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それからも幾度かあった巨大蟲の襲撃を、撃退し、やり過ごしながら世界樹の中層も終わりに差し掛かれば、下にエルフ達の住む下層域が見えて来る。
そしてその下層域は、僕が思った以上に栄えていた。
樹上生活と聞いていたから、精々小さな集落が枝の上に点在する位だろうと考えていたのだが、エルフ達は枝と枝の間にも足場を渡してスペースを確保して、普通に町を作っていたのだ。
勿論世界の文明レベル的に、日本の町の様に住宅が密集していたり、雑居ビルが並んでたりはしないけれども、剣と魔法のファンタジー異世界だと考えたなら、これは立派に町だろう。
どうやら僕は、少しエルフを侮っていたらしい。
更に中層から下層、その境目の幹には、ハッキリとわかり易く防衛設備が備えてあった。
空を飛ぶ蟲は兎も角、幹を伝って降りて来る蟲は、ここで食い止めるのだろう。
頑丈そうな柵で蟲の侵攻を止め、その向こう側から槍を突く。
射手用の足場も設けられているが、配置から察するに、弓は幹に向かってのみ射られる様だ。
まあ下には町があるのだから、流れ矢に対する対策が必要なのは理解が出来る。
防衛設備があると言う事は、当然ながらそこには人員が配置されており、世界樹を下って来た僕に驚愕の表情を浮かべながらも、それでも職務を果たそうと手の武器を向けて来た。
「止まれ! 一体君は、何者だ?」
誰何したのは、細身の美形。
紛う事なき、ファンタジーで想像するエルフであった。
時折ゴボウのお化けみたいなエルフが出て来る物語もあるから、少しだけ安心する。
因みに話し掛けられた言葉はローレンス大陸西方域汎用言語。
この世界樹の大樹海は大陸中央に位置するが、どうやら西方域汎用言語は広い場所で使われる言葉なのだろう。
武器は向けられたが、下からなら兎も角、見知らぬ人間が上から降りて来たなら、それは警戒してしかるべきだった。
故に僕は慌てず騒がず、懐からエルダーグリーンドラゴンのエルドラに預けられた、彼の鱗を取り出し見せる。
そう、エルドラに招かれて運ばれた客人ならば、エルフの集落である下層を通らずとも世界樹の上に行けるのだ。
つまりは取り敢えず異なる世界の件とかは伏せて、そう言う事にしておこうって話である。
流石に崇拝対象であるエルドラから託された鱗の威力は絶大で、エルフからの警戒は大分と低下し、代わりに視線に敬意が混じった。
「あー、あー、うん。集落を見せて欲しいんだ。出来れば一泊か二泊、泊まれる宿があれば嬉しい」
僕は発音を確かめながら、エルフの守衛に彼等の言葉、エルフ語で話しかける。
この世界の貨幣に持ち合わせはないが、僕の私物、日本から持ち込んだ品を売り捌けば、まぁ宿代位にはなる筈だ。
何ならエルフの集落で仕事を請け負っても良い。
巨蟲退治なり荷運びなり、選り好みしなければ余所者でもこなせる仕事が、この規模の町ならば幾らかはあるだろう。
「えぇ、守護獣様に招かれた方に対して閉ざす門は御座いません。しかし少しここでお待ちください。今、長に連絡を出しますので、案内の者が手配されるでしょう。失礼ながら人間の方が一人で町の中を歩かれると、事情を知らぬ者が警戒しますから」
エルフの守衛は柔らかい笑みを浮かべて、僕を柵の内側に招いてくれる。
勿論多少待つ位の事は、僕も特に文句はなかった。
そりゃあこんな大樹海のど真ん中に、行き成り見知らぬ人間が好き勝手に歩いていたら、事情を知らぬ者は驚き警戒するだろう。
そして驚きや警戒は、時に攻撃的な反応にも繋がりかねない。
僕はエルフを見る為に、可能ならば少しばかりの交流も持とうと思って、わざわざ世界樹を下って来たのだ。
