英雄の子孫
「若っ!お急ぎを!!ダーカス様が至急お戻りになるようにと!」
「父上が…一体何の用件であろうか…」
いつものように狩りを終えたあとの獲物を肴に、酒場で1杯を嗜んでいたアーノ=モルケンは急ぐでもなく思案を巡らせた。
「若様、お帰りですか?」
酒場の看板娘リリアが声をかける
「ノックス、お館様のお呼びとはいえ、まだ狩の成果もテーブルに並んだばかり、リリア孃もこう言っておることであるし、少しお待ちいただくくらい良いのではないかな?」
「ブルーノ様、あたしのせいにするのはズルいですわ」
ブルーノと呼ばれた男は長い金髪に顎髭を蓄えた瀟洒な中年騎士といった風情である。
リリアに笑いかけながら、ブルーノは続けた。
「ノックスも急いで来て、喉が乾いておるだろう、どうだ?1杯…」
「茶化すなブルーノ!我らモルケン四天王も全員招集するように、とのことだ!」
恰幅の良い黒髪、黒髭の騎士、ブルーノはアーノとノックスを急き立てた。
「この平和なモルケン子爵領に、四天王まで集める事態があるとも思えんが…」
「父上のことだ、なにか起きたのかもしれん、リリア勘定は後ほど部下に持ってこさせる!」
そういうとブルーノに引けを取らぬ美しい金髪の若者は貴公子と呼ぶにふさわしい立ち振舞で店をあとにした。
ここ、モルケン子爵領はライオネル王国に属し、隣国バーミリオン帝国との国境に位置する片田舎で、かつて魔王を討伐した英雄ジーク=フリードの終焉の地ともいわれる領都ホープジークには、その子孫と伝わるモルケン家が代々領主として居を構えている。
当代の領主ダーカス=モルケンは別名二刀双竜のダーカスと呼ばれた歴戦のツワモノで、その刀術は英雄ジークがその子孫に残したもの、と言われている。
「はぁっ!!」
そのダーカス自慢の金刀と銀刀の二刀が空を切った
そこに拳大の火球が5つ飛び込んでくる
「ちっ!ぐわっ!」
3つまでを刀で切り払ったが残り2つが左肩と右脇腹に当たり爆ぜた。
爆風で吹き飛ぶダーカスにさらなる火球が投げられる
「舞え、氷の小刀っ!」
ダーカスの横から白い服の女性が火球に向かい小刀を振るうと、雪の結晶が舞い散りながら火球はかき消えた。
「さすがは音に聞こえた銀雪のノエル=ハーティス!」
笑いながら真紅のドレスを纏った美女は自身の周囲に火球を舞わせながら、ゆっくりとノエルと呼ばれた女性に相対した。
「今はただのモルケン子爵夫人よ、炎獄のカチュア。帝国でも高位な魔族であるあなたが、一人で王国領にくるなんて、どういう風の吹き回しかしら…」
左手は負傷し、右手に氷の小刀を持つノエル=モルケンは、かつて銀雪のノエルと呼ばれた高名な冒険者であった。
「ははははっ!私の力は理解できたでしょう?」
そういうと炎獄のカチュアは人差し指をノエルに向ける。
その指先に赤い閃光が燦めくと、レーザーのような炎がノイエに向かう。辛うじて小刀で受けたノエルだったがその威力に弾かれ吹き飛ばされた、が、そんなノエルを先程吹き飛ばされていたダーカスが抱きとめた。
「大丈夫か、ノエル…」
「っ…あまり大丈夫とは言えない状況ですけどね、お互い…」
「違いない。これほどの危機は白麗山のアイスドラゴンと対峙した時以来だな…」
そういうとダーカスはノエルの右手にある小刀に目を向ける。それはかつてダーカスがまだ家督を継いでおらず、ノエルとともに冒険者だったころ、ノエルの愛刀である氷の小刀を手に入れた際の守護獣との戦いに想いを馳せたからである。
「そろそろ、私のお願い、聞いてもらえるかしら?」
両手にさらに巨大な炎を纏ったカチュアが二人に迫る。
魔力で生まれた炎がダーカスとノエルの周囲を囲むように舞い上がる。
「英雄ジークが使ったという聖剣ベレスがどこにあるのか、教えてほしいのよ」
狩りから戻ってきたモルケン子爵の御曹子、アーノ=モルケンと二人の騎士、ブルーノとノックスは目を疑った。
