ひと目ぼれ ――ナンス王国暦五七七年 三月某日――
補足 : ※亡国の王様とその随行者の逃避行のひとコマ。
※某三名の、ほぼ同日に書かれた日記で構成。
※神聖暦の二月は、ナンス王国暦の三月です。
※陛下の文がなんか変なのは仕様です。
※侍従長の記述がそれ以上に変なのも仕様です。
(某護衛隊長の覚え書より。黄ばんだ手帳に、異様に四角い文字で記されている)
三月二十日
快晴。
マルメ島に上陸。
陛下はお元気だ。
馬鹿少尉が痴話喧嘩で全治一週間。馬鹿だ。
二十三時就寝。
(某侍従長の王宮日誌より抜粋。おびただしい数の巻物に、びらびらした飾り文字で記されている)
神聖暦二月二十日、すなわち王国暦三月二十日
晴れ渡った空のもと、さわやかな潮風に背中を押された軍艦「くろかぜ」は、本日無事にマルメ島に入港いたしました。
我が偉大なるナファールト陛下は、夕闇迫る刻に、緑美しい島へと上陸を果たされました。
護衛隊長たるシャリル様に完膚なきまでに叩きのめされ、改心して陛下の騎士となったアル・ティン少尉が、陛下の仮宮を用意する名誉を得ました。
少尉は島でいちばん豪奢な、あたかも宮殿のごとき宿を買い上げました。
しかしやはりこやつめは、腹黒い悪魔でありました。
信じられぬことにこの恥知らずは、陛下を我々従僕と同じ階の狭い一室に押し込み、なんと最上階の特別室を占拠して、たてこもったのです。
なんたる不遜! なんたる仕打ち! 反逆者よ、呪われろ!
(以下延々と「悪魔の男」への呪いの言葉十行)
されど偉大なる我が陛下は、この悪魔をただの一言もお責めになりませんでした。
「これは朕がいたらぬゆえ。少尉を断罪してはならぬ」
ああなんと、慈悲ぶかき思し召しであられたことでしょう!
(以下延々と「偉大なる陛下」への賛美の言葉十行」)
すなわちおいたわしくも陛下は、狭い牢獄のごとき部屋でお眠りになられるご覚悟であられたのです。それはならじと、おそれながらもわたくし侍従長たるネイスとメイドのリークめが懇願いたし、陛下を最上階へとお連れいたしました。
しかしいまいましきことに、篭城する悪魔めは、我々を阻もうとおそろしい結界を施しておりました。
たちはだかる藍色の扉に、燦然と輝く666の金文字。
銀の呼び鈴をわたくしが打ち鳴らしますと……。
おどろおどろしい音をたてて扉が開かれた刹那、なんと真紅の炎をまとった魔女が顕現したのです。
その赤き爪の鋭く長いことといったら! 血が滴っているかとみまがうほど赤い唇からは、白い牙がぎらりとのぞいておりました。
恐るべき魔女の体を覆う炎は、まさに地獄の業火。灼熱が、我々を舐めてきました。
メイドのリークがほうきを構えました。わたくしも黒き血潮を放つ剣を抜き放ちました。
シャリル将軍がわたくしの怒号に呼応して、聖剣レギスバルドを手に駆けつけてまいりました。
こうして打ちそろった我々が、果敢にも魔女に挑もうとした、そのとき。
「かようなもの、まったくおそるるにたらぬ。みなのもの、さがるがよい」
至高の音色、たえなる玉音が、その場に鳴り響いたのでございます。
地獄の業火をまとう魔女など、我が偉大なる陛下の敵にはあらじ!
陛下の御手からほとばしるは、天の御使いの聖なる風!
(以下延々と、「偉大なる陛下」が繰り出す技の代謝熱だのエントロピぃだの、とにかく凄いということを強調する描写が並んでいると思われるが、虫食いの大穴があり、まったくわからない)
白き手のたったひと薙ぎで、紅蓮の炎はあとかたもなく消え去りました。
魔女は断末魔の叫びをあげ、なんと一輪の薔薇の花に変じました。
こうして我々は、赤き薔薇を拾い上げて微笑なさる陛下とともに、部屋の中へと踏みこんだのです……。
(以下延々と仰々しく、「悪魔の男、退治せり」の描写が続いている)
(国王の叔母付きメイドが女主人の代わりに書かされた、「公爵夫人の備忘録」より。分厚い日記帳に、細やかで丁寧な字で記されている)
神聖歴二月二十日
今日起きたことを、まがりなりにもここに記すのはどうかなとは思ったんだけど。
奥様は全然文字が読めない人で、もはやこの「備忘録」はあたしの日記帳と化しているので、描き殴ることにします。
なんなのよ、あのバカ少尉!!