わざわざ自分から揉め事が起き易い状況を作ろうとは思わなかった。
エルドラから聞いた話によれば、この世界を生んだ創造主は、最初に海と空と大地を創って世界の形を整えた。
次に全ての命の源である世界樹を植え、世界の管理者たる神々を創ったらしい。
そして命の源である世界樹が木々や動物、虫や魚や竜や人を生み出したのを見届けて、創造主は別の世界を創る為に旅立ったとされる。
だからこそエルドラは僕が別の世界から来たと聞いても、然程疑わずに信じたのだろう。
さて始まりの人は、世界樹が生み出した森で暮らしていたが、やがてその大部分は神々の導きにより森の外へと移動する。
森の外に出た人は、神々の手で役割を与えられ、それに適した形に変化していく。
平地を耕して食料を生む人間、山を掘り進む得た鉱石から道具を生むドワーフ、水中で水の流れを管理する人魚と言った具合に。
けれども神々の導きに従わず、世界樹から離れなかった人も居た。
彼等は世界樹が発散する強い命の力を吸い、長く朽ちぬ身体を得て、森の中で世界樹に奉仕する生を選んだ。
そう、それがエルフ達である。
僕の為に手配された案内人は、綺麗なエルフの女性だった。
でも別に彼女がそう言った意味、客人を身体で持て成す為に案内人とされた訳じゃないのは、良く観察すれば理解が出来る。
彼女は確かに見目麗しいが、その所作には隙がなく、身の内に高い戦闘能力を秘めてる事が伺えたから。
先に出会ったエルフの守衛も良く鍛えられている印象を受けたが、目の前の彼女はそれよりも更に一枚二枚上を行く。
つまり彼女は武人として町のエルフに顔を知られているから、見知らぬ僕が歩き回っても住人が不安がらないと言う訳だろう。
「世界樹の集落の長、バーシェットの娘、シェイファに御座います。この度は守護獣たる緑竜様の客人を集落にお招き出来る事、我等エルフ一同喜びの念に堪えません」
まぁでも正直な話、客人の扱いが丁寧過ぎて、これが長く続けば少し肩が凝りそうだ。
それだけエルドラの、世界樹の守護獣がエルフ達にとっては大きな存在なのだろうけれど、もう少し普通に接してくれた方が有り難かった。
とは言え、それを口に出さないだけの分別は僕にだってある。
行き成り態度を崩してくれと客に言われても、ではどんな態度を取るのが適切なのかと、逆に困らせてしまうだけだろう。
相手の態度を自然に崩したいと思うなら、それなりに時間をかけて相互理解を深めねばならない。
尤もその必要があるのか、それだけの時間が取れるのかは、全然別の話ではあるけれども。
「クヨウ・アキラです。突然の来訪にも拘わらず快く受け入れて下さった事、エルフの方々の暖かい心に感謝します」
僕はそう言って、身体の前で右の拳を左手で包み、丁寧な一礼をする。
これは師匠ではなく双覇仙に教わったのだが、拱手と言って大陸では感謝を示す挨拶らしい。
文化風習は違っても、仕草に込める念は伝わり易い物だ。
僕の仕草にエルフの案内人、長の娘であるシェイファは僅かに目を見開くが、唇は緩み、纏う雰囲気も少しだけ柔らかい物に変化した。
文化は違えど互いに礼を知っていると、相互理解が進んだ結果である。
具体的には僕が無茶な野蛮人でないと知り、少しだけ安心したらしい。
「丁寧な返礼痛み入ります。ご希望の宿に関してですが我が家、……あぁ、いえ、長の家にお招きしましょう。町中の見物に関しましては、客人の来訪を周知しますので、いま少しお待ちください」
言い間違いに、シェイファの頬は少し赤く染まる。
まぁ確かに、長の娘であるなら、長の家は我が家だろう。
そうして僕は、異世界に来て七日目にして、エルフの集落の客となった。
実にファンタジーを満喫してると、個人的にはそう思う。