この地の支配者としての象徴であるモルケン子爵邸のそこかしこから炎が上がり、門は壊され、その脇には門を守護する衛兵たちと、ブルーノ、ノックスと肩を並べるモルケン四天王であるバック=ゾーゲンとレイア=コークスの焼死体が転がっていたからである。
「お館様たちに限って、まさかということはあるまいが…しかし、これはどういうことなのだ?ノックス」
「わしが館をでて若を迎えに出たときには、このようなことには…と、とにかく、お館様たちに合流しよう!」
3人は頷きあい、館の奥に向かおうとすると、その視線の先に大きな炎が立ち上り、爆風が3人に襲いかかった。
「父上、母上っ!」
ブルーノはノックスと顔を見合わせると互いに頷き、愛用の巨槍グングニールを構えて、アーノにこう告げた。
「若、今のは魔法の類のようです。用心して向かいましょう!」
形勢は悪くなる一方だ。
「端から形勢と呼べるような状況ではないかもしれんがな…」
ダーカスはその通り名である二刀双竜とは異なり、両手で一本の刀を構えて呟いた。
横に立つ妻、ノエル=モルケン共々肩で息をし、満身創痍である。辺りを覆う炎と熱気は吹き出る汗をすぐに蒸発させる。
まるで命が零れ落ちているようだ。
「私が聖剣を手にすれば、三絶はおろか、魔王様すら凌駕できると思わない?」
ゆらりと2つに分かたれた炎の壁から、真紅のドレスを纏ったカチュアがゆったりと二人に歩み寄る。
三絶とはバーミリオン帝国において最強と目される実力者の異名である。
曰く、その剣で斬れぬもの絶えし者、剣絶クリフ=ロード。
曰く、その力で破壊できぬもの絶えし者、拳絶ゴウセル=ブラッド。
曰く、その魔術で滅せぬもの絶えし者、魔絶アイリス=バーミリオン。
この3名を指して三絶と呼び、魔王が封じられた帝国において、最強の3名と噂されている。
「私の方が強いと思うの。そもそも私を差し置いて魔絶と呼ばれるヤツがいるなんて許せないじゃない?で、考えたのよ。こんなに強い私が聖剣を手にすればどうなっちゃうのかな、ってね」
そういうとカチュアは右手から炎球を弾き出した。
「あなたっ!」
ダーカスはノエルを庇い、背中に火球を受けた。
ドガンッ!!とダーカスの背で火球が爆ぜる。
「父上!母上!」
そこにアーノ=モルケンが現れた。
流し目で一瞥するカチュア。そこに戦斧と巨大な槍が凄まじい勢いでカチュアに振るわれた。
ブルーノの槍ととノックスの斧である。
カチュアは足元に炎を爆発させ上空に飛ぶことで、槍と斧を難なく避けた。
「モルケン四天王、巨槍貫鉄のブルーノ推参!」
「同じく、モルケン四天王、竜巻戦斧のノックス参る!」
魔力で中空をひらひらと舞い降りながら、カチュアは忌々しげに、声高に名乗りを上げた二人を見下ろした。
「すぐに黒炭にしてあげるわ!」
「父上!母上!」
ブルーノとノックスがカチュアと対峙している隙に、アーノはダーカスとノエルにの元に駆け寄った。
「アーノ…お前は母さんと母さんの実家に逃げなさい。」
ノエルの肩に左手をかけて、辛うじて立つダーカスはアーノにそう告げると、妻の方に向き直り続けた。
「ノエル、どうやらわしはもうダメだ…2人は生き延び、いずれ仇を討ってくれ。」
「あなた…」
ノエルはアーノに自身が常に身に付けている銀の腕輪を渡すと、
「アーノ、あなたももう17歳。1人前の男子です。1人でお祖父様のもとに行きなさい。この腕輪を見せれば、お祖父様の部下たちもあなたが私の息子だと分かるでしょう。」
と言い、次いでダーカスを見つめる。
「ダーカス、アイスドラゴンを倒したときの約束を忘れたとは言わせないわ」
かつてそう呼んでいたように、ノエルは名前でダーカスに語りかけた。
「ノエル…」
「父上っ!母上っ!」
「アーノ、この刀を持っていけ。」
「父上?」
「よく聞け、アーノ。モルケン家の墓には勇者ジークが張った結界があり、この金刀を持たねば近づけぬのは知っているな。そこに聖剣の秘密が隠されておる。いずれ、勇者に相応しい者を見つけたら、その者に聖剣を託せ!」
