星空の大そうじ
ある所にホシノという少年がおりました。
ホシノは星をながめることが大好きで、日もくれて星月だけがかがやく夜になりますと、天体ぼうえんきょうを持ちだして、夜のやみの中できらきらするほう石のような光たちのうつくしさに、こころ楽しくすることをひびの楽しみにしている少年でした。
ですが、ここ一、二週間ほど、ホシノのそんな楽しみはずっとおあずけになっていました。
なぜならば、ここのところ、ずっと空がくもっていたからです。空がくもっていたならば、ぼうえんきょうがあったとしても、ぶ厚い雲にさえぎられて、星をながめることはできません。
ですから、毎日の楽しみがなくなったホシノは、くもった空と同じようにどんよりとしたくらい気持ちで過ごしていたのです。
ある日、いつものようにぼうえんきょうを持ち出してはみたものの、今日も変わらないくもり空にため息をついていたホシノの元に一人の男がやって来ました。
男は二本のつのが天の川の星ぼしのようにきらめくりっぱなお牛の背に乗って、天からおりて来ました。そして、アマノハラノホシオビノミコトと名乗ります。それから、長ったらしい名前なのでアマ様と呼べと、なんだかそんだいにふんぞりかえります。
とてもきみょうな名前とすがたで分かるように、アマ様は神様でありました。天じょうの世界にいるたくさんの神様の中のお一人です。
そんな神様が、自分に何の用だろうと思っていたホシノにアマ様はこう言います。
お前、お空のそうじ夫をやってみないかいと言うのです。
それから、アマ様はホシノにじじょうを話し出します。
じつのところ、ここ最近ずっとお空がくもっているのはアマ様がげんいんなのでした。
アマ様はだらしがないところがある神様で、とくにそうじをするのが毛虫の頭よりも大っ嫌いな困ったしょう分の神様でした。だから、星空のあちらこちらをよごしっぱなしのちらかしっぱなし、足のふみ場すらなくなっても知らん顔なありさまです。
ですが、そんなことをしていてはいつか困ったことになるのは、人も神様も同じです。
ある時、自分がちらかした星空のゴミにけつまずいたアマ様は、星空に神様のおしごとに使うインクびんをこぼしてしまったのです。インクびんからながれ出たインクは白っぽい星間ガスにまざって、どんよりとした灰色に変わりながら、お空にどくどくと広がってこびりついてしまいました。
そう、それこそがここのところずっと続いていたくもり空のげんいんだったのです。
こうなってしまっては、さすがのそうじぎらいのアマ様もまずいと思ったようで、いやいやではありますがそうじをしようと思いたったのでした。
ですが、困ったことがありました。あんまりにもそこらじゅうをよごしてゴミだらけにしていたので、どこから手をつければいいのか分からなかったのです。そうじってきれいにしようとすればきりがないものですから、いやいやでしょうがなくやるアマ様としては、よごれているところだけきれいにしたほうが楽だと考えるのはしぜんなことでした。ですが、そのそうじしなければならないところが、天じょうにいるアマ様には、目が近くって分からないのです。だって、目につくところはどこだって、どこかしらよごれてゴミが落ちているありさまでしたから。
だから、遠くから星空をながめて、アマ様のおそうじ隊にとくべつにそうじしなければならない場所を教えてくれるだれかがいればいいなとアマ様は考えました。そして、ふと、アマ様の星間を見通す眼に、どうせ何も見えもしないだろう星空を、いっしょうけんめいになんども見上げてから、やがてためいきをつく少年の姿がうつったのです。
それがホシノの元にアマ様がおりてきた理由なのでした。
おい、お前。ひまそうだから手つだわせてやるぞ、空がきれいだとうれしいだろう?、とアマ様は自分の失敗がげんいんなことをたなに上げて、そんだいでおうへいにホシノに言います。
じつにふてぶてしいたい度ではありますが、神様ってそういうものです。天じょうの大きな世界に生きていると、気持ちまで大きくなってしまいがちになるのです。だから、地上の小さな世界に生きている人間に気をつかうことなんてありません。
どうした、やるのか?やらんのか?、と他人にものをたのむくせに、じつにふんぞりかえっておうへいにホシノに問いかけるアマ様のそばに、アマ様と同じ天じょうからきらきらときらめく星たちがおりてきます。そして、その小さな星たちはふしぎな生きものの形に変わります。アマ様が指ぶえをならしますと、ふしぎな生きものたちはくんれんされた兵隊のように隊列を組んだのでした。