ファンランドの小さな辺境基地でのてんやわんやを経て、すっかりあたしたちの味方になってくれたと思ってたのに。これで正式にお付き合いできるよなぁなんて、あたしにこそこそ囁いてきたくせに。
マルメ島はかなり大きな島で、近隣諸国の観光地として有名よね。長い休暇をとって海岸で遊ぶ人が多いの。ええ、あたし、内陸育ちだけど、知ってたわよ。ここはいわゆる、男女の出会いの地として有名なんだって。
出会いはマルメ島で、なんて旅行会社も宣伝してるし。
でもね、あいつがあんなに軽々しく、海岸ですれ違った女をひっかけるとは思わなかったわ。
やあこんにちは、ってその時は声をかけただけの、ええ、たった三秒ぐらいのやりとり。
なのにその日の夕方、みんなの部屋を割り振ったあいつの部屋だけ最上階だっていうので、ネイス侍従長が謀反の恐れありと言いだしたの。
あたしは、「そんなことはない、アル・ティン少尉は完全に味方になったんだ」ってかばってやったわ。侍従長がどうしても譲らないんで、みんなで確かめに行ったら……。
ほんと、なんなのよ!
なんであのときの水着の女が出てくるのよ!
しかもあの女ときたらあたしの陛下に……
絶対、絶対、バカ少尉とは付き合わないわ。
ええ、神に誓って、結婚前提でとかぬかすバカは、これからガン無視するわ。
っとに、最低!
(某少尉が某メイドに宛てたらしい手紙。白い便せんに野太い字が書かれているが、一回ぐちゃぐちゃに丸められ、丁寧に伸ばされた跡がある。おそらく、この事件のときにメイドに書き送られたと推察される)
俺のエンネへ
許しを乞う愚はやめておく。一大観光地のマルメ島に来たっていうんで、浮かれすぎた。
しんじられない、死ね! って思われて当然だよな。今は君しか見ちゃいけないのに。
てらいない態度で俺を断罪してくれたおかげで目がさめた。
愛してるなんて、俺にはもう、言える資格がない。
しれっと君をなだめて口説き直すぐらい、俺は器用な男じゃない。
てんで的外れの謝罪文を送るぐらいがせいぜいだ。でも、なんでもするよ。君のために。
るり色の、君の瞳に誓って。首をくくれというならそうする。君の、望むままに。
君のアル・ティンより
(某少年王の日記より抜粋。赤い装丁の日記帳に、大きな丸い字で記されている)
三月二十一日
きのうぼくは、ごうかなホテルにとまりました。
このまえおともだちになったばかりのティンしょういが、みんなのへやをとってくれました。
ぼくとリークさんは、305ごうしつです。じじゅう長のネイスさんは、306ごうしつです。シェリル隊長は、307ごうしつです。ティンしょういは、666ごうしつです。
夕ごはんのあと、みんなでしょういのへやにあそびにいきました。
よびりんをならしたら、びっくりしました。なぜなら、きれいなおねえさんが出てきました。
ぼくは、ティンしょういがへんしんしちゃったのかと、思いました。
とてもきれいです。かみの毛がまっかです。くちびるはまっかです。手のさきもまっかです。みずぎがいちばんまっかでした。
へやをまちがってごめんなさいていったら、まちがえてないといいました。
リークさんが、へやのおくからでてきたティンしょういをなぐりました。
それから、リークさんはずうっと、しょういにおせっきょうをしていました。
ネイスさんは、字をいっぱいかいていました。
シェリルさんは、自分のへやにかえりました。
赤いおねえさんがぼくいくつ? とききました。
ぼくは九さいですとぼくはこたえました。
ぼくはおねえさんと、神獣大戦のカードゲームであそびました。
ぼくは三回勝ちました。おねえさんは四回で、まけて、くやしかったです。
おねえさんはあしたもあそんであげるわと、おねえさんはいいました。