「!?父上!勇者ジークの末裔である我ら、二刀双竜と呼ばれた父上以上に相応しい者などいないのでは?」
「モルケン家の者が手にしてはならんのだ。手にすれば災いがその身に降りかかるという…良いか、必ず勇者たる者に預け、いずれ、炎獄のカチュアを討ち取ってもらうのだ!」
「ち、父上っ!」
「行け!アーノ!生きて我らが無念を晴らすのだ!」
「母上っ!」
「行きなさい!アーノ。」
「……っ!」
涙で曇る2人を、一瞥して、アーノは、託された刀と、腕輪を持って屋敷から去っていった。
「行ったか…」
「ええ。では、私達も行きましょう!」
「そうだな。生きるも死ぬも、常に共に!」
「覚悟しなさい、アイスドラゴン!…でしたわね」
「はははは」
「ふふふふ」
ダーカスは落ちていた銀刀を拾うと、ノエルと共に、ブルーノとノックスが戦う魔女の元へと向かっていった。
「炎の矢!!」
「回転戦斧盾!」
ノックスが回転させる戦斧に炎の矢が突き刺さり爆ぜた。
「ぐおっ!」
ノックスの戦斧シールド効果が付与されており、回転させ敵の魔法を防ぐことがノックスの得意技である。
「が、これでこの衝撃か…」
炎の矢を受けた斧を持つ手からは血がにじみ、左肩には骨が軋む嫌な音が鳴った。
「唸れ!グングニール!!」
カチュアの炎の壁を貫いてブルーノが巨大な槍をカチュアに放つ。
「ちっ、やり難い!」
炎の渦を作り槍の軌道を変えて躱すカチュア。
そこにノックスの斧が下から打ち上げられたかのように振るわれる。
ガッ!!
「殺った!!」
続いて一度は躱されたブルーノの槍が再び突き出され、カチュアを貫いた。
「気を抜くな、二人共!!」
そこに駆けつけたダーカスが叫ぶ。
そう、切り裂いた斧はカチュアに触れた部分から溶けてなくなっている。貫いたブルーノの槍も同様に溶けて消え去っていた。
「炎獄鎧って言うのよ。ちょっと魔力を使うから、本当は避けるだけで済ましたかったのよね。」
そういうと炎を纏った手刀がブルーノとノックスの首に振り下ろされた。守りの姿勢を取る2人だが、その武器は溶けてなく、首は燃え落ちた。
「貴様っ!」
共に過ごしてきた部下を目の前で惨殺され、怒りに燃えるダーカスは、痛みを忘れて銀刀を片手にカチュアに向かう。
「氷の嵐!!」
ノエルは全魔力を小刀に込め、氷の竜巻を作り出した。
「あなた達人族って、ほんと、不思議よね。魔力を使って武器で魔法みたいなことをする癖に、魔法は絶対使わないんだから。」
そういうとカチュアは同規模の炎の竜巻を作り、ノエルの生んだ氷の竜巻にぶつけた。
「当たり前だ!魔法なんぞは野蛮な魔族や亜人が使うもの。我ら人族は神より賜った聖なる武具で戦うから騎士なのだ!」
ぶつかり合った竜巻が四散した爆風を浴びながらも、迫るダーカスがカチュアに斬りつけた銀刀は、しかしその瞬間蒸発して消えた。
「くだらない。その自尊心で焼肉になって、なにが誇りかしら?」
むっとしたカチュアの腕はそのままダーカスの腹を貫き、ダーカスは一気に燃え上がった。
「あなたっ!!」
ノエルの悲痛な叫びも、すでにダーカスには届かなかった。
「さぁ、あとはあなただけ。それで、勇者の聖剣はどこにあるのかしら?」
どうやら、ブルーノとノックスとの戦いに興じてカチュアはアーノの存在を見逃している様子だった。
夫も死に、アーノの一応の無事を確信すると、ノエルは両膝から崩れ落ちた。
「……よ」
俯いたノエルの言葉が聞き取れないカチュアは、ゆっくりノエルに近づいた。
「なに?よく聞こえないわ。」
「あなたに教えるものなんて何もないわ!!」
そういうとノエルは一気に飛び上がり、氷の小刀をカチュアに突き刺した。そして、その勢いのまま、小刀と共にカチュアに触れて燃え尽きていった。
「……とんだ、無駄足を踏まされたわ。やはり、人族は信用できないわね…」
そう呟くとカチュアは帝国領の方に飛び立った。
誰もいなくなった子爵邸は、炎を舞わせながら静かに崩れ落ちるのだった。