その生きものたちは、犬のような四本脚ではありますが、つのが生えていたり、つばさのようなものがあったり、めだまが一つだったりします。先っぽにへびのような頭の生えたしっぽを生やしているものもいて、一目で地上の生きものとはちがうものだとわかります。じつは、星空の星のいくつかは、アマ様につかえるこのような天の狗たちなのです。
イヌたちのいくらかは首からふくろを下げて、それでなかまたちが前足やしっぽを器用に使ってひろったゴミを集められるようになっていました。また、イヌたちのいくらかはたいれつを組んで犬ぞりのようなそりを引いていました。そりの底面は金たわしのようになっていて、がんこなよごれをこれでこそぎおとします。そして、イヌたちはみんな体にとっても長いほうきをくくりつけていました。空をかけながらついでによごれをはきとるしくみです。
つまり、このイヌたちはアマ様がそしきした星空のお掃除隊なのでした。アマ様は神様のおしごとをてつだうためのイヌたちを大そうじにかりだしていたのです。イヌたちはどこか手持ちぶさたな様子で、犬のようにしたをだらりと垂らしてはあはあと息をしていたり、後ろ足でくびすじをかいたりしています。そして、アマ様をふくめたみんなしてホシノをじっと見つめるのです。まるで、なぜ、てつだわないの?、とでも言うように。
ホシノはそんなアマ様たちにむっとしましたが、空がきれいだとうれしいのはたしかにそのとおりでした。
だから、ホシノはじょうけん付きでアマ様の手伝いをすると言うことにしました。
神様にもの言いつけるとは小僧は怖いもの知らずよのだとか、人間のくせに神様を手つだえるだけでも感謝するべきだとか、アマ様はやっぱりえらそうにふんぞりかえってぐちぐちと言っていましたが、やがてアマ様はホシノにじょうけんは何かとたずねてきます。
ホシノはお牛に乗って飛んでいるアマ様には聞き取れないような小さな声でじょうけんをぶつぶつとつぶやきます。
そんなホシノにアマ様はけげんな顔をしながらも、大きな声で言えと言いながら、空とぶお牛から地上におりて、ホシノの側まで近づきます。
そのしゅんかんに、ホシノは耳をそばだてようとしたアマ様の首根っこをおさえて、アマ様のおしりをぴしりと打ったのでした。
ぴしり、ばしり、ぐぁがら。
おしりを打たれたアマ様は、いたい、やめて、となさけなく言います。
それは、ホシノが悪いことをした時にお母さんにやられたことでした。悪いことを悪いことだと思っていない人に、それが悪いことだと実かんさせるためのぎしきです。
がしゃん、どしん、めきめき。
アマ様はおどろいてにげだそうとしますが、ホシノはにがしません。
ぐきり、どしり、わらわら。
ホシノとアマ様の大立ち回りを見ていたイヌたちはおどろいてうおうさおうするばかりです。
べしん、ばしん、ぐりぐり。
ずっとくもり空が続いて困っている人たちはきっと世界中にたくさんいます。そんな人たちがみんなおこってアマ様を打ったなら、アマ様はきっとひどい目にあってしまいます。だから、そんなことにならないように、おこっているみんなのかわりにほどほどですましてしまう、これはそんなぎしきなのです。
がじり、ぐきり、ふらふら。
だらしがないのはいけないことだ。ましてや、それで困ったことが起きたならはんせいするのはとうぜんです。それは、子どもだって、大人だって、ましてや神様だって、分けへだてなんかありません。子どもならしかられるのに神様なら知らん顔、そんな道理はありません。そんなものはひきょうな生き方なのです。
がちん、どがん、ぐんがり。
どろろん。
なんだ、大人のくせにえらく弱っちいなあと思ったホシノが、つかまえたアマ様を見るとアマ様はホシノよりも少し小さい子どものすがたに変わっていました。そして、痛いよう、こわいようとぴぃぴぃ泣くのです。アマ様は大きな大人のすがたにばけていた小さな子どもの神様だったのです。