おねえさんはぼくをふかふかのベッドにいれてうたいました。
あさおきたらおねえさんは、いませんでした。
赤い花がありました。まくらのところです。
またあいたいです。
ねます。おやすみなさい。
みんなもよくねむれますように。
「リーン博士。手がかりは見つかったかね?」
王宮書庫の扉が開く音がして、なじみの声が飛んできた。
新生ナンス王国王宮侍従長ケムル・ネイス十世。彼が様子を伺ってくるということは、もうお昼を過ぎたらしい。
私は書庫の床に積もっている史料の山から、のそりと顔を出した。
「いえ。神聖暦四二二二年にはさりとて、問題になるような事柄は何も。健国王ナファールト陛下は当時九歳、順調に流刑地への船旅を続けていますね。マルメ島に寄ったりと、わりと余裕のある旅路であったようです」
局長は肥えてはちきれんばかりのお腹をさすりながら、史料の一枚を手に取った。
向かいの食堂屋で昼食を食べてきたばかりなのだ。
「神聖暦四ニニニ年というと」
「王国暦で言えば、五七七年になります」
「ややこしいので、始めから王国暦で言ってくれないかね、リーン博士」
侍従長は国粋主義者で、新生ナンス王国こそは大陸の範たるべしと固く信じている。
たしかに、小さな辺境の島で再建されたナンス王国は、数世紀を経た今、大陸にて広大な版図を誇っているのだが。まだまだ、大陸共通の文化と言えるほどの浸透力や影響力は持ち得ていない。
「神聖暦は大陸共通暦です。こちらを使うのが常識かと」
さらりと私が言ってやると、侍従長は片眉をくわりと立て、不機嫌そうに唸った。
「ともかく、急いで立証するのだ。ナファールト健国王陛下が、建国する前に死んだことを。すなわち我が新生王国に伝わる建国話は、ただの神話にすぎぬということをだ。健国王の直系を騙る自称皇子。鼻持ちならんあやつの即位だけは、なんとしても阻止せねばならん」
「分かっております、侍従長」
「我らは断固、今の王統を守る。アル・ティン陛下を祖とする、正統なる王の系譜を永続させる」
「任せてください。もし何も出てこなかったら、しかるべき手を打ちますので」
鼻に落ちてきた眼鏡を指で押し上げ、私はにやりとした。
「文書など、簡単にねつ造できます。証拠が無ければ証拠を作る。それでよろしいでしょう?」
「うむ。頼んだぞ、博士」
侍従長は差し入れだと言って、揚げ菓子と豆茶を置いていった。
なんだかんだと気難しいが、わりといい上司ではある。
文章を書くのは大の苦手で、日誌を書くのに毎日四苦八苦。饒舌過剰な変な文物をものした、あのネイス侍従長の子孫だとは、とても思えないけれど。
私は手早く活力の補給を済ませて、史料の山の中へ戻った。
ここはまさしく天国だ。
古い文書を読み漁れるだけでなく、お給料がたっぷりもらえる。
ようやく天職というものに巡り会えて、嬉しいどころじゃない。
真実を知るのは私だけ。いかようにも報告できる。
そうね、とても素敵な悲劇にしましょう。
証拠の文書は、古いものに見せるために、紙は紅茶で染めるとして。風情のある巻物にするのが良いかしら。
古めかしい字を書くのだってお手のもの。どの時代の文字でも朝飯前。
なんて素晴らしいご褒美かしら。なんの権力も持たない文官の私が、この王国で最も重要な歴史を作るなんて。
さあ、読み進めましょう。
幼い王様の物語を。私だけが目を通すことが許された、大いなる遺産を。
そうして変えてしまいましょう。
陛下の魂の安寧を心から祈るからこそ。私はかの幼き王の、妙なる死を描く。
私がひと目で心奪われた、優しい丸い文字。
うっとりひと目ぼれした、あのかわいらしい文字を真似て書いて、こう結ぶの。
ねます。おやすみなさい。
みんなもよくねむれますように。