーボードの端を人差し指でトントンッと叩く。腑に落ちないことがあった。
綾乃は筒瀬女子学院に通っている。学校には電話して在籍確認は済んでいるから、これは本当だろう。筒瀬女子学院はお嬢様学校だから、学費もそれなりに高いハズ。それなのになぜ、黒木は綾乃をそこに入学させたのか。
何より受験勉強に専念させているのも不思議だ。万引きの教育をして、自分の子どもを道具のように扱っているにしては、随分と子ども想いのように見える。
「そうかそうか。中学二年生の春まで、ね」
小畑さんは深く頷くと、それから「デモニッシュのことについてだけど」と続けた。
「デモニッシュはS.G.Gが付けた俗称だ。だから俺たちの言っているデモニッシュと、キミの所属しているチームが実は異なっている可能性があるんだ。それについてはどうかな?」
その質問に、綾乃は少し考え込んでから答える。
「それは……多分合っていると思います。最初は組織名なんてなかったんですけど、お父さんは途中から自分たちのことをデモニッシュだと名乗るようになったので」
「なるほど。まぁこれについては犯行場所の照合をすれば済むか。……キミはデモニッシュがどこで盗みを働いたか知っているのかな? それとも、キミ自身も盗みに参加してた?」
小畑さんの問いかけに、綾乃は首を大きく振った。
「わたし、デモニッシュとして盗みをしたことはないんです。信じて……もらえないかもしれないですけど。ただどこで万引きをしたかは、大体知ってます。わたしが聞いたら、お父さんが教えてくれたことがあるので」
「そうなんだ。……聞いたら教えてくれたって言ってたけど、どうしてお父さんにそのことを聞いたのかな?」
綾乃は返答に窮したように口を閉ざした。やがてスカートの裾をギュッと掴むと、ゆっくりと答え始める。
「……確認したかったんです。そのお店が潰れてないかなって。デモニッシュが現れたお店はその後潰れることが多いって、噂で聞いたことがあったので……」
その綾乃の答えに、小畑さんは神妙な面持ちで頷く。頷いたのは答えに納得したからなのか、琴乃さんのことを思い出したからなのか。真意はわからない。
でも僕は今の綾乃の答えを聞いて、正直ホッとしていた。綾乃が「デモニッシュとして万引きをしたことがない」と言ったとき、僕は即座に「それはおかしい」と感じていた。
なぜなら小畑さんが綾乃に目をつけたのは『デモニッシュの出現店舗の監視カメラに映っていた』のが原因だ。もし万引きをしていないのであれば、デモニッシュの出現店舗の監視カメラに映っているハズがない。
しかし「お店が潰れてないかを確認するため」に店を訪れていたのであれば、矛盾はない。
もっとも綾乃が嘘をついてる可能性は完全には否定できないけど、今の時点では綾乃を疑う必要性もなかった。
それから小畑さんは綾乃に質問を続け、色々なことを解明していく。
黒木がデモニッシュの幹部であるかは分からないが、それなりに高い地位にいるであろうこと。小畑さんに誤認逮捕させるように仕組んだのは、黒木の指示だったこと。そしてその黒木が十二月に入った頃から連絡が付かなくなり、綾乃が捜索していたこと。そしてその最中、事務所で僕が小畑さんと話している電話を聞き、思わず逃げてしまったこと。
ひと通り話を聞き終えた小畑さんは、頭を掻きながら小さく唸っていた。その気持ちは僕にも分かる。初耳の情報が多すぎて、どこから深ぼっていけばいいのか分からない。
しばらく沈黙したままの小畑さんを横目に、僕は一番気になったことを聞いてみた。
「黒木……お父さんを探してたってことだけど、それまでは一緒に住んでたってことなの?」
僕の質問に、綾乃はコクリッと頷く。
「……うん。住んでたっていっても、月に何回か帰ってくるって感じだったけど」
「ってことは、お父さんは外で暮らすことが多かったんだ。仲間の家とかに行ってたのかな?」
「それは……分からないかも。多分何人か組織の人はいると思うんだけど、わたしは会ったことがないから」
それまで僕と綾乃の会話を聞いていた小畑さんが、右手を挙げながら「そのことなんだが」と言った。
「仲間に会ったことがないようだが、キミは組織の……デモニッシュの全容を、どれだけ把握しているのかな」
その質問に、綾乃は頬に手を当てて俯く。そして瞼を閉じてから、少しの間考え込んだ。
「……ほとんど、何も知らないと思います。わたしが知っているのは、お父さんがデモニッシュの関係者であることだけです。もともとそんなに、家で会話はしなかったので……」
その答えに、小畑さんはまたもや小さく唸る。僕たちには「綾乃を捕まえれば、デモニッシュに迫れるのでは」という期待があった。しかしどうやら期待はずれに終わりそうだ。
「キミはこの土地に留まったのはお父さんを探していたからと言っていたけど、なにか根拠があったのかな?」
小畑さんの質問に、綾乃は「はい」と答える。
「ここにはもともと、お母さんと住んでいたときの家がありました。なのでそこに行けば、何か手掛かりがあるかもしれないって思って……」
なるほど、と小畑さんが頷く。
「根拠はそれだけなのかな? 他に何か、家にこの土地の痕跡が残ってたとか、そういうのは?」
その質問に綾乃は小さく首を横に振った。どうやら綾乃としても、黒木の居場所を掴んでいるワケではないらしい。
それならばなぜ、綾乃はこの土地に留まり続けたのだろうか。ずっと同じ場所にいたら見つかるリスクが高くなるのだから、移動しても良さそうなのに。
そのことを質問しようとしたとき、綾乃がしきりにわき腹を掻いているのが見えた。その様子を見てハッとする。
「綾乃、お腹大丈夫? 皮膚炎みたいだけど……」
僕の質問に、綾乃は困ったように俯いた。その様子からして、どうやらあんまり良くないらしい。
「ん? どこか身体が悪いのか?」
小畑さんが綾乃に問いかける。俯いたまま答えない綾乃を見かねて、片瀬さんが横から「皮膚炎があって、肌が真っ赤になってるの」と助け舟を出した。
「それは良くないな。今すぐ病院に行った方がいい。……えーっと、保険証は持ってるのかな?」
小畑さんが優しく語りかける。綾乃はゆっくりと首を左右に振った。
「そうか。まぁ、これで診察を受けてくるといい。たしか近場に皮膚科があったハズだ」
そう言うと、小畑さんはポケットの財布から一万円札を取り出した。そしてそれをそのまま片瀬さんに差し向ける。
「悪いが付き添ってやってくれ。足りない分は、後から俺が精算する」
「えっ、でも……」
お金を断ろうとする片瀬さんに、小畑さんは無理やり一万円札を握らせた。最初は困惑していた片瀬さんも、ややあって力強く頷く。
「……わかった。ありがとうね。じゃあ綾乃ちゃん、先に病院行こっか」
片瀬さんが綾乃の肩を優しくポンポンと叩く。二人はゆっくりとした足取りで、事務所を出て行った。