そうじをだれかにてつだってもらおうと思ったアマ様だったのですが、いざだれかに声をかけようとした時にこまってしまいました。なぜならば、アマ様が神様だったからです。だれかにおがんでまつってもらわなければ神様も商売あがったりなのです。神様としての立場を考えながらだれかとかかわっていくには、アマ様はみじゅくすぎる神様だったのです。ひくつすぎるのもいけないし、こわい言葉でおどすのもいけないけれど、じゃあどうすればいいのか分からない。だから、アマ様が考えたのは大人のふりをすることでした。そして、アマ様が思いえがく大人のように、おうへいにそんだいに、まことにこうごうしくふるまえば、みんな神様の言う事だからとなんでも聞いてくれるだろうと考えたのでした。
でも、ばけの皮ってはがれるものです。
ひどいたい度でホシノをおこらせてしまったアマ様は、けっきょくほんらいの自分のすがたでホシノにおねがいをする事になったのでした。
泣きべそをかきながら語られた、そんなアマ様の気持ちを聞いていたホシノは言いました。
「世の中にはとてもたくさんの人がいるものだけれど、その中で今まで困ったり、失敗したり、うまくいかないことが一度もない人なんてきっといないよ。みんなぱっと見れば自分でなんでもできるような顔をしてはいるけれど、本当はだれしもだれかに助けられて、だれしもだれかを助けてそんなふうに生きているものなのさ。だから、他人にたよるということははずかしいことでもかっこ悪いことでもないんだよ。だって、みんなおたがいさまだもの。自分のことをたなにあげて他人の弱さを悪く言うのははくじょうものかせけん知らずのどっちかさ。だからね、困ったことがあった時こそ、素直な気持ちになるべきなんだ。素直な気持ちで助けあうべきなんだ」
それから、おしりを打たれてなみだ目になったアマ様がホシノと約束したことは、こまめにそうじをすることでした。こまめにそうじをしていたら、そもそもこんなことにはならないのです。だから、この約束はもうこんなことは起きないようにするという、ホシノとアマ様の間での約束でもありました。
こうして、なんだかんだとありましたが、星空のおそうじ隊がけっせいされたのです。
これで、よごれたところをしめすんじゃ、犬ぞりにのってたづなをにぎったアマ様はそんな風にホシノに言って、ふしぎな指揮棒をホシノに手わたします。ホシノがタクトをかかげると、どんよりとぶ厚い夜のくもり空に光の点が灯ります。その光を目じるしにして、アマ様とイヌたちが空をかけると、よごれた空がきれいになるというだんどりです。
ホシノがオーケストラを前にしたしきしゃのように指揮棒をかまえると、先ほどの大そうどうを見ていたイヌたちは、せすじをぴんとのばしてホシノの前にせいれつします。動物ってこういう力関係にほんとうに正直なものです。
さあ、行こう!、そんなアマ様の声を合図にして、アマ様とイヌたちはくもり空をかける光になります。そのすがたはしっぽの長い大きなほうき星です。くもり空をきりさいて走る光りかがやくほうき星です。
右に、左に、上に、下に。ホシノはタクトをふるいます。すると、ほうき星もまたそれにしたがって空をかけて空に光のすじを残します。こうして、少しずつ、少しずつ、空にしみついたよごれとゴミをきれいにしていくのです。
でも、空はあんまりにも大きくって、一すじのほうき星ではかんたんにははきとれません。こんきのいる作業です。一ばんでは終わらなくって、二ばんも、三ばんも、ホシノは夜空に目をこらしながらよごれをさがしてタクトをふるいます。休けいをはさんでも、ホシノがタクトをかかげると、ほうき星たちはきびきびと動きだします。
なんど、星が空をかけたでしょうか。それがホシノにもすっかり分からなくなったころ、ずっと空をおおっていたくもり雲は空からきえていて、夜の空は星と月がきらめくうつくしいすがたを取りもどしていました。
そして、ホシノの手の中にあったタクトは、アマ様からのおしまいの合図をしめすかのように光をはなつことはなくなっていました。
こうして、ホシノたちの星空の大そうじはおわったのでした。
それからしばらくして、ホシノはいつものように天体ぼうえんきょうで夜の星空をのぞいています。星空では星も月もきらきらとかがやいてとてもきれいです。
アマ様からもらったタクトは役目をおえて光を失いましたが、ホシノがタクトをかかげると、ホシノのことをおぼえているイヌたちが、気まぐれに空を流れてくれます。
ホシノはきれいな星空を見るたびに、ホシノとの約束をたがえずにいてくれるアマ様とイヌたちのことを思い出してうれしい気持ちになるのでした。